第104頁目 吹くのは大人になってから?

 シカモドキの突然の悲鳴とたけりに面を食らい、首から歯を離して後退あとずさってしまった俺。


「出来たわね。」


 冷静にテレーゼァが評した。しかし、マレフィムは不思議そうだ。


「今何かしたんです?」

「……。」


 俺自身もどうなったのかわからず、沈黙したベスを見る。


「何を、したんだ?」

撃牙げきがよ。出来ない竜人種もいるけど、坊やは出来るようね。」

撃牙げきが……。」


 ってなんだ……? 俺はあごを張れって言われたから……。


「顎をシャクレだなんて言って無いでしょう。張るのよ。」


 え? 違うの?


 さっきやったのは……噛む、シャクる、開く……固定――。


『バチッ!』


「うぉっむ!?」


 大きい音にまたも面を食らい口を塞ぐ。


「……凄い! 口の中で小さい雷が弾けました! 竜人種はこんな事まで出来るのですね……!」

「毒だったりする種族もいるのだけれど、坊やは一般的な雷みたいね。」

「え、一般的なんですか?」


 つい、一般的という言葉に反応してしまった俺。今迄災竜だのなんだの騒がれていたせいか、一般的という言葉が何処か自分を満たしてくれる言葉のように感じたのだ。


「そうね。坊やは凄く一般的よ。代表的な……というよりは模範的な真の竜人種という感じね。身体の大きさ以外はまるで由緒ある家柄の出みたいだわ。」

「…………嬉しいです。」

「そう? なんだかそれ程喜んでいる様には見えないけれど……とにかく、その撃牙を使えばに発火出来るかもしれないわ。」

「……え? あ、そっか!」

「(なるほどねぇ。撃牙って言うのは直接的な武器にもなるし、補助装置にもなる訳だ。そのとやらがどれ程燃えるかだよね。)」


 ……ついに、火が吹ける。


「そのを自在に操れたら、大人ですよね……!」

「そう思うかしら?」

「え?」

「……なんでもないわ。前も言ったでしょう。角が生えたらもう大人よ。」

「いや、そういう意味でじゃなくて。」

「いいからやってご覧なさい。」

「……。」


 面倒そうにあしらわれてそこはかとなく寂しい気持ちになるが、それに負けないワクワクがくすぶっている。流れは簡単だ。穢臓えぞうからを咳袋に補充してブレスの要領で咳袋を圧縮して吹き出し、その際に撃牙で吹き出るに着火する!


 やってやるぞォ!


 …………ってどうやって出したっけ?


 確か……咳袋を絞るんじゃなくて、更に奥から押し上げるように力を入れる感じ……。喉を閉めたまま吐こうとする感じだったような……。痰を切ろうとする様な横隔膜を押し上げる様な……


「んんッ! へんんッ!!」

「ぼ、坊や……?」

「まるで快楽と苦悶を煮詰めた様な顔をしていますね……。」


 久々の試みにより、感覚が朧気おぼろげである。しかし、咳袋がじんわりと何かで満たされる感覚がしている様な……。わかりづらい。例えるなら空きっ腹に水を入れているかの様な……そんな感じだ。だが、ベッコベコに潰したペットボトルの蓋を薄っすら開けた時の様な微々たる膨張具合はしかと感じ取れる。これがそれなんだろうか。しかし、それがだったとしても……あのとんでもなく臭い気体だよな……? 正直怖い。


 だが、ここで尻込みなんてしていられない。


「(念願だね。)」


 しんみりとミィが言う。その通り。これは俺の中で立派なドラゴンへの道中にある確たる壁。超えなきゃならない。なんとしても。


 さぁ、いよいよだ。


 俺はテレーゼァとマレフィムがいない方向を向いて口を開け大きく息を吸う。何故か身体が震える。緊張なのかな。幾らでも失敗なんて出来るけど、したい訳じゃないんだよ。だからはやる気持ちをなんとか抑えて手順を確認しながらやる。


 顎を張る!


『バチチチッ!』


 喉の弁が塞いでる箇所を咳袋から気道に切り替えて咳袋を開放!


 そして絞る!


「カッッッッッッ!」


 目の下から膨らむ灼熱と眩耀げんよう。俺の眼の前には確かな炎が……。


『ハフュッ……バフンッッッッッ!」


 …………。


 誰も声を発さなかった。


 説明しよう。ハフュッと言うのは炎が一瞬だけ着いた音だ。その後のバフンッてのは……。


「……雪が散っただけですね。」


 という事だ。


 俺の期待を乗せたは上手いこと着火したものの、俺の強い息吹に刹那で掻き消されそのまま雪を大きく捲き上げた。これが今の流れだ。……こんな悲しい事ってあるか?


「可燃性、ではあるみたいね。」


 その何気ない言葉は、慰みであっても、冷徹な一言であっても関係なく俺の心を傷付ける。居た堪れなくなり両手で眼を塞いだ。


「恥ずかしいッ!」

「り、力み過ぎただけですよ。確認は出来たのですから、今度は優しく吹き込みましょう?」

「いえ、違うわね。竜人種の炎がそう容易く消えるはずがないわ。……あくまで推測なのだけれど、が少なかったのだと思うの。」

「……が?」

「見てた限り、まだの溜め方が不慣れなようだから上手く溜められなかったのでしょう。私はもう思い出せない感覚だけれど、コツが要るだなんて聞いた事があるわ。これからは練習なさい。」

「うーん……わくぁりました……。」


 口の中がムズムズしてしまいついモゴモゴしながら返事をしてしまう。これ、歯にウ○コついてたりしねえだろうな……ついてたら嫌だなぁ……。確認したくないけど、舌で口の中を弄る。幸い嫌な感触も味もない。……アレだけ勢いよく空気を吹き出せば何も残らないか。うぅ……不安だ……。


「坊や、の使い方は教えたけども、扱いには気をつけなさい。それは時に周りの者、或いは自分自身さえ蝕む場合があるわ。狩りで使う者も多いけれど、そのが他の者にどういう影響を与えるのかは慎重に考えて使いなさい。」

「わ、わかりました。」


 ま、まぁ……ウ○コだしな。毒じゃなくても衛生的に気になるってのもある。傷口に着いたら病気になりそうだ。


「坊やは昨日と今日でやっと自分の身体を知ったの。これまでは手がどれで、脚がどれであったかもわかなかった状態に等しいわね。だからこそ歩くために耳を動かし、物を取るには膝を動かしていたかもしれない坊やが今後どう動くか、楽しみに見せてもらうわ。」

「はぁ……。」


 歩くために耳を動かすってのは言い過ぎじゃないか? せめて膝が限度だろ。


「私は狩りにおいて獲物は選ばないわ。それでも、狩るのは坊や。時々手助けはするけども、怪我をしないよう気をつけなさい。」

「はぁ…………は……?」


 え? 見つけた獲物はとりあえず狩るけど狩るのは俺って事か?


「えっ、ちょっ……お、俺が全部狩るんですか!?」

「全部ではないわ……危なそうなら私が狩るわよ。」

「でも、これから先、ブランなんとか? とか、昨日のアイツ等だっているんですよね!?」

「あんなのに狩られてたら生き残れないわ。」

「でも流石に……!」

「死にたくないなら逃げ方を覚えなさい。」

「逃げ方? 戦い方ではなくですか?」


 マレフィムが口を挟んでくる。しかし、確かにおかしな言い回しだ。死にたくないなら生きたいという事だし、生きたいなら強くならなきゃいけないんじゃないのか?


「逃げたジモン達は生き残ったわよね。」


 ジモン……? えっと、このシカモドキの事だよな?


「狩られたジモンは坊やに敵わなかったけども、逃げたジモン達も向かってくれば同じく敵わなかったはずよ。その両者の決定的な違いは二つ。運と逃げる力。坊やも多分だけれど、過激な竜人種に出会っていたら既に殺されていたでしょうね。それでなくても苦労はしたはず……なのに生きているという事は坊やに運と逃げる力があったという事。でも、運はどうしようもない。なら育てるべきは逃げる力よ。明日からはそれを私が伸ばしてあげるわ。」

「え、えぇ……そんな事言われても……。」

「おばさんのお節介よ。若者は大人しく年寄りに従いなさいな。」

「ソーゴさんが心配ですし、その時は私もお供します! テレーゼァさんは此処等の動植物にはお詳しいので?」

「えぇ、そうね。『妻子を忘れ、災禍に抱かれ』。」

「……はい?」


 急に話の流れを切るような一言にマレフィムが聞き返す。ってかお前の目的絶対にフィールドワークだよな? その手記に色々書くネタが欲しいだけだよな??


「竜人種の旧い言い回しよ。身体が黒ずむ程働いて家を忘れたのか、家を忘れて働いたのか……家族を忘れる程働く事を言うの。」

「か、悲しい言葉ですね……。」

「ただの冗談よ。竜人種の男共はこれを勲章の様に誇るのだから私も真似して使ってみたのだけれど、特に高揚感みたいな物は感じないわね。とにかく、私は家を忘れるほど此処等を歩き回ってるの。知らない事なんて殆ど無いわ。」

「頼もしい! ならばこそ是非同行させて頂きますよ!」

「(彼女も結構スパルタじゃない?)」

「……。」


 勘弁してほしい……。


『ヒィ……ヒィ……。』


 認識の内側に入ったのは微かな喘ぎ声。すっかり忘れていた。生き残りの二匹。幸か不幸か、四肢を一部欠損しただけに留まった個体だ。


「あぁ、申し訳ない事をしたわね……。撃牙を使って眠らせてあげなさい。」


 眠らせるとは”永遠に”という事なんだろう。この世界でも死ぬ事を眠ると表現するんだな……なんて思いつつも首に歯を当てる。


『ヒヒィ……! ヒィ……ヒィ……。』


 歯が当たった瞬間一度だけ必死の抵抗をするが、俺達が長話をしていたせいもあってかすぐに大人しくなる。しかし、その抵抗は白い雪を赤黒く滲ませる血が伸ばし赤茶けた泥雪へと変えた。……これがこいつの生きた証の一つになるんだよな。


『キャヒヒヒィッッ!!』


 俺が顎を張ると同時に躍動する筋肉が断末魔を挙げた。


 しかし、それでも、色のない心で、命を、奪う。


『ケヒュ……。』


 食欲をあおる様なこうばしさが鼻腔の奥に染み込み、血圧が上がっていく。火照る感覚が身体全体に広がり、思わず空を見上げた。人間とは比べ物にもならない程の広い視野角で、安っぽいプラネタリウムの如く大袈裟に光る満点の星空をまぶたに握らせる。ドラゴンとして生まれてから幾年……見慣れたものの心に収まってはくれない風景だ。


 ……俺は、この目に映る星々の数を超す程に命を奪っていくんだろう。


 今更命を奪う事は畏れない。


 見えない砂絵を整える。


 視線を下ろせば最後の一匹は出血多量だろうか。衰弱も限界に達して既に息絶えていた。


「……ふぅ。」


 今日はこれで終わりだ。

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