第146頁目 他人と自分の境界線は何処?

「その変換魔法はソーゴさんの口調が変わった時に使用されたのですよね?」

「(そうだね。でも、変換魔法のせいで口調が変わったとかもありえるかも。どっちが先かはわかんないかな……。)」

「何にせよ。口調と変換魔法は関わりがありそうです。知り得ないはずの記憶がソーゴさんの中に存在している。今思い返しますと角狼族の村で見たと言っていたあの焼き菓子や料理の知識も不可解だったのですよ。恐らくソーゴさんはもう一つの記憶と自分の記憶が混在している可能性がございます。」

「あ、いや、それは……。」


 話の流れがまさかの方向を向いて口よどむ。焼き菓子は明確に前世の知識だと言えるのだ。あの時の”もう一人の俺”は一切関与していないだろう。


「ソーゴさん、大丈夫ですか? 無理をせずにで構いません。あの焼き菓子は本当に角狼族の村で知ったのでしょうか? 村の何処で? 何方どなたから教わったのです?」

「え……ぅ………………わ、わからない。」

「やはり、そうなのですね?」

「(だよね。私の記憶にもないもん。ならやっぱり……。)」

「記憶が混ざっているという事なのでしょう。」

「(魔石、かな。)」

「白銀竜が授けた魔石、或いはドダンガイの魔石の記憶がソーゴさんの記憶に混ざり込んでいる……という事でしょうか。」

「(ここまで混ざっちゃうと以前のクロロはもういなくなってるのかもしれない。)」

「ど、どういう事です?」

「(私はクロロが魔石の力を取り込んでるだけなのかなって思ってた。でも、クロロと魔石は境目無く交わっていってる。もう何処からがクロロで何処までが魔石なのかわからなくなるほどに。こうなったらもう……クロロはもうクロロじゃない。)」


 なんだかとんでもない話になってきた。でも本当の所、そこまで深刻な状態には至ってない……はずだ。自覚無くそういう症状が出てきたらどうしようもないんだけどさ……。でも、いつかはそんな事になるのかな。俺がいつの間にか大穴の頃の俺とは……『倉木宗吾』とは完全に別の……。


 ん?


「な、なぁ……。」

「どうしました?」

「その、記憶が混ざるって話だけど……成長とは違うのか?」

「成長、ですか。」

「(全然違うよ! クロロが持ってなかった経験や知識がクロロに混ざってクロロの考え方まで歪んじゃうんだよ?)」

「いや、歪むって言うけど、ただ他のことわりってか知識を知って考え方が変わっただけだろ? それって成長じゃんか。」

「(違う! クロロは焼き菓子を何処で知ったのかわからないのにその知識を使おうとしたの。そこへ至る筋道は何一つ繋がってないのにだよ? それはつまり別次元のことわりって事。例えるなら、クロロは足も無いのに浮き上がって他の人と目線が合ってるの。他の人は更に高みを見る為に足を伸ばして背伸びをするよ? でもクロロは足の存在を知らないからまずどうすればいいかわからない。なんで浮けているかもわからない。これがどれだけ危ないかわかる?)」

「……ま、まぁ、うん。」


 確かに、不可解な事とはそういう事だ。今後どうするか、以前に今を維持する方法からしてわからない。ミィの例え話を借りるなら、俺は他人と目を合わせられていたのは浮き上がっていたのではなく、落下途中である可能性すらある訳だ。筋道の無い考えとはそれ程に不安定で危険な可能性を秘めている。だが……。


「でも、アメリ達は俺の知識で上手くいった。それは実際に得られた成果だろ?」

「(そうだね。運が良かった。クロロが提案したレシピが実は毒物のレシピで毒物であるという知識だけが欠如していた……なんてケースではなかったんだから。)」

「そんな大袈裟な――。」

「(大袈裟? そう言い切れる? 食べ物の中には特定の組み合わせで毒が生じる物だってあるんだよ? ドダンガイですら危険なのに、白銀竜の持ってきた魔石に関しては何一つわかっちゃいない。)」

「ミ、ミィさん、落ち着いて下さい。」

「(……。)」

「いや……うん。そうだな……。大袈裟って言ったのは軽率だった。俺ならともかくルウィア達の念願の商談を台無しにしてたかもしれないんだもんな……。」

「(あ、あの時は仕方ないよ。だってクロロがそんな状態だなんてわからなかったんだし……。でも、これからは別。なるべく、クロロが思い浮かんだ知識で私達が疑問に思ったら注意深く辻褄を合わせるようにしよ。)」

「……わかった。」

「(私はクロロが好きなの。クロロが何処へ行こうと何になろうとそれはクロロだけど、クロロと繋がっていない物はクロロじゃない。)」


 俺と繋がってないない俺は俺じゃない……か。当たり前の事なんだろうけど、こうハッキリと言われる事じゃないよな。


「それは私も同意見です。ソーゴさんはまだお若いのですから今後アストラルも移り変わってゆくでしょう。ですが、それはソーゴさんから生まれたソーゴさんを起点とした姿です。他人をはたしてソーゴさんなのか? なんて疑問を抱くのは正常ではありませんよね。」

「他人……俺の中にはその”他人”が二人もいるって事なんだな……。」

「口調も変わったらしいですね?」

「(なんか鼻につくようなクロロらしくない気障きざな感じだった。クロロも時々気障きざっぽい時あるけど、それとはまた違う感じの気障きざったらしさって感じ。クロロのはダサいんだけど、あっちは気持ち悪い様な?)」


 なんで俺ごとダメージを与えてくるのかな?


「少し見てみたいですね。」

「(あんなクロロにはなって欲しくないなぁ。)」

「ま、まぁ……変だったよな。あの時、俺は誰かに身体を勝手に動かされているみたいな感覚だった。」

「アストラルかマテリアルに強いダメージを受けた衝撃でアストラルがシャッフルされたという事なのでしょうかね……。」

「って事はあんな奴が俺の中に入ってんのか……。何処のどいつだか知らないけど俺とは馬が合わなそうだな。」


 でも、あいつがいなかったら俺はきっと……。


 ……悔しいなぁ。テレーゼァが”体力は願いを叶える力”って言ってたっけ。あれもきっと答えの一つなんだと思う。俺にも願いを叶える力が欲しい。でも、あの時俺は願いを捻じ曲げられていた。俺の願いはザズィーに後悔させる事だったのに、いつの間にか殺したいって……。


 それを違和感なく受け入れていた。それがつまりミィの言う”別次元のことわり”なんだ。


 殺そう。それはミィの意見ってだけじゃなかった。俺も思ってたんだ。だからこそ同意した。でも、その『殺そう』に至った理由までは考えなかったんだよな。間違いなくウィールを殺されたのは悲しかったし恨んだよ。でも、だからってそのまま迷いなくザズィーを殺そうなんて思えない。他の奴は知らないけど、俺はそうなんだ。それなのに……。


 今更になって恐怖がこみ上げてくる。


 自覚なく自分が変わっている事に違和感を覚えてしまった事。変化に気付いてしまった事。これから浮かぶ考えも全て……疑わないといけないのかな……。


「ソーゴさん。心配しないで下さい。私が違和感を感じればすぐにソーゴさんへ問いましょう。それは貴方なのかと。」

「……アメリ。」

「そして、謝らせて下さい。ソーゴさんの辛い時に傍に居られなかった事を。」

「それは違う。謝る事なんかじゃない。」

「貴方ならそう言うと思っていました。ですが、私だってソーゴさんのお力になれず悔しいと思うのです。この思いは私が私を叱責するだけでは消えません。」

「……なら、偶にでいいから風の扱い方を教えてくれよ。」

「ふふっ、任せて下さい!」

「(本当に魔石についてはわからない事ばっかりだからね……。変換魔法使ったりなんてするし……。)」

「その変換魔法を使用していた事なのですが、つまりその魔石は変換魔法が普及していた時代の英雄という事ですよね?」

「(普通に考えたらそうだね。)」

「魔石になる程の英雄は限られるでしょうし、特定はそこまで難しくないのではないでしょうか。」


 確かにそうだ。ドダンガイって例を見ても魔石になったって事は災害とされる場合すらある程の人という事なんだ。それが歴史上に何人もいるのだろうか。


「(ヒントが少なすぎるよ。それに大戦時とか権威とか鼓舞の為とかで英雄いっぱいいたんだよ?)」

「そ、そういった小物の英雄は別ですよ。」

「(小物っていうけど実力と評価は別にくっついてないんだよ?)」

「むぅ……やはり白銀竜本人から伺うのが一番ですね……。」

「(そーそー。わかんないと言えばクロロの墨魔法も謎なんだし。)」

「墨魔法とやらはまだ見た事がないのですよね。」

「(狩りの時しか使わないしね。)」

「こんなんだよ。」


 俺はそう短く言い、マレフィムの前に黒い液体を顕現する。そして、重量に従いそれは落ち……るのだが、その場で顕現された液体は慣性の法則に従わず俺の身体に降りかかる。


「うわっ!? なんなんだい!? 墨!?」


 後ろを走っていたアムを間をすり抜け操舵席に座るシィズに掛かってしまったようだ。流石にまずい。


「わりぃ! 俺の魔法だ! すぐにマナに還るはずだから!」

「本当かい!? もし消えなかったら弁償してもらうよ!」

「お、おう!」


 お、恐ろしい……考えなしに魔法使ったせいで……。俺はもう少し思慮深くなるべきかもしれない。


「……えー……それが墨魔法なのですね。真っ黒で本当に墨のようです。」

「だろ? でも見てくれ。」


 俺は掌に墨を付着させてマレフィムに近づける。掌には皺一つ見当たらない。


「これは……?」


 マレフィムが俺の掌を興味深そうに覗き込む。


「異様です……こんな事がありえるのですか?」


 蒸発する様に墨はマナへと還っていき、俺の本来の掌が露わになっていく。灰色の鱗と、黒い皺のある掌に。


「暗黒、とは正にそれの事を言うのでしょう。」

「(うん。クロロの顕現する墨は光を吸収しきっちゃうんだ。それを覆われたら視覚的情報は役に立たない。)」

「それはただの”黒”になってしまうのですね……。」

「ははっ、災竜に相応しいかもな。」

「よして下さい。偶然です。これも魔石の影響なのでしょう。」

「(クロロは不思議なくらい魔法が下手なのに、いざ出来たと思ったらこの魔法だもんね。)」

「そうですねぇ。日常で触れていたら得手不得手はあれど、なんでも顕現出来るはずなのですが。」

「(でも、魔力は高いんだから自信持ってよね。顕現さえ出来たら大体完成度も高いし!)」

「墨魔法も普通の人は使えないはずです。魔石の断片である可能性もあるので使用する際には注意した方がいいと思いますが、ミィさんに相談しながら少しずつ使っていきましょう。」

「(あの魔法だって無害だってわかるまで色々実験したんだよ?)」

「そうだな。ベスに使ったりとかしてな。」

「(すぐマナに還っちゃうから検証も大変だった。)」

「そのようですね。」


 気付けばもう墨はもう完全に消滅していた。


「これ、恐らく説明を要求されますよ?」


 その懸念は後に形となる。休憩のタイミングで引き車から降りた後、”一度”汚された事の代価としてどれだけ質問をされた事か……。竜人種の秘密の魔法って……そんな訳ないだろ……。


 

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