第207頁目 神の作ったフルコース?
「……拷問。」
自分を落ち着かせる為に繰り返したその一言は逆効果となって身体を震わせる。前世での知識で拷問がどういった事かは理解しているつもりだ。日常でも”拷問かよ!”みたいに悪巫山戯で言っていたりしたもんだが、真の意味でその言葉に求められるのは苦痛である。
「えぇ、情報は必要ないわ。私達が行うのは情報を与える事。」
「与える事?」
「そうですとも。捕虜をこれでもかと痛めつける竜人種が味方にいるという噂を相手側に流させるのです。」
これでもかと痛めつける? それってどれくらいだ? 殴る程度じゃ駄目だよな?
「そうね。あまり陰湿なのは貴方の誇りに反するでしょうし……。」
「そうだな。弱者を痛めつけるというのは俺の主義に反する。」
「やはりそうよね。」
なんとか冷静を装って返したが、冗談じゃない。勘弁してくれ。俺に何をさせる気なんだ。
「とすると、ヤスリや磨り潰しは駄目そうね。豪快に腕の二、三本千切って貰おうかしら。」
「いっそ最も仲の良い者の片割れを滅してはどうでしょう?」
「それは良いわね。全員を生かす事ばかり考えていたわ。」
よくないよくないよくない。
「待て! 無力な者の命を奪えってのか?」
「でも、甚振るよりは良いでしょう?」
「是非あの卑しき獣人種にその御威光を刻みつけて頂きたい!」
やんねえよ! と素直に言い出せないのは今の状況だ。俺に戦争をやらせると言ったホードの主張を無視しノンビリと今日まで過ごしてきたんだよ。今更人を殺せないと言ってどうなる。約束を反故にされるか? 俺は母さんと会いたいんだ。かと言ってその為に命を奪う必要は微塵も無い。仮に……例え、人を既に殺していたとしても、更に殺していい理由になんて……。
「いい? だから多少大袈裟にやっていいわ。態度ももっと大きくして。」
「では行きましょうか。」
「ま、待ってくれ!」
堪えきれず震えた声が出た。
不思議そうな顔で俺の顔を覗き込む二人。きっと怪しんでいるのだろう。少なくとも疑問には思っているはず。
人の命と俺の目的のどっちが大事なのか。それは当然人の――。
「どうしたの?」
疑問が多分に混じった問い。俺が人を殺したくないと知ったらどう思われるのだろう。どんな反応をされるのだろう。
淡々と『人を殺してでも親に会いたいのか』って聞かれたなら俺は否定したはずだ。だが、俺にはもう全てがわからなくなっていた。
「悪い。人を殺す前にやらなきゃいけない事があるんだ。俺の一族の風習なんだよ。少し……恥ずかしいからこの部屋で一人にしてくれないか……? すぐ、終わる。」
「そう、それなら早く言ってくれればよかったのに。急かして悪かったわ。ペンタロット、出ましょう。」
「はっ。」
理解を示してくれたムステタ。感謝しかない。二人が部屋を出た事を確認すると俺は小声でミィに話し掛けた。
「なぁ、ミィ。どうするべきだと思う?」
「どうって?」
「俺、今、人を殺せって言われてんだけど……。」
「そうだね。」
「人を殺すんだぞ?」
「今までも殺してきたじゃん。」
「……ッ……殺したって思ってない。殺意だって無かった。」
「それって何か意味があるの?」
「……俺の心が苦しい。」
「今迄狩ってきた命は全てベスだと思い込んでたから平気だったって言いたいんでしょ。」
「そうだよ……!」
図星を突かれ、小声ながらも怒気が漏れる。
わかってるよ。今迄俺は何人もの命を奪ってきてる。知らないだけで、俺より優しくて頭の良い奴だって殺してるかもしれない。それからずっと目を背けて来た。でも、何処か頭の片隅に嫌な感じはあって、だからこそなるべくベスだって強く思えた獲物ばかりを狩っていたんだ。
「今人を殺したら何か変わるの? それってアストラル障害だよ。マレフィムから感染っちゃったのかなぁ。」
「障害? 俺が?」
「うん。命を勝手に線引きしてさ。駄目だって決めつけた方に触れて怯えてる。障害じゃなくて何なの?」
「……でも、人の命を奪って良い理由なんて――。」
「じゃあ奪っちゃいけない理由は何?」
「そりゃ悲しむ人がいるから――。」
「奪わないと悲しむ人だっている。その人が天敵だったとか、その人を食べないと家族が死ぬとかなんでもいいよ。感覚を天秤に乗せてどうしたいの?」
「…………。」
「クロロ、目的を見失わないで。君は白銀竜に会いたいんだよ。」
「……わかってるよ。」
「じゃあ、やる事はわかってるね。無いものに怯えないで。クロロは今、壁の前に立ってない。」
そんな事を言われてすぐに価値観が取り変わる訳じゃない。でも、ミィの言いたい事もわかる。前世だったらもっと明確な違いがあった。少なくとも犬と人間の違いくらい俺にだって判別出来る。でも、何もかも境界が不明瞭なこの世界で俺はいったい何を守ろうとしてるんだろう。
それはきっと、微かな人間性だ。俺は人間である根拠の一つに”人を殺さない事”を込めていたんだ。だから自分は絶対に人殺しなんてしていないと多くの可能性も、事実も、見て見ぬ振りをしていた。
いつか、何も思わずに相手を人と思ったまま命を奪える日が俺にもくるんだろうか……。
その時も”俺は人だ”と自認出来ているだろうか。
俺は小さく唾を飲み込んで部屋の扉を開ける。外にはムステタとペンタロットが待っていた。
「もういいの?」
「あぁ。だが……まだ要望がある。」
「要望ですか?」
「捕虜、なんだが……。口を塞いでくれ。汚い断末魔を聞きたくない。」
「なるほど。良いでしょう。」
「それと……。」
「まだ何かあるの?」
「いや、やり方だ。捕虜ってのは逃した後、無事に帰れるのか?」
「そうしたいけれど、衰弱してたり野良のベスがつまみ食いしたりで絶対とは言えないわね。」
「なら、やっぱり殺すのは無しだ。弱者を甚振るのはその、アレだが、殺さずに痛めつける方法にしよう。大事なのは怖がらせてそれを広がらせる事だろう?」
「そうだけど、弱った身体で生きて帰れるかしら?」
「だからそいつ等が協力して逃げられるように纏めて返すんだよ。」
「あぁ、そういう事ね。確かに数を揃えれば少しは生き残るかも。わかったわ。では、少し待って貰えるかしら。」
そう言って俺の要望を聞いてくれる為だろう。二人は部下を使って
「準備が出来たみたいよ。来て。」
「……おう。」
「ここからは捕虜達に重要な情報を入れないよう気をつけて。下手に喋らなくていいわ。」
「……。」
頷いて応答する。そして、ムステタの後を追い鉄格子の中へ入った。
両手両足を鎖に繋がれた獣人種が一人、俺を見て目を見開く。猫っぽい顔だ。首には何処かで見た物が……奴隷の首輪だ! コブラの首に嵌めたあったのと同じ物だよな? 喉を既に潰している? なら、口に付けてある口輪に何の意味が……。
『グルルルルル……。』
獣の唸り声で俺を威嚇する捕虜。
「その汚らしい目でこの方を見るな。ゴミが。」
そう言い放ったのは隣に立つペンタロットだった。
「お前の様に薄汚い存在をこの高貴なるお方の視界に収める事が私達にとってどれだけ罪深いかわかるか? そういう意味ではお前こそが排除すべき罪その物である。だが、この方はお前に慈悲を下さるそうだよ。”傷”を賜わると申されている。感謝せよ。」
「お好きになさって下さい。」
ムステタが静かにそう続けた。先程までと態度が違う。この場において頂点に立っているのは竜人種である俺だけなのだ。
やらなきゃなんねぇのか? 俺は抵抗もできない人を傷付けなきゃ……!? 違う! ベスだ! コイツはベス!!
一応は歩みを進め近付いたものの、背中にグサリと刺さる嘴獣人種達の視線。俺は前脚を浮かせ、二本足で立つ。片手で毛の逆だっている上腕にそっと触れた。
『グルルルルルル……!』
唸り声を大きくしながらガシャンと鎖を揺らした捕虜。それに俺は動揺というより、驚愕した。考え事をしていたからというのもあって、俺も咄嗟に力を込めてしまったのだ。爪先にほんの少しだけ抵抗を感じた末に一歩後退る。すると、その獣人種の上腕の毛皮には赤い雫が付いていた。思わず自分の手を確認する。
嗅ぎ慣れた臭い。舌の下が潤として、唾が湧き出てくる。
”命を奪うか”というより、”自身の血肉にするのか”という方へ。俺は人の目も気にせず爪に付いた血を舐め取る。
美味い。
俺にとって不味い物はある。でも、明らかに美味い物の幅が広い。そして、美味い物に対するこの感情は何処か”普通”ではない気がする。
気付けば俺の両手は捕虜の片腕を両手で掴んでいた。そして、滴る血に舌を這わせる。汚らしいとかはしたないとか、そんな外面は何処かに行ってしまった。水音を立て、芳醇な旨みを舌の付け根に押しやる。だが、それは当然限られていて……赤い泉はすぐに枯れてしまった。
水が枯れたなら注げばいい? 俺なら掘る。
「んん゛ッ……!」
獣人種が声らしい声を出す。口輪じゃ唸り声は防げない。しかし、俺はその声が新鮮な肉である証にしか聞こえなくて、より空腹感強くなってしまった。満たしたい。味わいたい。自然と顎に力が込められていく。
「うゔぅ゛……。」
獣人種じゃない。俺の唸り声だった。血と涎が混ざった液体が口端から垂れていく。鼻の奥に血が滲みていく程、動悸が荒くなった。フサフサとした毛を俺の鼻息が拍子を刻んで揺らす。そう言えば生きたままの動物に食らいつくのは久々だ。
「ん゛ん゛ー!゛」
再度激しく揺さぶられる腕。鎖が金属音を奏でながら抵抗を表す。だが、食事を楽しもうとしてる俺には”邪魔”が不快でしかなかった。それ故の反応である。顎を張る様に力を込めた。
――撃牙。
「ん゛ん゛ん゛ん゛ーッ゛!゛?゛」
跳ねる身体。
再度、顎を張る。
「ん゛ん゛ッ゛ん゛ん゛ん゛ーッ゛!゛?゛」
当然身体はまた跳ねるのだが、その瞬間にゴリッという鈍い音がした。噛み付いている側の腕が肩から外れたのだ。少しずつ味わっているのに肉が減ってきているせいで、骨に歯がガリガリと当たる。だが、知っているだろう? 骨にも旨みは含まれていて、骨にこびり付いた肉もまた違った味わいを持つ。
毛、皮、血、筋、膜、肉、骨……たった一本の腕はこれだけの豊かな食材から作られている。これを無駄に捌き調理する必要なんて無いんだ。ありのままで既に神の作りし料理なのだから。それにむしゃぶりついて食べるのが浅ましき人の在るべき姿だとは思わないだろうか。獣と人の違いがわからない俺には今、そう思えて仕方ないんだよ。
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