第101頁目 まだやれるんだが?

 黄金に輝く雪面。人はいつだって無い物を強請ねだる。しかし、こうやって満たされた気持ちになるとそれが今在る物のおかげなんだって思う事が出来ると思うんだ。


「坊や、見えるわね。」

「見えます。」

「アレがメッメクチィよ……ブランダッダ程ではないけども、集団で襲われると厄介だから気をつけなさい。」

「はい!」


 頭の上に乗ったマレフィムを気にもせず、月明かりで金色に照らされた雪原に浮かぶ草食獣の塊を睨む。ペンギンとか猿は寒い所で集まって温まるって言うけどあいつらも同じ様な事をするんだな……。


 遠くから見た感じ、赤茶色の毛皮に角の無い筋肉質なヤギ、かな。


『フョフョフョフョフョフョフョ……。』

『フューン……フューン……フューン……。』

『ナーォ! ナーォ! ナーォ!』


「うるさいですねぇ……雪崩虫なだれむしでしたか? この虫のおかげで普通に話せるとは言えど此れ程の騒音の中、平然と寝られるルウィアさん達には疑問を覚えるばかりです。はっきり言って信じられません。」

「まぁ……確かにな。」


 深夜であるのに真夏の田舎の如き騒がしさで賑わうこの辺り。それは、此処等一帯にぽつりぽつりと生えている裏返った傘みたいな不思議な形の木が一つの原因である。あの木は幹で傘を作り、それを支える柱に葉をフサフサと生やして雪面から反射した光を吸収するらしい。そして、あのメッメクチィの餌はその葉な訳だ。だが、木があれば虫も増える。夜行性の雪崩虫はその木の樹液を吸う虫なのだが、この様に雄を誘惑する雌の鳴き声が煩く、時折それが原因で雪崩が起きるのだとか。故に名を雪崩虫。はた迷惑な虫だよな。鳴き声だけの蝉より質が悪い。一体どんな見た目をしてるんだか。


「まずお手並み拝見といこうかしら。」

「俺が行けばいいって事ですか? 雷を降らせば一瞬じゃないですか。」

「それでは坊やの為にならないでしょう。今日まで生きて来られた理由を見せて頂戴。」

「……わかりましたよ。」


 俺はテレーゼァの要望に応えるべく、意識を集中してアニマを伸ばす。ここは急な斜面の上。獲物は坂の終わった所で塊になり寝息を立てている。しかし、ピコピコと跳ねる長い耳は警戒故の動きなのだろうか。まぁ、アニマで近づけば聴覚なんて……。


「ちょっと。」

「はい?」

「今、アニマを伸ばしてるの?」

「え、まぁ、そうですけど……。」

「それはしまいなさい。」

「はっ?」

「坊やは考えて魔法を使ってるわね。それを続けていると死ぬわよ。」

「えっ、えっ? じゃあどうすれば……。」


 理解の出来ない要望から答えを導きだそうと獲物の方を見る。


「そう、走るのよ。坊やにアニマなんて早いわ。アストラルは自身であるという自覚を持てるまでアニマを使っては駄目。坊やが坊やでなくなってしまうわ。」

「……わかりました……?」

「とすると、彼処あそこに飛び込むのですか?」

「やるしかねえか。」

「お嬢さんは私の近くに、飛んでると鳥にさらわれるわよ。」


 その言葉が余程恐ろしかったのか、すぐにテレーゼァの背に隠れるマレフィム。まぁ、あいつを引っ付けたまま飛び込める訳ねえし。いっちょ頑張るか。ミィの無理難題よりは簡単だ。


「(アニマの使い過ぎはよくない、か。まぁ、確かにそうだね。反省しよ……。)」

「(なんか悪影響でもあるのか?)」

「(今度教えるよ。今は集中して。)」

「いざって時はそんな呑気に集中してる時間なんてないわ。その”時”は狙うのでなく作るの。」


 心の準備も駄目なのかよ! しゃーない! 行くぞ!


「ッン゛!!!!」


 俺は思いっきり右足で雪を蹴る。軽く雪が崩れて一瞬足が空回りしたが、最初の一度だけだ。構わず翼を畳み、長い首を前に伸ばして空気を突き刺すように進む。


 蹴れ。蹴れッ。蹴れッ!


 白い粉を捲き上げて坂を駆け下りていく。前につんのめりそうになれば一瞬だけブレーキを掛けながら翼を拡げてバランスを取り再度加速。身体を高速で左右に揺らしつつグングン迫る動物の群れ。しかし、これだけの殺意を持った生き物が近付くとなれば……!


 …………?


 逃げない?


 俺が近付くのに合わせて一匹がヤギ団子から離れる。だが、逃げるのではない。俺の進路上に堂々と立ったのだ。身体の大きさは俺くらいだろうか。いや、身体が太い。ガリガリの俺と比べたら質量は向こうの方が上だ。


「逃げられなくて良かったね。」

「あぁッ゛!」


 ミィの言葉に応えるついでに力一杯逸はぐれた個体の首に食らいついた。俺の顎の力は並じゃない。確かにヤギモドキの太い首は筋肉質であるが、それに負けてやるという義理もないぜ。身体強化した俺の噛み付きの餌食になれ!


 昂りのまま頭を振り抜き、獲物の首を太い骨ごと噛み千切る俺。


「はっ! らくしょぉ!」

「クロロ……。」

「ん?」


 俺は口の周りに付いた血を舐めながら振り向く。すると、こちらを見つめる数十の眼。やはりヤギに似たその顔立ちからは何も表情を感じ取れず、じーっと……ただ…………。


『おひょっ。』


 気の抜けた鳴き声が漏れる。俺じゃない。群れの中の一匹が俺に感想をらしたのだ。


『おひょひょひょっ。』


 他の個体が続く。しかし、奴等の表情は変わらない。


「なんだよ。飯になってくれるって言うのか?」

「水を出せれば一薙なのにね。」

「いや、こういうのもありだろ。身体強化の魔法だって慣れてきたもんだ。ってか水を出すのは禁止されてねえだろ。」

「あ、そっか。」


『ひょっ。』


 俺等の軽口を気にも留めず、のっそりと俺の前に立つ一匹のヤギモドキ。


「変なベスだぬぁ゛ッ!?」


 視界がバグる。首が熱い。頭が……痛い?


「……ロロッ! クロロッ!!」

「……ッハァ゛! ガハッ……! ぐぁ……何が……!?」

「避けて!」

「ぶっ!?」


 呼吸が止まる。明滅を繰り返す景色と、雪崩虫の狂騒がリンクしているようだ。俺の心臓はこの調子外れな演奏で踊っているのか?


 身体を叩く冷たい感触。それが少しだけ思考を整理してくれる。


『トスッ……トスッ……。』


 足音が近付いて……。


「クロロ! 身体強化! 思いっきり跳ねて!」


 ……あぁ! クソ!!


「ッラァ゛!」


 未だに何が起きたかなんてわかっちゃいない。ただ、冷たいと感じた部分を身体強化を施した部位で思いっきり叩いた。宙へ押し出される身体。咄嗟過ぎてマトモな強化では無かったが、身体を襲う浮遊感や衝撃諸々もろもろによって意識を覚醒させていった。こちらを見据える二つの眼が歩いてきている。


 ……なら距離をとらなきゃだろ!


「ぉお!」


 空中で咄嗟に翼をばたつかせて姿勢を気持ち程度制御し着地した瞬間、近付いてくるヤギモドキから目を離さず逆方向に走った。こういう時にトカゲっぽい身体ってのは便利だな。ゴキブリみたいな動きだから格好悪いけどさ。


「……何が……あったんだ。……ってなんだあれ……脚が……尻尾?」

「アレで思いっきり首を殴られたんだよ。その後、追い打ちで胸を後ろ足で蹴られた。身体強化を掛けてなかったらもう死んでたかもしれない……。どうする……? 手伝う? 正直すっごい不安なんだけど……。」

「いや、油断してた俺が悪い。それに死なないと思ったから守んなかったんだろ?」

「そうだけど……今は守れば良かったかなってちょっと後悔してる……。」

「大丈夫だ……もうやられねえ!」


 ペースを変えずにゆっくり近付いてくるヤギモドキ。その後ろ足の付け根に生える太いもう一対の後ろ足。まるで奇形のヤギだが、それを使いこなしているのならそういう種族なのだろう。だが、この前四本腕のゴリラとやりあった俺から言わせて貰えばな。


「芸がねえぜ。」


 可能な限りの身体強化。身体が重くなっていく感覚。ここは雪原。言ってしまえば踏ん張りの効かない場所だ。そして、ドラゴンとは言え俺はトカゲ。たった一回のパンチ力よりはしぶとさこそが何よりの武器なんだよ!


「フッ……!」


 しっかりと雪を掴み、身体を制御する。気を抜くな! よく目を凝らせ!


 ……!?


 下半身を一瞬横に振った。来るぞ。ほら、前脚を強く踏み込んで……下半身を大きく振り回しその太い余分な脚をしならせてくる!


 見えるじゃねえか! そんな大振りなんて避けられたらでっけぇスキが……って避けられねえ!


「グッ!?」


 今度は見えていたためしっかりと身構える事が出来た。ドラゴンらしくなく胸の前で両手を交差し、軋む骨の音を聞きながらどうにか勢いを殺し切る。


「ってえなぁ!」


 その直後に腕をすばやくその脚に絡ませ、力強く握って頭上に掲げた。そのまま勢いに乗せて! 行き先は勿論雪の上!


「お返しだぁ!」


『ぴょゅ。』


「はぁ!?」


 なんと、奴はあそこから身体を捻ってしっかりと着地したのだ。


 猫かよ、畜生! なんて文句も言う暇すら無い。握った手が驚く程の力で撥ねられ、胸を焦がすような痛みが襲いかかってくる。この一瞬で再び胸に後ろ蹴りを打ち込んで来たのだ。完全な不意打ちではないため先程の様なダメージは無いが、それでも痛いもんは痛い……!


 蹌踉よろめきを抑えつつ、四脚姿勢に戻って少しだけ後退する。


「クロロ!」

「わぁってる!」


 更に後ろへ下がれば、そこを横薙ぎに通過する太い後ろ足。奴とは距離を取った。となれば……。


『おひょひょっ。』


 ってもう一匹前に出てきやがった!


「はぁ……はぁ……正々堂々って言葉はベスにゃ通じないか。」

「流石に二匹同時なんて無理じゃないかな。」


 俺としては息が続く限り隙間無く攻め続けようと思ったんだが、思った以上に隙がねえ! 回し蹴りの予備動作はわかるけど、しゃがんでも当たる高さに脚出してくるし、跳んで避けたら落ちてる間にどう攻め込んで来るかわかったもんじゃないから危険だ。……後ろに避けるのが理想なんだけど、もう一匹出て来ちまったしなぁ。


 ……しゃーねえ。


 集中だ……! 喰らえ!


「はっ!」


 迷いなく咳袋から水を絞り出して首を横に振る。しかし、鈍い音と共にヤギモドキは二匹共跳んで避けていたのだ。その無理やりな跳躍は恐らくぶら下がったもう一対の後ろ足で地面を叩きつけて行ったもの。さっき俺が朦朧とした意識の中で脱出策として行った方法と同じだ。パクったのか? 野生の勘か? なんでもいい。一瞬だけ動揺してしまったんだ。


 着地したと同時、二匹のヤギモドキは示し合わせた様に雪を後方へ蹴る。いや、身体をこちらへ蹴っていると表現すべきか。耐えられるか? カウンターを狙うか?


 どちらも選べやしなかった。俺は眼を瞑っていたんだ。


『ガッ!!!!!!』


「………………ん?」


 衝撃の無い音に思わず眼を開ける。そこには鋸の様な翼に身体を貫かれてぶら下がる二匹のヤギモドキが血を滴らせていた。


「……テレー……ゼァ……さん?」

「充分よ。坊やの弱さは思い知ったわ。」


 それは温かくもとても遠い、まるで四等星の様な輝きを放つ眼だった。

 一体何の感情がその光を灯してる?

 同情? 嘲笑? 失望?



 ――――心を突き刺す眼だ。

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