第130頁目 心配事が多過ぎませんか?

「ご無事ですか!?」


 風でこの蒸気を吹き飛ばさなければ! 


 なるべく強く効率よく巻き取れるよう旋風を顕現して蒸気を集め、上がってこれぬよう下に押し付けます。まずは村長様の様子を確認しなくては……!


「ぬぅ……。」


 村長様は浴場の縁に顎を乗せてグッタリとしていました。想像も出来ない痛みにより動く事もままならないのかもしれません。しかし、彼の巨体を持ち上げるほどの魔法なんて私の可使量では不可能なのです!


「(ミィさん! 村長様を湯から出して下さい!)」

「(待って。)」


 何故か私を制するミィさん。何か考えがあるのでしょうか。


「アメリよ……これは素晴らしい。素晴らしいぞ……!」

「……はい?」


 村長様から頂いた意外な称賛の言葉に理解が追いつきません。私は村長様の言葉を聞き誤ったのでしょうか。確か、全身を剣で貫かれる様な激痛だと……。


「私は湯浴ゆあみをそこまで好まないのだ。溶岩浴をする同胞も多いが、あれはすすとりが面倒であるからな……。」

「溶岩浴……ってまさか溶岩に入るのですか!?」

「あぁ、そうだ。熱に強い身体を持つ竜人種の特権なのだがな。溶岩が固まる前に身体から落とすのはコツが要る上、煤がこびりつくと鱗や甲殻が生え変わるまで煤けたままと聞く。なれば幾ら心地よいと聞けど試す気は起きぬ。」

「な、なるほど……。」

「しかし、このパリツィンの湯はどうだ! ぬるくはあるが、不快ではない。そして、この強き刺激よ! たまらぬな! これは湯にパリツィンを入れるだけなのか?」

「その通りでございます。……痛くはないのですか?」

「痛いぞ。だが、それがいい。」

「は、はぁ……。」


 痛みがいい? パリツィン然り、モッピィ然り、竜人種の嗜好は本当によくわかりません……。


「この様な事が出来るのであれば、間違いなくパリツィンの発注量は増えるだろう。」

「おや、もうそんな事を言ってよいのですか?」

「……うむ。しかし、良くない事もある。」

「と、言いますと?」

「場合によってはルウィアの運ぶ量だけでは足りないという事だ。」

「!? それはつまり他の業者に頼むという事ですか?」


 なんと! やりすぎてもならないとは……! しかし、道理ですよね。あの量だったからこそ引き車一台が最適だったのです。もし、膨大な量が求められたとしたら空輸で一度に購入した方が何倍も早く安く仕上がるでしょう。


 ……やってしまいました。


「そう心配せずともルウィアとの縁を切る気はあるまい。お前は言ったではないか。投資だと。」

「それはそうですが……その投資と他の方に頼むという件に関係なんて……。」

「私は追加で報酬を払おうと言っているのだ。ルウィアがもっと多くの量を運べるようになればいいのだろう?」

「……それは、本気で仰っているのですか?」



「――この言葉を誇ろう。」



 月を吸い込んだ様な目ではっきりとそう口にする村長様。それはつまり、言葉をたがえる事を許さないという事です。確たる誓い。私はそれ以上疑う事こそ無粋だと悟りました。


「ありがとうございます。」

「うむ。しかし、私はこの月下の水煙をもう少し楽しみたい。であるからして、少し離れて居てはくれないか?」

「なるほど。わかりました。それでは気の済むまでお楽しみ下さい。」


 私が村長様の近くで話す為に蒸気を吹き飛ばしていますからね。要望通り離れるとしましょう。なんだか、気持ちよさそうな村長様を見ていたら私も久々に湯浴みをしたくなってしまいました。


「(ミィさん。お願いがあるのですが……。)」

「(……。)」

「(ミィさん……?)」

「(……あっ。ごめん、マレフィム。今、本体と通信が切れた。)」

「(はい?)」

「(気遣ってくれたんだと思う。)」

「(どういう事です?)」


 私の身に付いて下さっているミィさんはクロロさんに付いている本体から分かれた分身体と伺っています。どの様な魔法でそんな事を可能にしているのかは全く見当もつかないのですが……精霊様と言うからには私には理解の及ばない方法でそれを行っているのでしょう。しかし、『切れた』とは……? 故意ではないかの様な言い方です。ミィさんにそうそう容易く不都合が起きるとは考えられません。先日のゴーレム襲撃に近い………………。


「(……まさか、クロロさんの身に何か!)」

「(うん。でも、大丈夫だよ。私が付いてるから。)」

「(しかし……!)」

「(落ち着いて。私だって少し動揺してるんだから。本体の判断は正しいよ。私は分身ってだけで本体と同じ価値観、人格を持ってる。だから、意見の対立って事は基本的にないの。だからこそ本当にクロロがピンチになってたらルウィア達に付いている私達も含めて全員真っ先に君達を放り出して助けに行っちゃうはず。それを防ぐ為の緊急措置なの。)」

「(それはつまり、クロロさんに大きな危機が訪れる可能性があるって意味ではないですか!)」

「(……やめてよ。そんな事は私達だってわかりきってるんだから。)」


 そう声を落とすミィさんにハッとしました。彼女は思念が途切れる寸前の出来事を知っているはずなのです。私以上にクロロさんの元へ向かいたいのを堪えているのでしょう。であれば私はどうするべきか。ミィさんが何を望んでこういった事をしたのか。……それを叶えるべきなんですよね。


「(……わかりました。ミィさん、久々にアレをお願い出来ますか?)」

「(アレ……?)」


 察して頂けなかったので、改めて軽く説明すると一瞬で真ん丸とした温かい水球が出来上がります。そこへゆっくりと足を入れる私。跳ねる水音、重みを増す真紅のドレス。肌に貼り付く布がまるで私を包み込む布団の様な温もりを与えてくれます。そして、不自然な水流が私の身体を支え、気分はまるで浮草のよう。


「(私達は私達で戦いに勝利せねばなりません。どうにか、素敵な夜である事を願いましょう。)」

「(……そう、だね。)」


 クロロさんにとっても。



*****



 湯浴みに満足して村長様と洞穴に戻りますと、すぐにルウィアさんとアロゥロさんが駆け寄ってきました。


「(ア、アメリさん! えっと、ソ、ソーゴさんが!)」

「(えぇ、聞いていますよ。今はミィさんとソーゴさんを信じるしかありません。)」


 やはり、ミィさんから聞いていたのでしょう。


「(ルウィア、落ち着いて。ミィ様とアメリさんの方が心配してるはずなんだから。)」

「(で、でも……。)」

「(大丈夫だよ。ミィ様が付いてるんだから!)」

「(その通りです! 私達は商談に集中しましょう!)」


 不穏な空気を取り除く為にも”投資”について教えてあげましょうかね。しかし、楽観的になり過ぎるというのも……。


「ゲラル! 何処に行ってたんだ! お前全然食ってないだろう!」

「ぬ?」

「皆殆ど食っちまったぞ! あ、でもこれだけは残しておいたんだ。」

「ふん。全て平らげても良かったのだがな。私は十分……。」

「ほら、コレ食えよ。」


 つくろわずにずかずかと村長様に料理の盛られた皿を押し付ける村人の男。仲のよい間柄なのでしょう。フワフワの羽毛を纏ってるという事は飛竜でしょうかね。


「む、なんだこれは。肉と……モッピィ? はん。これを作ったのどいつだ。」

「テレーゼァに決まってるだろう。」

「何ぃ? これをか?」


 驚きとあざけりを合わせたような表情でテレーゼァ様と料理を見比べる村長様。気付いていない風を装っていますが、テレーゼァ様のこめかみ辺りがヒクついているのが見て取れます。


「ついに耄碌もうろくしたのか?」


 流石にこの挑発はテレーゼァ様も無視出来なかった様です。


「食べたくないなら食べなくて結構よ。聞けば私が作った料理は焼き菓子以外口も付けていないそうじゃない。」

「ふん。私の元へ戻るというのであれば口にしてやって……。」

「まぁまぁまぁまぁ! おいこら、馬鹿ゲラル! クソみてえな意地を張るな! 悪いなテレーゼァ。」

「ふん……。」

「クソとはなんだ! 見ろ! あの賢しきテレーゼァがモッピィを加熱したのだぞ? 耄碌もうろくしたとしか思っ!?」

「はいドーン!」

「グウッ!?」


 なんと男は皿の上の料理を鷲掴みにして喚く村長様の口に押し込んだのです。なんという力技! こうなっては村長様も料理を咀嚼そしゃくするしかありません。流石に吐き出す事は出来なかったのでしょうね。


「ぬ? ……んぐ……しっかりとモッピィの辛味がある。少し黄色み掛かっていたからてっきり加熱したと思っていたのだが……。」

「加熱してあるぞ。テレーゼァが加熱しても辛味が減りにくくなる方法を教えてくれたんだよ。」

「何? そんな馬鹿な事が……。」

「でも辛いだろ?」

「まぁ……確かに辛いが……。」

「実はな、カイチって奴を溶かしてモッピィに染みさせると辛味が落ちないらしい。」

「何!? カイチだと!?」


 ふふふ! モッピィの辛味を消えにくくする方法は切り札ですからね! 驚いて貰わなくては困ります!


「カイチを使ったのか!?」

「あ、あぁ。俺も初めて聞いた香辛料だから知らなかったんだが、そんな方法があるなんてな!」

「ルウィア! どれ程だ! 試作でどれ程使ったのだ!」

「え、えぇ? えっと……多分全部でこれくらいですけど……。」


 村長様の剣幕に気圧けおされてルウィアさんがモッピィの肉炒めに使った量を手で掬ってお見せします。しかし、なんだか村長の反応がおかしいような……。


「そん……なに……。」

「……何? 使ってもいいと言ったのは貴方でしょう。」


 衝撃を受けているかの様な態度の村長様にテレーゼァ様も違和感を感じたようです。


「おい、ゲラル。これからはカイチも仕入れてくれよ。俺、モッピィ大好きなんだよなぁ。」

「「はい?」」


 私とルウィアさんが同時に疑問の声を漏らします。


「えっと……カイチは村長様の意向でパリツィンやモッピィ程の量ではないとは言え毎回納品させて頂いているはずなんですけど……。」

「何? だが、カイチなんて初めて知ったぞ? カイチを知ってる奴はいたか?」


 男が他の村人の顔を回し見ますが、誰一人ご存知の方はいそうにありません。


「どういうこった? おい、ゲラル。毎年仕入れてたんだろ?」

「あ! 私それ村長が温めたベスの乳に入れてるの見たことある!」

「え? その……カイチをですか?」

「ルウィアさん、カイチを温めたベスの乳に入れるとどうなるのです?」

「どうなるも何もトロトロになって甘くなるだけだと思いますけど……。」


 そう言えばカイチは甘みが足されるのでしたね。それともモッピィの様に何か特別な組み合わせであるとか……。


「……なるほどな。ゲラル、お前……恥かきたくなくて隠してた訳か。」

「どういう事です?」

「ど、どうもこうもない! ただ話す必要が無いから話していなかっただけだ! カイチは私が個人で支払っている。村の共有財産から支払ってはいない!」

「良かったな! 甘味大好きゲラルさんよ! これから村の共有財産でカイチが買えるぞ!」

「わ、私は別に甘味など……!」

 

 甘味が好き……? では焼き菓子ばかり食べていたのはそういう……!


「あ、あぁ、そういう事だったんですね。この一年分とは思えない少量の甘味料は……ヒッ!?。」

「止めなさい、甘味大好きゲラルさん。殺気をとばす程の事でもないでしょう、甘味大好きゲラルさん。私達は夫婦であったというのに甘味大好きゲラルさんが甘味大好きゲラルさんだなんて知らなかったわ。これでは良き妻だったとは言えないわね。」

「くぅっ! よりによってテレーゼァにまで知られてしまうとは……!」

「何百年も一緒に過ごしていたのにまだ知らない事があるなんてね。それとも夫婦なんてそんなものなのかしら。」

「違う! 断じて違うぞ! 私は甘味など……。」

「私の料理に口も付けず焼き菓子にしか手を付けなかったのはそういう事。」

「いえ、テレーゼァ様の料理は食べなくても美味いに決まっていると先ほど……。」

「お前!」

「ひゃいっ!?」


 うぐっ!? 魔力調整を誤って姿勢を崩しそうになりました……! こ、これが刺鏖竜しおうりゅう族の殺気!?


「ルウィアもお前も客の機嫌を取るという事を覚えるべきのようだな……。」


 心臓に爪を立てられているような痛みが胸を襲います。何もされていないのですよね!? 殺されてしまう……!


 そんな恐怖の中、一瞬ですが目の端で誰かが村長様の側へ跳躍した気がしました。



 ――直後。



「ふん!」

「ガアッ!?」


 ふと意識に降る身体が浮かぶような感覚。


「アメリさん!」

「……アロゥロさん?」

「大丈夫? 急に落ちるから吃驚びっくりしたよ。」

「私も驚き……というか恐怖しましたよ。」


 アロゥロさんの腕の中で村長様がいた方を見るとテレーゼァ様の足元に……村長様が転がっています。アレはテレーゼァ様だったのですね……。


「すまねぇな、テレーゼァ。」

「構わないわ。よくわからない事に意地を張るのが雄なのでしょう。」

「はは……それを雄の俺に言わないでくれよ。とりあえず一旦こいつは俺が家に運ぶ。後は……好きにやってくれ。」


 やってしまわれましたか……。


 これは……なんとも商談の行方が心配になってきましたね。

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