第95頁目 転生するなら何がいい?

『ナ゛ーッ!!!』


 徐々に冷めていく熱源とそれに寄り添う熱を保った生き物。それに俺たちはゆっくりと近づいて行く。ファイは念の為に引き車の近くで待機させておいた。


「(マレフィム、俺の後ろに。)」

「(はい。)」

「(クロロ、気をつけてね。)」

「(わかってる。)」


 警戒をしながら少しだけ大きく迂回して低木の裏へ回った。するとそこには、血塗れの同胞に寄り添って涙を流す脚の長いネズミがいたのだった。


『ナ゛ーッ……!』


 どういう関係かはわからないが、亡骸から止め処なく溢れる血を気にもせず、何かを訴えて同胞を揺するネズミ。その光景は”ベス”という一言に全てを込めて飲み込める程のものではなかった。亡骸の首元にパックリと大きい開いた切り傷が見える。そして、背中には矢筒の様な物がある。間違いなくコイツ等こそが今襲ってきた野盗なんだろう。


「(やるよ。)」

「(待て。)」


 ミィは動じずいつも通りに日常を過ごそうとしている。いや、多分これもいつも通りの日常なんだ。言葉にしたらいつも通りの日常と同じだと言える。いつも通り夜の番をして、ベスを……ベスを狩った……。


『ニ゛!?』


 気付かれた! 襲われ……?


『○○○○○○○○○! ○○○! ○○○○○!!!』


「え?」


 フマナ語じゃない。聞いた事も無い言語で俺達を……罵っているのだろうか。凄い気迫だ。しかし、あれではマトモな対話なんてできそうに無い。と思った直後、ネズミは腰に下げていた刃物を手に握り予期もしていなかった速度でこちらに飛び込んできた。


『○○!!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!』


「うわっ!?」


 パシャリと身体に掛かる生暖かい液体。視界は真っ暗。俺は咄嗟に目を閉じていたのだ。どうしてだ? 幾ら予想外の行動だったとは言え、俺なら反撃は出来なくとも避ける事は出来たはずだ。それなのに俺の脚は動いてくれなかった。


 きっと、意識が誘われていたんだ。



 ――――死へ。



 ゾクリと身体を震わせて目を開くと、足元に真っ二つに裂かれたネズミの亡骸が転がっていた。


「大丈夫?」

「あぁ……ありがとう、ミィ。」

「うわぁ、凄い量の血が付いていますよ? 私の服は……パッと見た限りは問題なさそうですが……。」


 灰色の鱗をぬるっとした血が朱に染め上げている。それをなんとなく指で掬い舐めてみた。


「ん……。」


 ……何してんだ俺は?


 今、大事な人の敵討ちをしようとして泣きながら死んでいった奴の事を悼んでいたんじゃないのか? この無残な死体になった肉から吹き出した血を無意識に舐める……? 



 ……頭…………おかしいんじゃねえの。



「この子……まだ若いですね。あそこの遺体よりも小さい。もしかしたら親を殺されて……。」

「だから何? 今迄も雌や子供が美味しいからってそれを狙ってベスを狩ってたでしょ。」

「……この方達はベスじゃありませんよ。外族です。」

「話せないんだから一緒、ベスだよ。」


 食べたくはない。でも、食べたい。……矛盾してるよな。血肉に渇く、それでも、何処かに感じる違和感に……価値観の摩擦に心が悲鳴をあげている。なんだこれ。


 喰いたい。喰いたくない。喰おうぜ。喰えない!


「これはあんまり美味しくなさそうだね。それに、今の騒ぎと血の匂いで周囲のベスが警戒してそう。だから今日はあんまり狩れないかも…………聞いてる?」

「……おう。」

「私の故郷も……。」


 そのマレフィムの小さな呟きで混沌と渦巻く思考の渦が解れる。マレフィムの故郷の村は独自言語が公用語だった。つまり、あの村の人々はフマナ語を話す人からすればこの外族と同様に扱われるのだ。人ではなくベスに近い存在として。


「マレフィム。別に外族だからって無闇に殺していいなんて思ってないからね? こいつらを殺したのはクロロを襲ってきたからだし、私は大事な人以外は死んでも気にしないってだけ。」


 そんなミィのズレたフォローにマレフィムは苦笑いをして返すが、眉間の皺は少しだけ浅くなった。多分会ったばかりの頃のミィならそんなフォローすらもしなかっただろう。恐らくマレフィムはミィの中で少しずつ価値を上げているのだ。……どういう存在としてなのかは本人にしかわからないけど。


「なぁ……こいつら……。」

「食べるの?」

「ち、ちげえよ。」


 つい心を大きく揺さぶられる言葉に動揺してしまう。違う。食べたくなんて……。


「埋めて、やろうかなって。」

「やはり食べる気なのですね。」

「……は?」

「はい?」

「え? 埋めて明日出発前に食べるとかじゃないの?」

「はぁ!? なんで埋めんだよ! っつか食べねえって言ってんだろ!」

「ぇ……なんでそんなに怒ってるの……? ごめん……。」

「……ぁ……悪い。」

「……クロロさん。一体どうしたのですか?」

「わかんねえ……。」


 自分でも理解しきれてない苛立ちが燻っている。……本当に? 


「クロロさんは、何故この方達を埋めようと提案したのです?」

「なんでって……。」


 俺は短くただの埋葬だろって答えたかった。しかし、口惜しい事にフマナ語で埋葬という言葉を知らなかったのだ。その結果、口から這い出て来たのは違う理由だった。


「可哀想……だろ。」

「可哀想? 死んだ事が? こいつらは泥棒だよ?」

「死んだ事が、じゃなくて、死体をこのまま置いていく事がだよ。」

「……えぇ?」

「……あぁ!」


 疑問に満ちた声を漏らすミィとは対照的に納得した様子のマレフィム。


「『土葬』ですね!」

「『土葬』? あの遺体を土に埋めて清らかなマナの循環を願うっていう?」

「その通りです! つまり、クロロさんは罪人であるこの方達をも哀れんで、次は清算されたマナとしてて顕現される事を願いたいという事なのですよ!」

「えーと……うん。多分そう。」


 『土葬』、か。死体を埋めるってそんなに浮かばない発想なのか?


「でも、よく『土葬』なんてご存知でしたね。王国では『火葬』で灰にしてしまう方法が一般的のはずですのに。」


 俺はすぐに思いついた言い訳で話を流す。というか『火葬』って灰にするって言ってるから火葬だよな。王国ではそれが一般的なのか。


「ほら、白銀竜の森でさ。手長猿族との戦いで戦死者が何人か出てたろ。そん時の騒ぎで耳に挟んだんだよ。」

「はぁ、ですが角狼族は可変種らしく『食葬』だったはずですけど……。」

「『食葬』?」


 火葬でも土葬でもない……なんだ? 島流し的なやつだろうか。そういえばあの騒動の葬儀はなんだか近寄るのが辛くて避けてたからよく知らないんだよな……。


「『食葬』は遺体を食べる儀式だよ。」

「……遺体を、食べる?」


 俺は軽い目眩を覚えて沈黙の肉塊に視線を投げる。


「ミィさん、それは凄く昔のやり方ですよ。今時、そんな事をしている人は殆どいません。今は遺体を細かく刻んでベス等の餌にするのが一般的です。」

「え! そうなの!? うーん……ジェネレーションギャップ……。」

「相変わらず歳がよくわからない方ですね。」


 食べる事が死者を悼む事となるなら…………俺がこいつを求めるのは罪じゃない……?


「しかし、”食うか食わないか”だなんて言っていたクロロさんがねぇ。私も未だに軽率な殺人は抵抗がありますけど、悪質な仕入屋や盗賊はある程度痛い目を見ても仕方ないと思っています。ただ、この方達にも愛する方がいて愛される方もいる……きっぱりと割り切るのは難しい事ですね……。」

「そう? 知りもしない相手に同情するなんて疲れるだけだと思うけど……。」

「えぇ、ですが、私達は知ってしまったではないですか。この方の涙と思いを。」

「……まぁ、そういう見方も出来る。っけど、分別無く思いを割いてクロロやマレフィムが落ち込んだ顔してる方が私は嫌かな!」


 少し投げやり気味に小さく憤るミィ。しかし、その言葉は何処か俺の心を柔らかく慰めてくれる。


「ふふっ、ありがとうございます。しかし、私もクロロさんの思いには賛成です。葬儀……という程仰々しい物は行なえませんが、せめて遺体を燃やすくらいはしてあげましょう。土魔法が得意なアロゥロさんは寝ていますし。」

「……マレフィムやクロロがしたいっていうなら特に断る理由はないかな。」

「ありがとう、マレフィム。」

「いえ。なんだか少し安心しましたよ。クロロさんは私と近い心も持っている。そう思いました。」

「……。」

「私だって手伝うよ!」

「あ、あぁ。ミィもありがとうな。」

「おざなりぃー……。」


 ぶう垂れながらも周囲にある遺体を妖精族の姿となり水魔法でかき集めだすミィ。マレフィムはゆっくりと俺に襲いかかってきたネズミの死体に近寄る。


「家族、だったのですかね……。」

「どうだろうな……。」


 俺等を殺そうと襲撃を仕掛けてきた事は許せない。しかし、俺がこいつの親を殺した存在なのだとしたら、それこそこいつは俺を許さないだろう。もう真実を語れる者はいないけど……微かな可能性が俺の心を締め付ける。白銀竜がもし、殺されたとしたら俺は…………悲しむだろうな。殆ど話してない、恩すら又聞きの存在なのに……。


「おいしょっ!」


 どささっと雑に置かれた10匹くらいのネズミの遺体。首を切られてるか、身体にコゲ穴が開いているかで殺したのがミィかファイかわかる。腹がそれらは俺にとってのご馳走だと叫ぶ。口を満たすのは餌を心待ちにした舌に絡みつく欲望の液体。


 俺はその感覚を忘れるために自分の腹を殴る。……悪いのは俺じゃない。精神肥大症だ。でも、食葬か……日本でも恩人の遺骨を食べる風習があるって母さん言ってたなぁ……。


「燃やすなら水抜いた方が良いよね。」

「そうですね。お願いします。」

「うん。」


 淡々と行われる遺体を燃やす準備。俺の身体に掛かった大量の血はもう既に冷えて粘度を増している。それを軽く爪で擦り月明かりに照らす。


「……赤いな。」


 当然の事。


 命は生まれて消える。


 肢体を裂けば血が溢れ。


 命が消えれば別れが生まれる。


「じゃあ、火を付けるよ」

「お願いします。」


 燃やせば焦げる。


 灯せば明るく。


 食わねば死す。


「……えっ。」


 遺体を焦がす大火から、火の粉とは似ても似つかない柔らかな光の粒が溢れる。これは……。


「……エーテル?」

「えぇ。『命の瞬き』です。」

「?」

「彼等のアストラルの一部が一瞬だけエーテルに変わり、マナに還っていってるのです。」

「そう。普通は死んでもっと経ってから出るんだけど、そこまでこの世に未練が無かったのかな。」

「死を受け入れる。それは勇気のいる事だと言われています。勇敢な彼等は何を希って来世へと向かったのでしょうか……。」

「命の……瞬き……。」


 前世では見る事も無かったその美しき光が世界に溶けていく。


 あのネズミが流していた涙も、廻る事を願おう。

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