第121頁目 常識は何の為に必要なの?

「うぉっまぶしっ。」


 そこは大量の輝くランプが低い棚にずらりと並べられている部屋だった。橙色の光、これってウィールの部屋っぽい所にも置かれてた奴か?


『○○○!』


 ウィールが何かを言って棚の横の光源が沢山壁に貼り付いている大きい籠の中に入った。その籠は細かい骨で組まれている。そして、大人のネズミなら天井に手が届くであろう程の大きさで、俺が辛うじて入れるくらいの高さだ。しかし、横は広い。俺は籠の中に入らず外から見ていたところ、ウィールが光源の一つに手を伸ばした。するとその光源は更に輝きを増し始めたのだ。


『フゥッ!』


 その光源に向け息を一吹きするウィール。すると、火を吹き消されたかの様に光が治まっていく。先程までの電球の様な強い光はなんだったのだろう。


『○○○! ○○○○○!』


「えっ? なんだこれ??」


 ウィールはすっかり光を発さなくなった光源を俺の前にかざす。それは周りから照らされる光を跳ね返す光沢を持ち、立派な角を天に向け掲げる美しい黒き昆虫。


 …………甲虫かぶとむし


 に見えるが、よく見ると背中の殻が甲虫ではなく団子虫だんごむしっぽく甲殻が重ね重ねになっている。丸まれんのかな? これだと翅が無いから飛べないんじゃないか? それに角も太いし、先が二又に別れていない。それを踏まえると黒光りしていて、立派な一本角があるからってだけで俺はこいつを甲虫だと思ったのか。ま、まぁ、甲虫が好きだったのってすげぇガキの頃だしな! ……ってこいつが光ってたのかよ! じゃあ籠の中で光ってるアレもソレも全部コイツなのか!?


 ……ほたる甲虫かぶとむし団子虫だんごむしのキメラ?


 なんとも素朴な感想である。しかし、ネズミ達はその虫を繁殖させて籠に入れ光源に使っているという事だ。ヒカリゴケの様な蛍光色の光だけじゃ目も悪くしそうだしな。でも、こいつもちょっと光量強過ぎんよ……なんてしかめっ面をしてしまったが、そんな反応が嬉しかったのかもしれない。ウィールは更にはしゃいで次の部屋へ案内を再開する。


 ネズミ達の巣は本当に広大だった。根菜が所狭しと干してあった料理部屋、産まれたばかりと思われる赤ちゃんネズミ達の育児部屋、ヒカリゴケ農場に、光る藻で煌めく地下井戸。


『○○○○○!』


終わいか終わりかえっこぅあのひかっはぉ結構楽しかったぞ。」

「(ちゃんと食べ終わってから話しなよ。いくら通じないっていっても失礼じゃない?)」


 陽もかたむまばゆい星だけが主張を始める時間。俺は料理部屋でお土産代わりに貰った干芋みたいな食べ物を頬張りながら辺りを見回す。巣の外には誰もいないし明かりもない。ここには命があることを悟られてはならないからだ。もしかしたら陽が出てる内には客を帰せない、みたいな言いつけとかもあったのかもな。どんな理由であれ、知らない部族の文化を知るというのは存外面白いのだと白銀竜の森で俺は学んだのだ。ちょっとマレフィムの影響もあるかもしれないけど……。


「ゴクンッ。うん。美味い。これが何かわかれば……。」

「(手伝えって事? そろそろお金エーテルとか払って貰おうかな。)」

「(ま、まだ何も言って無いだろ!)」

「(もう動揺してる時点でバレバレだよ。)」


『ァソーゴ、○○○○、○○○○○○。』


「うん?」


 ウィールが空を見上げながら俺に何かを語りかけている。ここに白蛇族はいない。となると、その言葉を理解できる訳がないのだが雰囲気だけなら感じ取れる。喜怒哀楽は同じく持っているのだから。


『○○○○○、○○○○。』


 落ち着いた語り口。寂しいと言っているのか、嬉しいと言っているのか、ありがとうと言っているのか……。それを判断しようとしてる間にもウィールは言葉を続ける。俺はその意味がわからないまま聞いているべきだったのかもしれないが、遮ってまで聞きたい事が一つあった。その聞きたい事も通じないというのに。


「なぁ、俺達って……友達、だよな……?」


 何の意味もない質問。だが、価値があった。足掻いたという事実が欲しかったのだ。それを責める者はいない。弁明する相手もいない。


 ……本当にそうなのだろうか。


 俺はウィールを友達だと思っていると俺自身に見せたかっただけじゃないのか?


『……○○!』


 俺の葛藤なんて知る由もないウィールは短く返事をした。明るく、いつもの様に。


「だとして何が悪いってんだ。」

「(悪いって?)」

「(……なんでも。)」


『ァソーゴ、○○○○。』


 急に背を向けて進み出すウィール。どうやら、まだ案内する場所があるらしい。外に何か造るなんて危険だろうに……ってそうか。帰り道か。多分ウィールはこの村に残るはずだ。無理矢理連れ出して養う事だって出来ないし、ルウィア達にも迷惑が掛かる。捨て犬を拾ってきた子供じゃあるまいし、捨てられてもいないんだ。ウィール達にはウィール達の幸福がある。そう思わないと、理由も考えたくない焦燥感がこみ上げてきてしまう。


 ウィールは俺を連れてきた時の道を戻る。巣の中程ではないが複雑に入り組み、崖の隙間や雪の少ない氷の地面を過ぎていく道とも言えない道だ。会話なんてする事もなく歩き続けていれば月明かりの眩しい雪原に着いていた。正確な道筋はもう覚えていない。まるで狐に化かされた様な気分である。


『ァソーゴ、○○○○○。○○○○○○○、○○○。』


 結局最後まで何言ってるかわかんねぇな。でも、多分だが自分はここまでだと言っているに違いない。ここから勢いのある風が来る方を向いて視線で崖の縁をなぞればほら、テレーゼァが作ってくれた俺の隠れ家がある。


 ミィが何も言ってこないという事はルウィアの仕事はまだ終わっていないという事だ。


「また、会えるよな?」


『……?』


 こんな時に限ってウィールは返事を返さない。首を傾げる仕草は愛らしいが、ここは嘘でも何か一言欲しかったな。だが、それを考えれば友達かどうかの質問には返事を貰えたって事だ。なんて事を思い出しちょっぴり嬉しくなって視線をまた俺の隠れ家に戻す。


「じゃあ、またな。」


 俺はウィールの方を見ずに再び歩き始めた。


『○○○!』


 後ろから雪を刺す音は聞こえない。やはりここまでなのだ。俺は月明かりに包まれつつ闇を踏んで歩く。


「(なんだか不思議な出会いだったね。)」

「(そうだな。)」

「(やっぱり、あの外族を殺したこと気にしてるの?)」

「(少し、な。)」

「(ちょっと可愛いところはあったけど外族は外族だよ。それに命の瞬きを見たでしょ? 彼等は後悔をしてないの。)」

「(後悔をしていなかったら殺しても良いって訳じゃないだろ。)」

「(良くはないかもだけど悪くもないよ。)」


 隠れ家の入り口に着いて緩やかな坂を見上げれば既にウィールはいなかった。もう自分達の里へ返ったのだろう。


 楽しかった。楽しかったけど、その時間が悩みを生んだ。奴隷と言う存在が許されるのか。ネズミ達と白蛇族のあの関係は健全なのか。もっと良い状態があるんじゃないのか。それに俺が首を突っ込むべきなのか。


 差別なんて前世でも今世でもはっきり感じた事がない。故にこそ何が差別で何が差別じゃないのかわからないから、それによる苦しみなんて理解しようがないだろう。そして、それは宗教にも通じる。俺にとっちゃ熱狂的な信者なんて創作物の中にしかいなくて、日本じゃちょっとした何かの信者でさえ変わった奴、やべぇ奴だなんて思ったりしていた。……ウィール達の事をわかった気にすらなれないのか俺は。


 本人が満足していればそれでいい。それはとても甘い言葉で、容易く俺の脳を鈍らせてしまう。ウィールと仲良くなっていなかったのなら俺は即座にその通りだと同調していたはずだ。ウィールは白蛇族を神と崇め、もしあの大蛇に絞め殺されようが素直に受け止めて命を瞬かせていたかもしれない。だが、俺は見たんだ。締められる寸前にウィールが怯えた顔をしたあの瞬間を。俺は思ったんだ。ウィールに死んでほしくないと。この感情は本物だ。彼の感情を好き勝手決めつけられはしない。だが俺が不快だと思ったこの紛れもない感情はどう供養すればいい?


「(本当に二人きりだね。凄く……静かに感じる。)」

「(俺もだ。)」


 完全な暗闇となった隠れ家の中に入り、無造作に敷かれた革の上に伏せて沈黙に身を委ねる。干芋のおかげか、お腹の好き具合はいつも通り”しっかり空いている”程度で済んでいる。


 今迄縁を結んできた人達は漏れなく”人”と呼ばれる者だった。ダロウ達やアニーさん達、ルウィア達だってそうだ。でも、ウィールは違う。外族であり、前世で言うならば犬猫の様な立ち位置である。俺は前世でペットを飼った経験はなかったが、ペットだから雑に扱っていいとか死んでもいいとかは絶対ないと思うんだ。そして、いざとなれば処分するという奴隷の扱い。つまり、ウィールは家畜に近いという事なのだろう。


 命を悪戯に傷つけてはならない。人の物を盗ってはいけない。こんなのは子供でも知っている常識のはずだ。世の中は常識を守る事で色々”上手くいっている”んだろう。でもその常識のせいで俺にとって”上手くいかない”なら? そもそも常識ってなんだ? 俺が不幸になる常識をなんで守らなきゃいけない?


 まず命を悪戯に傷つけてはならないって人によって違うじゃんか。命は全部傷つけちゃいけない。防衛の為なら仕方ない。有用な命のみ傷つけてはならない……どれが正解だって言うんだよ。前世じゃ多分命は全部傷つけてはいけないってのが多数派だったけど、それは子供の頃から他人に迷惑を掛けちゃいけないって教わって育ったからで……何より、命は絶対的に尊い物だって皆が言ってたからだ。誰だって生きてるからにはそれが自分であれ他人であれ命を大事にしてた。でもその大事にしたい命で手一杯になっちゃって、持ちきれない命は皆雑に扱ってたんだ。それが許された社会だった。許さざるを得ない世界だった。


 なら……命は絶対的に尊い物じゃない?


 俺は生きる為に沢山の命を頂いてきた。どれだけ命を奪おうとそれが尊い物でない認識に変わった事なんて無い。でも、俺は命を雑に扱う行いに加担した事がある。例えば手長猿族とのいさかい、例えばルウィアと初めて会った時、例えば……ネズミ達に襲われて返り討ちにした時。彼等を死んでもいいと考えていたのはまだいいかもしれない。でも、それを飛び越えて彼等の命を汚らわしいと考えていなかったか?


 それだけじゃない。俺は今迄狩ったベスの命に敬意を払えていただろうか。


 ……敬意を払っていれば殺していい事になるのか?


「うんんんんんんん……。」

「クロロ……?」


 駄目だ。頭から煙が上がりそうだ。疑問がずれ、道筋は途絶え、袋小路が幾つも出来上がり問題が絡まっていく。今俺が求めているのはきっと……答えじゃない。


「ままならねえなぁ……。」

「何が?」

「色々だよ。」


 そう、色々だ。

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