第176頁目 経験が無くても馬を乗りこなせるのが異世界でしょ?

「ミザリーさん怒ってたね。」

「あぁ……。」

「鞄を切って盗むなんて……。」

「次会ったら絶対に謝らせる。」


 まだ回復しきらないマレフィムを頭に乗せ、アロゥロと今朝の事について愚痴る。今日は全員で早速競技場に出向こうという事になったのだが、その前に昨日の盗難で一番の被害を受けた鞄を修理に出したのだ。すぐに代わりのストラップを繕ってくれたミザリー。鞄を盗まれた奴が悪いとかそういった責められ方は一切しなかった。


『鞄には必要な物を入れるんだ。その鞄を大事にしないってこたぁ必要な物をすぐ失くすような奴って事さね。何処のどいつだか知らないけど、いつか痛い目をみるだろうさ。』


 なんて不機嫌そうに言っていたのが耳に残っている。彼女なりの励ましの言葉なんだろう。


「やぁー! 久々に見ましたよ! バーザム家の暴君『ボス』!」

「えっと、今はセクトって名前なんです。」

「ほう! セクトね! はいはい! しかしデカいですなぁ! こんなに大きなエカゴットはそう見ない! 優勝した際には”たね”の交渉を是非!」

「あ、あはは……。」


 ファイに引き車の番を任せて専用の搬入口らしき所からセクトを連れて来た俺達。競技用なのか、ウナ達が大量に待機していた場所はマレフィムの為にも早足で競技場の中まできた。


 巨大な建造物ってのは街にも沢山あったが、こういった建物は今生で訪れた事が無い。前世にもコロッセオってのがあったけど、こんな感じだったんだろうか。アレは円形だっけ? 何にせよ、こういった競技場の中心から観客席を見上げるっていうのは初めての経験だった。


「うわぁ……凄いねぇ……。」

「あぁ、でけぇ……。」


 隣ではゴクリと唾を飲む音が聞こえる。ルウィアだ。


「中々でしょう! 歴代のオーナーが苦労してここを作り上げたんです! さぁ、コースを案内しましょう。」

「よ、宜しくお願いします。」

「まずはスタート地点がここになるんでさぁ。」


 そこはU字の真ん中の内側。そこに斜めの線が引かれている。多分スタートラインだ。始まってすぐに緩やかなカーブなんだな。


「レースはここからスタートしてこの柵を超えた反対側までの早さを競う短距離。そこを過ぎて一周しここに戻ってくる中距離、それをもう一周する長距離の三種類があるんでさぁ。そして、アニバーサリーレースは中距離走ですな。」


 意外と一戦は短いのか? でも結構な距離あるしなぁ。少なくとも一周するのに数キロメートルはあるだろう。


「信用をして見張りみたいなのは置きやせんが、コースは壊さない事、細工しない事だけ宜しくお願いしますよ。特に細工は発覚したらそれなりの罰を受けてもらいやす。」

「は、はい。」

「万が一、誤って何か壊すような事があれば正直に教えてくだせぇ。んで、出る時はウチのもんに一言掛けてくだせぇ。では、あっしは仕事があるんでこれで。」

「あ、ありがとうございます。」


 足早と去って行くディニー。そんな好き勝手に使わせていいのか。こっちとしてはありがたいけどさ。


 ……しかし、土はちょっと粗めの砂利も混ざってたりするな。エカゴットは蹄じゃなく指と鋭い爪でしっかりと地面を掴んで蹴る。だからこそスリップの心配とかはそこまで無いって事なんだろうか。競馬の知識でもあればよかったんだが……馬がレースする競技ってくらいしか知識が無い。一周何メートルだったかも知らねえ。レースゲームならインコースを狙うとかナントカカントカっていう前を誰かが走ってたら空気抵抗が減って若干早くなるみたいな知識はあるけど……お邪魔アイテムもブーストも、多分ドリフトすらも無い。それって本当に妨害こそ大事って事なんじゃないだろうか。


 だが、待て。妨害という要素こそあるものの……テクニックがそこまで重要じゃないのならやはりエカゴットそのものの性能が活かされるって事なんじゃないか?


「よし……。」

「お、おい。もうやるのか?」

「はい。時間が勿体無いですから。」

「ルウィア、怪我しないでね?」

「うん……!」

「あっ、あの、何ていうんだ? エカゴットの背中に付ける席みたいな奴。」

「『くら』ですか?」

「多分それだ。それ無くていいのかよ?」

「は、はい。今は敢えて使いません。」

「なんで? お尻痛くなっちゃうんじゃない?」

「レース中に座ったままでいたりなんてしないよ。鞍は安定した姿勢で武器を振り回したり、エカゴットから落ちたりしないようにする為の物なんだ。でも、僕は武器を使わないしね。まずは様子を見るんだ。」

「それでマトモに乗れるのかよ?」

「乗れる様に練習をするんですよ。それに、本番までにはなんとか用意します。」

「ふぅん……。気を付けろよな。」

「は、はい。それじゃあセクト、おやつだよ。」


 そう言って自分の持ってきた大きめの袋から干し肉を取り出すルウィア。まずは落ち着かせようって算段か? なんて思ったのだが、ルウィアは干し肉をセクトから少し手前の地面に置いてしまう。直接渡さないらしい。だが、セクトはそれを”食べていい物”と認識し、頭を下げて干し肉をついばもうとする。そこへルウィアはすかさず袋からベルトの塊みたいな物を取り出してセクトの首、頭の後ろ、目の前に巻きつけていく。その動作は静かで素早く、セクトがわずらわしそうに頭を振る頃にはベルトが上手く頭部に巻きつけられていた。


「上手いね! でも、何それ?」

「『頭絡とうらく』って言うんだ。両側面にスリングが一つずつ付いてるでしょ? そこにベルトを通してセクトが向く方向をコントロールするっていう道具なんだよ。」

「ほぉー……本当に素早かったな。」

「ま、まぁ、よくやってましたから……。」


 馬も同じ仕組みなんだろうか? そう言えば馬ってどうやって進ませてどうやって止まらせるんだろ? ゲームでは馬に乗るなんて動作よくあったけど深く観察した事なかったな。


「せ、セクト、暴れないで……! 大丈夫……! ほら、干し肉まだあるよ!」


 嫌そうに頭を振るセクトの視線を干し肉で釣り、今度は直接食べさせるルウィア。美味いもんでご機嫌取るってのがやっぱり一番か。


『ギュルルゥッ……。』


「うん……思ったより大丈夫そう。」

「何が?」

「その、セクトに頭絡とうらくを上手く付けられるか不安だったんだ。」

「嫌がる子もいるの?」

「勿論だよ……! 自分の頭によくわからない紐を付けられたら誰だって驚くでしょ?」

「そっか……そうだよね。」

「でも、セクトってちょっと無神経なところがあるみたいで……ローイス達にも全く物怖じしなかったし……。」

「今も怯えるどころか鬱陶しいって感じだよね。」

「う、うん。」


 度胸はあった方がいいよな。我が物顔で他のエカゴット共をぶち抜いて欲しい。


「…………似たんでしょうね。」

「ん? 何がだ?」

「…………いえ。」


 マレフィムはまだ本調子じゃないからな。昨日よりは意思疎通が行えているがそれでも覇気が少ない。振り落とさない様に気をつけねえと。


「よ、よし! それじゃあ乗るからアロゥロは離れて。」

「う、うん。気をつけてよ?」

「わかってる……! よっ!」


『ギュッ……。』


 勢いを付けてセクトの背に飛び乗るルウィア。……セクトの身長は大体二メートル半くらいだ。オリビエやローイス達は二メートルくらいだろうか。確かに五十センチというのはそれなりの差だ。ルウィアがセクトの上に乗ると見下され、それを実感する。普通のエカゴットなら俺と同じくらいの目線の高さになっているはずだからだ。


「セクト、大人しいな。」

「いえ、でも、何故かいつもと様子が違うんですよ。」

「さっきからキョロキョロしてるよね。」

「えっと、多分ですけど、強い仲間の匂いに警戒してるんじゃないかと思います。」

「確かにここって結構な匂いだよな。」


 血肉の匂いが砂利に染み込んでいる。足元の砂利を少量握って見ると、小石と共に出てくる赤茶けた染みのある乳白色の欠片。それも大量に。それにこびり着いた匂いで推測するまでもなく骨片だとわかる。歯牙しがや爪に留まらずもっと多くの何かがここで砕かれすり潰されていったんだ。ってか歯ですら割れるって……ますます不安が色濃くなっていく。


「……よし、こんなものかな。」

「準備出来た?」

「うん……!」


 セクトは鞍を装着していないが、引き車を引く為にハーネスを着ている。逆に言えばそれしか付けていない。強いて言えば頭絡くらいか。


「まずはどうするんだ?」

「えっと、まずはセクトに命令を覚えて貰います。」

「あぁ、進めとか止まれとか?」

「は、はい。」


 そこからなのか……でも、当たり前だよなぁ。これから一週間後って正気かよ?


「……進め!」


 命令と同時に片脚でセクトを叩くルウィア。だが、セクトは進もうとしない。それどこか無反応だ。


「うーん……やっぱり駄目か……。」

「どうした?」

「その、進むエカゴットはこれで進むんですけど、セクトは駄目そうですね……。」

「なるほど、トリガーとアクションみたいに関連付けて覚えさせんのか。」


 丸ボタンを押したら走る、みたいな感じで。


「何か手伝える事ある?」

「う、うん。それじゃあアロゥロには……いや、これはソーゴさんにお願いした方がいいかもしれない。」

「うん? 俺か?」

「は、はい。あの、僕が進めって言ったらもう一度セクトを蹴るので、セクトのお尻を押してくれませんか?」

「無理矢理進ませろっての?」

「そ、そうです。」

「あいよ。」


 これくらいなら手伝ってやるさ。


「じゃあ、いきますね……!」

「おう。」

「進め……!」


 ルウィアの合図と共に俺は二本足で立ってセクトのケツを押す。すると動くセクト。だが、数歩歩いた所ですぐに止まってしまった。不可解な顔でこちらをチラリと見てはまた周囲をキョロキョロと見回し始める。全くと言っていい程集中していない。


「なんだぁ?」

「よ、よくわかってないみたいです。」

「セクトって覚えるの苦手なのかな。」

「最初はこんなもんだよ……多分。」


 そう言うルウィアの顔には少し陰りが浮かんでいる。こんな”進む”や”止まる”でモタついて貰っちゃ困るんだよなぁ……! セクト……!!


「ルウィア! もっかいやれ!」

「えっ、あっ、はい……!」


 セクトは何故走らないのか。そりゃ走る理由がないからだ。なら、走る理由を作ってやる……!


「進めえっ……!」


 ルウィアがセクトの横っ腹を再度蹴る。それを確認した俺は……叫んだ。


「食っちまうぞおおおお! セクトオオオオオアアアアアッ!!」

「ひぃっ!?」


『ぎゅいっ!?』


 騎手共々驚く二匹。お前が驚いてどうするんだよ! ルウィア! 


『ギュアアアアッ!?』


 だが、走り出した! 後は俺が追いかけるだけだ! 俺は冷静にマレフィムをアロゥロに渡すと、身体強化魔法を体中に巡らせて地面と力強く叩きながら走り出した。これだけ威嚇しながら走ったらセクトも驚いて止まろうとしないはずだ!


『ギュッ!? ギュアアアアッ!!』


「う、うわあああ!? は、はやっ!!」

「おら走れ走れぇっ!」


 ダン! と大袈裟に地面を叩き走る。それを怖がって逃げるセクト。これじゃあ一周するまで俺も走んなきゃか? まぁいいさ。付き合ってやる。速度だってまだまだ上げられるぞ! いくぜ!


「うおおおおお!!」

「わあああああああああ!!」


『ギュアアアアアアアッ!!』


 少しでも慣れて貰わなくちゃ困るんだ! 頼むぜ、セクト! ルウィア!

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