第168頁目 文明って知ってる?

「わあっ!? 引き車がいっぱい! 見て見て! 柵の中にいっっっぱいベスがいる!!」

「あ、アロゥロ、落ち着いて。」

「まるで初めてオクルスに出向いた日のアメリだな。」


 ペチッ。


 額から衝撃も伝わらず音が出る。マレフィムが精神損傷で朦朧とした意識の中、しっかりと自分の誇りが傷つけられた事を認識し抗議してきたのだ。俺は頭上からマレフィムを転げ落とさないように注意深くバランスをとる。


 俺達は神壇しんだんとファイから話を聞いた後、一晩だけ休みを取りタムタムへ戻ったのだ。何ヶ月ぶりかの濃い文明の香りが鼻の奥をくすぐって来る。スパイス、削られた木材、埃、焼けた金属、アルコール……ドラゴンになったせいなのかもしれないが、これ等が自然界には存在していなかった物だと強く感じるられるのだ。そして、アロゥロは初めてその中へ入っていく。ここまで社会という物がり回された景色に感嘆の声を漏らしてはルウィアに共感を求めている。得てして楽観的な田舎者とは幸福な物だ。


 シィズ達の件は……残念だったし辛くもあったが、それ以上の衝撃と”問題”を前にしたせいか不思議と深くは落ち込まなかった。信頼を裏切られた事は”死”によって殆ど清算されてしまったのだ。……俺は間違いなく彼女等に好意を寄せていた。友人とだって呼べた。それなのに、何故彼女等が死んだ事にここまで心が動かないのだろう。彼女達とウィールは何が違ったのだろう。一緒に過ごした期間は圧倒的にシィズ達の方が長かった。恩だってきっとシィズ達に対しての方が大きかった。


 俺達の縁はその程度だったのか。それとも、命を奪おうとしたという行為はそれ程の恩すらも帳消しにするくらいの価値なのかもしれない。なら俺がウィールに殺されかけたならウィールが死んでもここまで引き摺らなかったのか? ……わからない。気にしなかったのかもしれないし、それでも落ち込んでいたかもしれない。ただ、一つだけ言える事はシィズ達とウィールは何かが決定的に違うという事だ。


 あの後、結局アルレを見つける事は出来なかった。それどころか探し出して報復する気も起きない。今の俺には明確な”やらなきゃいけない事”があるのだ。ミィは生きていると、無事だと信じて打開策を探る。これ以上皆に心配を掛けていられないんだ。


「……何故か、出発した時とは違う景色に見えるよ。」

「そうなの? でも、行きも通ったんだよね?」

「うん。そうだけど、あの時は不安や心配でいっぱいいっぱいでさ……。」

「今はそれが無い?」

「い、いや、今もあるよ? でも……もっと遠くに離れたっていうか……。少なくとも怯える前に出来る事があるって思える。」


 ほんの数ヶ月の旅。それがあんなにオドオドしていた青年を少しだけ成長させた気がする。……いや、俺もか。


「あぁ、ここも久々……あっ、ソーゴさん! ここ! 止めて下さい! お願いします!」

「おぉ!?」


 今日は引き車をいつもに比べてかなり遅めに走らせている。理由は簡単。ブレーキが壊れているからだ。そして今、その代役を務めるのは誰でもないこの俺。だが、慣れないその役目に結構苦労させられている。まずは優しくマレフィムを毛皮の上に置くと荷台の後方に飛び降りる。そんでもってすぐに身体の向きを変え、身体強化を使いながら走って追いつき前足を車体の下から差し込んで踏ん張る!


「おぃしょぉ!」


 後ろ足が地面にわだちを残しながら引き車は少々前進して停車した。任務完了だ。


「あ、ありがとうございます……! そして、その……ここ、寄っても構いませんか?」

「ん?」


 横を見れば……なるほど。ここはミザリーの店だ。でも、何故ここに? 挨拶でもする気なのか?


「いいけど、なんでだ?」

「えっと……僕も服、作って貰いたくて……。」

「あぁ、なるほどな。」

「やっぱり商人としては服は大事なのかな、と。」

「……いいんじゃねえか。」


 ルウィアは俺に気を使っているのかシィズの名を隠している。商人は見た目に気を使えって彼奴等あいつら言ってたよな。その考えは間違ってないと思う。ってか、彼奴等あいつらホント無駄に演技上手かったよなぁ。やっぱり盗賊として、獲物商人は飽きる程見てきたんだろう。完全に擬態出来ていたと思う。


「ルウィア、ここってなんなの?」

「服屋だよ。」

「私も入っていいんだよね?」

「勿論。」


 随分と仲良くなったよなぁ、あの二人。そう思いながらマレフィムをそっと片手に抱えて荷台から飛び降りる。


『チキッ。』


「おぉ、ファイ。結構注目されてるだろ。大丈夫か?」


『89.23』


「そうか。なら良かった。なんかあったらすぐ言えよ。」


 あれから俺は、ファイを見る目が大きく変わった。”よくわかんない物”から、”ただコミュニケーションが特殊な奴”になったのだ。ファイに変化があった訳じゃない。俺の自分勝手な価値観が変わっただけ。でも、それだけで共感っていうのが今迄以上に出来るようになった。言葉が話せる話せないでベスか人かを分けるなんておかしいと言っておきながら、結局自分はその理に従っていたのだ。なんて情けない話だろうか。


「ファイ、私ルウィアに付いてくから引き車の見張りして貰っていい?」

「そ、それは僕が頼む事だよ。」

「そうなの?」

「そう。」


 普通のやり取りなのにそれがイチャつきに感じてしまう。別に変じゃないよな。


『チキッ。』


 ミザリーの店に入っていく二人。取り残される二人。


「ファイ、お前もそろそろ子離れしなきゃかもな。」


『3.7』


「ははっ、そうかよ。」

「ソーゴさん、何してるの? 早くおいでよ。」


 扉から半身を出して俺を誘ってきたアロゥロ。


「俺? ……俺はいいや。」

「なんで?」


 ミザリー、苦手なんだよな……。なんというか、今の気持ちでは会いたくない。


「なんでも。」

「ふーん……。」


 何かに納得してアロゥロは店へ戻っていった。


『チキッ?』


 ファイも不思議そうに俺の方を向くが、まぁ……なんというか相性みたいなもんだし……。別にクソなだけのババァではないとはわかってるんだけどなんというか……。


「あの、ソーゴさん、入って来て下さいとミザリーさんが……。」


 今度はルウィアが俺を呼ぶ。いや、呼んでんのはミザリーか……。


「なんでだよ?」

「えっと、服の様子を見たいそうです。」

「あー……。」


 俺はそれを聞いて今自分の身に纏っている布を見る。丈夫に作ったと言っていたし、荒事の際には脱いでいた事もあって大きな傷は無い。そう。大きな傷”は”無い。ぶっちゃけちょっとした穴とかなら結構空いてたりする。血の染みとかも付いてたりするんだよなぁ……。なるべくミィに洗ってもらったりしてはいたんだが……。


 …………怒られるかな?


 ……やだなぁ。


「どきな。」

「わっ。」

「なぁにやってんだい! 早く来いってってんだよ!」

「げぇっ!?」


 ルウィアを押しのけて扉から姿を現したのは老いを武器としてかざす棘々蜥蜴とかげの老婆。


「なぁんだいその態度は……んん!? あんたボロボロじゃないか!」

「いや、えっとぉ~……これはぁ…………。」

「早くこっちへ来て見せな!」

「……はい。」


 ドアチャイムを遮る様に再度閉じる扉。別に金も払ってないのだからその言葉に従う必要なんて微塵も無いと思うのだが、何故かミザリーの言葉に逆らうのは難しい。なので、俺は項垂うなだれながら三つ足で扉に歩みを進めた。


「アメリ、落ちるなよ。」

「……。」


 精神損傷では仕方ないのだが、マレフィムが話せないとなんとも賑わいに物足りなさを感じる。ルウィアとアロゥロはベットリだし……ファイは寂しくないのかな。せめてミィと話せれば…………駄目駄目だ。余計な事は考えずに店に入ろう。


 俺は手の上のマレフィムを落とさないよう気を付けながら鼻先で扉を押す。戦いの始まりを知らせる様に鳴くドアチャイム。


「おたくの服の件はわかったよ。……ちょっと男前になったかい?」

「や、そんな……。」

「新しいのを連れてきたかと思えば中々いい子じゃないか。騙しちゃいないだろうね?」

「そ、そんな事しないですよ!」

「それで? 嬢ちゃんはどうしたんだい。」


 俺の手の上のマレフィムを見てミザリーが早速違和感を覚えたらしい。


「…………すみ、ません。」

「精神損傷だよ。最近ちょっと無理してさ。」

「中々な重症じゃないか。どれ嬢ちゃん、ちょっと失礼するよ。」

「…………はぃ。」


 ぐったりとするマレフィムを俺の手からそっと受け取り、両脇の下に指を通し、臀部の下にもう片方の手のひらを置いてゆっくりと机の上に仰向けで横たわらせる。マレフィムの赤いドレスは見慣れても未だ美しい。


「嬢ちゃんの服はそこまで問題なさそうだね。不変種は服一着じゃ足りないだろうに……。」

「えぇー! このドレスっておばさんが作ったんですか!?」

「わたしはオバさんじゃなくオバアさんだよ。若造なんかと一緒にしないどくれ。でも、そうさ。この素晴らしいドレスはわたしが作ったんだよ。」

「オバアさん凄い!」

「だろ? もっと褒めな。ヒヒヒッ。」


 笑いながらマレフィムの身体を動かして細部を確認するミザリー。だが、それも終えたのかルウィアの方を向く。


「採寸をしなきゃだね。一仕事終わったんだろ? その後は豪遊するなんてちゃんとした教育を受けてんじゃあないか。」

「い、いや、そういうつもりじゃ……。」

「そこは頷くんだよ! ぼったくられたいのかい?」

「え、い、いや……。」

「ま、面白い話を聞かせてくれるなら安くしてやらない事もない。こら、アンタ、見るのは構わないけど下手に触るんじゃないよ。」

「はい!」


 店の中にある図面と思わしき皮紙の束を触ろうとして怒られるアロゥロ。何やってんだか。


「旦那はさっさとその服脱ぎな!」

「はい!」


 ……人の事言えないか。まるで肝っ玉母ちゃんと幼児達だ。今服を剥かれてるルウィアが泣き出せば完璧だな。


「ちょ、ちょっと恥ずかしいんですけど……。」

「こんなの恥ずかしがってんじゃないよ! デミ化してんだろ!」

「そ、そうですけどぉ……!」

「じっとし! ほれピシッと!」

「はい……!」


 情けないやり取りを聞き流しながら俺は服を脱ぐ。この服は本当に丈夫で、俺の爪が当たったくらいじゃ全く傷つきもしない。一体どんな素材を使ってるのやら……。だが、おかげで少し荒っぽく扱ってもいいんだよな。そう考えると、穴が開いた原因の方が気になってくるけど……。


「それで? マーテルムには着けたんだろうね?」

「は、はい、なんとか。」

「東から行ったんだろ? しかも陸路で。引き車は店の前のオンボロかい? 命知らずだねぇ。でも、成し遂げたってんならあんたは間違っちゃいなかったんだろうさ。」

「そう……だといいんですけどね。」


 和やかな雰囲気だが、全裸の想い人が近くにいるのにアロゥロは何も気にせずマレフィムのドレス見ながら話している。……マレフィムはマトモに反応出来てないけど。にしても、アロゥロってやっぱり性的な知識な事に関しての恥を感じる部分がちょっとズレてるよな……。いや、俺がおかしいのかな……? 少なくとも植人種は色々な意味で少数派なんだ。だからアロゥロが俺達と違うんだと思う。それに全裸って言ったけど、服を着てないって意味なら角狼族の人達は殆ど全裸だったよな……。


 その後、ルウィアの採寸を終えちょっとした要望を聞き木紙に書き留めると今度は俺のを拡げるミザリー。


「なぁんだいこれはぁ!」

「……。」

「わたしゃ結構丈夫に仕上げたはずだったんだけどねぇ。ったく野蛮だよ野蛮。」

「色々あってさ……。」

「みたいだねぇ。……これ預かってもいいのかい?」

「えっ? 直してくれんのか?」

「当然だろ。わたしが作ったんだ。他の奴に弄られるよりは、わたしがどうにかしてやりたいってのが親心さね。」

「あり――。」

「でもエーテル代金は貰うよ。」

「なっ!?」

「驚いたかい? 仕事を頼むのに給金が必要なのかって驚いたのかい? わたしゃ”仕事”をするんだ。後悔はさせないよ。ヒッヒッ。」


 ば……ババァ……! 


 俺はまたシテやられたってのかよ……!

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