第105頁目 嘘は言ってないよね?

 ここから見える雲はやけに疾く感じる。そう言えば、ライトが下から雲を照らす様を久しく見ていない。この身体になって見える夜空はいつだって星や月が朧を縁取る風景だ。純な心を持つ少年少女なら『見飽きる事ない輝き』だなんて表すのかもしれないが、俺だったら端から星空を捲り剥がして美味しそうな料理や可愛い動物の画像を敷き詰める……いや、美味しそうな料理を手が届かない所に置くのは馬鹿がする事だな。糞尿や死別の無い可愛い動物の画像だけでいい。それこそが、『見飽きる事ない輝き』なんだ。


「お疲れ様。少しずつではあるけれど、身体の使い方を覚えてきたんじゃないかしら。」


 テレーゼァから竜人種としての修行を受け始めて1週間くらいが経った。未だ村には着かないという微毒の様な現実に喘ぎながら、毎日たらふく肉が食えるという幸福で酸素を得る。しかし、翌日の日中に襲ってくる打撲傷の痛みと疲労による倦怠感。今日だってかなりの痛みを身体で受け止めた。俺が乗ってない方のテレーゼァの翼には大量のベスが積まれているが、あの数に比例して『やぁ。』と訪ねてくる痛みが既に怖い。謂わば痛みの貯金だ。未だ来てないがこれから来る痛み。名付けて『未痛』だとでも言おうか。


「そんな褒められる様な狩り方でしたか……? 今日もかなり貰いましたけど……。」

「ジモジはジモンと違って好戦的だから仕方ないわ。あの数で飛ばずに避けろというのがまず無茶なのよ。」

「じゃあ……。」

「でも、私がそうしなさいと言ったやり方には忠実に従ってるでしょう。だから坊やの傷は私のせい。……恨んでもいいのよ。」

「そんな! これを恨むなんて筋違いです!」

「いや、お前が答えんな。」


 突如割り込んで抗議を叩きつけたマレフィム。こいつももう俺の修行に一週間付き添っているんだよな。本当に付き添ってるだけなのが少し癪だけど。


「でも、本当に恨む気なんて更々ないですよ。」


 俺は静かに同調した。


「俺に竜人種としての……知識? とかを教えてくれる人なんて今迄いませんでしたし……厳しいなって思う時もありますけど、出来なきゃ死ぬなんて言われて実際に狩りで死にそうな目にもあえば嫌でもその経験が自分の為になるんだって思います。」

「坊やは賢しいわね……。」

「賢しい?」

「えぇ、その賢しさは過酷な環境だったからこそ身についたのかしら。」

「ソーゴさんの素晴らしき所が虐げられた成れの果てとは思いたくありませんね。」

「そんな賢いか? 喜んでいい?」

「(多分頭の良さって意味で言ってないよ。)」


 無慈悲なミィのツッコミをスルーして少しはしゃぐ。


「ソーゴさんのソレは才能ですよ。生まれ持った善意です。」

「そんな言い方は良くないわ。それだとまるで、坊やがただの都合の良い人になってしまうもの。それこそ、『良い子』でいいんじゃないかしら。」

「ふふっ、まるで赤子の様ですね。」

「や、やめてくれよ。『良い子』だなんて言われる歳じゃねえし!」

「ふくくっ……でも、まさかあんな飛び方をするなんて正に赤子の悪戯の様だったわ……今……思い出しても……ふふふふ……! 駄目ね、堪えられない。あっはっはっは!」

「うわあああああ! 思い出さないで下さいよぉッ!」


 噛み殺せずに大笑いするテレーゼァ。彼女が笑ってる理由……思い出したくない数日前の狩りの帰りのことだ。



*****



「飛べない狩りというのは不利でしょう?」

「そうでもないです。普段から飛ばないんで。」

「そうなの? 坊やみたいな種族が飛ばずに狩るなんて不思議ね。」

「まぁ、ソーゴさんは仕方ないですよねぇ……。」

「……まさか、飛べないなんて。」

「で、出来らぁっ!」


 口を衝いて出た勢いだけの言葉。しかし、舌は止まらない。


「やめましょう。そんな強がりは……。」

「飛ぶなんて事くらい出来るっていったんだよ!」

「ははっ、ご冗談を。すぐムキになるのですから。アレは飛行と呼べる代物ではございません。」

「まぁ、自分でしかと出来ると言い切ったのですから見せて貰うしかないわね。飛んで狩りをして貰いましょう。」

「………………えっ!! 飛んで狩りを!?」


 凍る空気。


「出来ると言ったじゃない。まさか……嘘を言ったの?」


 テレーゼァの目つきが鋭くなり俺を刺す。


「誇り高き真の竜人種が嘘を吐くなんて、坊やが赦しても私が赦さないわよ……。」


 纏う雰囲気に殺気の様な混じり始め、瞳が少し潤ってくるがそれでも俺の意思と関係なく口は動いてしまう。


「まっ、えっ、そのっ、『出来る』って言ったのは出来ると思うって意味で言ったので嘘ではないです!」

「はぁ……よくもまぁ、いけしゃあしゃあと……。」 


 なんてマレフィムは呆れているが、テレーゼァの殺気は嘘のように立ち消えていく。えっ? 今の言い訳で納得してくれたの?


「冗談よ。私は一々そんな事気にしないわ。私の誇りは私の為だけにあるの。」

「しゃ……洒落になってない、です。」


 震えた声のせいで抗議が抗議になっていない。


「他の竜人種の前で嘘なんて吐いたら殺されてしまうから、坊やは気をつけた方がいいかもしれないわね。」

「だ、だから嘘じゃないんですってば!」

「見栄は宝石よ。坊やが輝くものではないわ。」

「本当ですって! 出来ると思ってるんです! 見てて下さいよ!」


 俺は気で凍えた身体を奮い立たせ、歩くテレーゼァの翼から飛び降りる。


「あら。」

「アメリ! 手伝ってくれ!」

「えぇ……まさか本当にやる気なんです?」


 マレフィムに手伝って貰いながらモタモタと服を脱いでいく。そして……雪原の上で裸となる俺。人間だったなら即刻御用だ。


「見てて下さい!」

「あらあら。」


 バッと限界まで翼を拡げるとアニマを翼の下に配置する。


 男に二言はねえ!


 水、顕、現!


「おらああああ!!!」


 気合の一声と共に大量の水が翼膜に放射されて、身体を上へお仕上げていく。撒き散らされる水と吹っ飛んでく俺を見て目を丸くするテレーゼァ。不格好だが、飛べちゃいるんだ。アニマの位置さえ調整すりゃほら! ジェット機みたいにだって飛べる……! と思う……! 怖いからやんないけど!


「どうだアメリィ! 回数を重ねて少しずつ上手くなってきてるんだぜぇ!」

「ブフッ!」

「テレーゼァさん!?」

「…………あっはっはっはっはっは!!!」


 わかっちゃいた。俺のこの飛び方が全くドラゴンらしくないことくらい。しかし、それを見た飛べないドラゴンにここまで笑われるとは。


 そして、それから少しの間聞いたこともないテレーゼァの大笑いが雪原に木霊こだまし続けたのだった。



*****



「だ、駄目……思い出したらまた……あっはっはっは……!」

「笑わないで下さいってば! 風なんてまだ顕現出来ないんです!」

「ご、ごめんなさいねぇ。でも、だからってもっと魔力を使う水で飛ぶなんて……ふくく……。」

「テレーゼァ様があんなに大笑いするなんて驚きましたよ。まぁ、私もあの後濡れた身体のせいで凍えて気絶してしまう所も含め、大変出来の良い喜劇かと思いましたけどね。」

「うるせえなっ!」


 知ってるか? 人って寒すぎるとタイムリープ出来るんだぜ? タイミングは制御出来ねえけどな!


「着地まではちゃんと出来てただろうが!」

「落ちたとしても雪の上ですし、私が魔法で助けますよ。」

「なんで失敗して落ちる事が前提な、ん、だ、よ!」

「それこそ何故成功する事を前提に出来るのですか。オクルスに向けて飛んだ時だって着地の時に一回転して転ぶ離れ業を見せたくらいなのに。」

「あんときゃ初めてだったろうが!」

「その初めての時から然程さほど飛ぶ回数も重ねて無いですし。」

「それでも、よく、あんな方法で……くくくく……。」


 いつもなら胸を張って飛べてるからいいだろうなんて言えるはずが、テレーゼァに笑われるのはなんだか気恥ずかしく感じてしまう。なんでだろう。


「でも本当にこの朧の幼冀ようきであの飛び方は危険ね。面白かったけども使わない方が良いわ。」

「あんなに笑われるならもうやりませんよ!」

「ごめんなさい、そう拗ねないで? 普通なら効率が悪すぎて誰も行わないようなやり方で空を飛べるというのは凄い事なのよ。」

「魔力が沢山あるというのは便利ですねぇ。」

「簡単に出来てしまっては効率なんて考えないものだわ。そういう意味ではとても不便よ。」

「なるほど。確かに。」

「なんでもいいけど、テレーゼァさんは飛び方まではわからないんですよね?」

「言ったでしょう。私達の種族は翼を飛ぶ為には使わないのよ。」


 そう、テレーゼァの翼は翼としてでなく腕として使うのだ。でも、それはどちらかと言えばあるべき姿である。ドラゴンは飛ぶ為に腕を翼として使っているだけだ。


 それにしても、何度見ても不思議な造形をしたドラゴンだよなぁ……。まず翼が腰から生えているというのも見慣れないし、翼膜も存在しない。肘は肩まで伸び、掌に当たる部位は折り返して腰にきている。常に腰に手を当てている様な姿勢なんだな……。その翼を折り曲げた状態で背に乗せている姿はまるで前世で見た消防車みたいだ。肘を伸ばしきれば二本の大きな大剣として振り回せるのだから恐ろしい生き物だよ。因みに腕に生えたあの無骨な棘は常に伸び続けるらしく定期的に研がなきゃならないらしい。なんか戦う事を定められた種族、そう、戦闘民族ってこういう種族の事を言うんじゃないだろうか。


「それでも、普通に飛べる様にはなった方がいいわよね……でも、イムラーティ村の人に坊やを見せる訳にはいかないし……。」

「やっぱりどうしても駄目なんですか?」

「えぇ、あの頭でっかち共に殺されてしまうわ。」

「でも翼が黒いだけだから少しを話をするくらい……。」

「話をするくらいで済む訳が無いわ。死にたいの?」

「……。」


 混じりっけの無い真の忠告だ。俺より彼女の方が竜人種の事情について心得ている。故に何かそれを真実とする根拠を見てきたのかもしれない。


「なら、テレーゼァ様に聞いてきて頂くというのは?」

「それも無理ね。私の故郷ではあるけれど、私は既に故郷を捨てたの。今回だって案内こそするけれど村に入る気なんて全く無いわ。」

「故郷をお捨てに……? 何故です?」

「……なんでもよ。」


 テレーゼァはわかりやすく話したくないという態度を突きつけてくる。それをされたらこれ以上無闇に問い質したりなんて出来ない。


「……俺、母さんに会いたいんです。その為にはどうしても母さんについての情報が必要なんですよ。」

「私には坊やと同じ種族があの村に暮らしていたって記憶が無いのだけれど……本当に坊やの母親はイムラーティ村が故郷だったの?。」

「そう……聞きました。 ……!」


 俺はここに来て途轍もないミスをしていた事に気付く。俺の母親を探すとしても、白銀竜だと気付かれてはいけない。かと言って、白銀竜であることを隠していたら母さんの情報を得られはしない。俺は”母親”を探してると言うべきではなかったのだ。だとすれば……。


「そう! 白銀竜! 母さんは白銀竜と知り合いだって聞きました!」

「なんですって!?」


 テレーゼァは驚いて歩みを止める。


「……え?」


 予想以上の反応に戸惑いを覚える。テレーゼァは白銀竜、つまり母さんについて何か知っているのだろうか……。


「少し合点がいったわ。その白き甲殻や強い魔力はやっぱり良い家の出だったって事かしらね。サフィーの知り合いなら恐らくそういう事でしょう。」

「サフィーってまさか……。」

「坊やの言う白銀竜の名前よ。私の旧い友人なの。」

「えぇっ!?」


 まさかの母さんの友達!? そんな幸運な事ってあるか!? これならイムラーティ村に入れなくてももしかしたら……!


「……不思議な縁ねぇ。」


 そうボヤきながらも白い吐息の中へ頭をくぐらせるテレーゼァ。脚を止める程の衝撃をもう飲み込めたというのだろうか。しかし、俺の感じた衝撃は全身の鱗を逆立てる様な錯覚として今尚体中を駆け巡っている。


「て、テレーゼァさんと白銀竜はどんな知り合いだったんですか?」


 毎日傍にいながらも触れる事すら叶わなかった俺のルーツが質問を一つする度に紐解かれるのかもしれないのだ。一つの経験談という形で。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る