第73頁目 俺に食えない料理なんてあったの?

 叩きつけたと錯覚してしまうくらいに強く置かれた楕円形の大皿。その上には、ほんのりと光を透す薄桃色の触手を痙攣させ、無残な切り身と成り果てたグロい生物が黄土色のソースと和えられ雑に盛られていた。それを前にルウィアは屈託のない美的な笑顔を浮かべ、三叉槍さんさそうみたいな禍々しいデザインのフォークを片手に持つ。


「すいません……! お先にいただきますね……!

「お気になさらず。美味しそうですね。」


 美味しそう!? 嘘だろ!? 衝撃的である俺の心情は空気を読んで表に出てこようとしない。ということで、ルウィアは平然と触手にフォークを突き刺してそれを持ち上げた。すると、ビチビチと暴れてフォークに絡みつく触手。そして、あられのない薄桃色の粘液が糸を引き、フォークの刺さった穴からはよくわからないモッタリとした黄土色の液体が滴っている。それ、ソースじゃなくて体液なのかよ……。どこまでも不味そうなビジュアルだ。これを初めに食べようと思ったやつは納豆を初めて食べた奴以上の猛者だと断言出来るぞ……。


「……ゴクリ。」

「卑しいですよ。ルウィアさんの料理を見て喉を鳴らすなんて。」


 ちげえよ。なんかもう不味そう過ぎて変な唾が止まんねえんだよ。これを活け造りで食うっておかしいだろ。って臭ッ!? 生臭いのもそうだけど……この……何? プラスチックを燃やした時に出る臭いみたいな異臭……。


「……あむ。」


 いったー! 普通に食べたよ!? 躊躇なく! ちょっとルウィアへの評価を見直す必要があるかもしんねえ!


「美味しい……! 実は昔、両親と一緒に釣りをした時に運良くペッペゥが釣れた事があって……母さんも父さんも喜んでたなぁ……。」

「ペッペゥが? それは本当に運がいいですよ。でしたら、思い出の食材ですね……。」


 いやいやいやいや! いい話っぽいけどその食材のせいで色々台無しだよ! というかこれモザイク必要だろ!


「……ぁむ。」

「ルウィアさん。口から汁が垂れてますよ。」

「あっ……! す、すみません……!」

「ペッペゥの体液がふんだんに詰まっているのは、新鮮である証拠ですからね。私も待ち遠しくなってきました。」


 えぇ……それ、噛めば噛むほどあの液体が出てくるの? どうしよう……既にもう……食べたくない。あれ? 地味に俺が食べたくない食べ物なんて自分の糞以来初のケースなんじゃないか……? そんなモンが高級食材……?


「あい! お待たせ! 『ペッペゥのアラ汁』『おまかせ海鮮焼き盛り合わせ』それと、『モルモル』2つね!」


 来ちまった……。


「今日はペッペゥが大量に獲れたから少し多めにしてやすよ!」


 余計な事を……。


 マレフィム用であるミニチュアのテーブルと椅子が置かれ、そこに容赦なく並べられる小さい皿に収まる『ペッペゥのアラ汁』。汁は緑色をしていて、粘度が高く、まるでポタージュの様だ。そこに浮かぶのは細かく刻まれた青い何か……。それは俺の前にある『おまかせ海鮮焼き盛り合わせ』を見ればわかる。あの青いのは火の通った『ペッペゥ』だ。


「私の身体が大きければもっと沢山食べれるのですけどねぇ。」

「その分小人用は価格が安いじゃないですか。」

「そうですけど、やはり、美味しい物は好きなだけ食べたいのですよ。」


 ほのぼのとした日常会話。俺は今そこに割り込める程冷静ではない。とりあえず自分が納得する為に疑問を投げる。


「……なぁ。」

「はい?」

「アメリの……その料理、なんで緑なんだ……?」

「これですか? ペッペゥの体液は見ての通り黄色なのですが、火を通したペッペゥが青くなるのでそれと混ざって緑色になるのですよ。どうです? 美味しそうでしょう。」


 緑色で思い出したけど、お前オクルスで緑色の香草汁見て引いてたじゃねえか! こっちのがよっぽどヤバい見た目だろ! 納得いかねえ! ……ぐっ!? くせぇ……。苛立ちが不安に変換されるくらいの強烈な臭いだ……。あぁ、店に入った時に軽く臭ったのはこいつだったのか……。


「ソーゴさんも『モルモル』を頼んだ方が良かったのでは? 今からでも追加で頼んでも良いと思いますよ。」


 そうだ。『ペッペゥ』の衝撃で完全に忘れていたけど、謎の食材は『ペッペゥ』だけじゃなかったんだ。……でも……ただの穀物? 確かに黄色くて砂みたいでもあるけど……。ご飯の米粒を四分の一か六分の一くらいにして、粘度を無くした感じの物だ。確かに、これは角狼族や高鷲族の村で食べた記憶がある。でも、あれは煮込み料理の具みたいな感じで入ってたなぁ。単体で出てるのは見たことがない。


「うん。それなら知ってるな。ドミヨンさんが作った料理にも偶に入ってたよな。でも、単体で食べて美味しいのか?」

「これだけでは食べませんよ。付け合せとして他の料理と一緒に食べるんです。」


 付け合せ……そうか。確かにおかずとご飯みたいなもんだし……。それなら味付けも特にされてないって事なんだな。久々だし興味はあるかも……でもなぁ……ご飯に近い物だとしてもそれをこいつと一緒に食うのは気が引ける……。もっと美味しい物と食べたい……。


「……あぁ、噂に聞く通り芳醇な香りと少し癖のある風味、そして、アクセントとなるえぐ味がいい味を出していますね。これなら沢山の方がこの味に魅了されて大金を出すのも頷けます。」

「よく火を通す方が好きって人と、生の方が好きって人で言い争うなんてよく聞きますけど……僕はどっちも好きですね……。」

「生もまた違った味わいがあるのですか? それなら少しだけ分けていただけないでしょうか。」

「いいですよ? でも……。」

「マナーはこの際目を瞑りましょう。場所も場所ですしね。」

「わかりました。じゃあ小さく千切るので少し待っててくださいね。」


 いー……正気なのかよお前ら……正気なのかよぉ……。


 俺の前には鮮やかな青い触手がもっさりと積まれている。漁師飯らしい、大雑把で大袈裟な盛り方なその感じは、例え料理がなんであろうと醸し出せるものなんだなぁ。と一つ賢くなった所で俺は無難に隅の焼き魚にフォークを刺して持ち上げる。あれの色も臭いも移っているそれを、観念して口の中へ放り込んだ。


「ん゛……ん゛ん゛…………………………ごくん。」



 ――無理。



 食った事無いけど、前世の知識で表現しようとするなら……甘じょっぱいガソリンを食べてるみたいな味だ。何か工夫として後から味と香りが足されているのはわかる。でも、辛うじてだ。殆どペッペゥのプラスチックを燃やしてる時に出る臭いみたいなのにかき消されて狂気と化している。糞は排泄物だからという先入観でギブアップしたけど、これはもう見た目と味だけで俺をギブアップさせられるぞ。とんでもない威力だ……どうやって滅せよう……。


「どうしたんですか……?」

「早く食べないと冷めてしまいますよ?」

「……あぁ。」


 残す、という事はしたくない。空腹である事は事実。空腹がスパイスにならない料理があるなんてな……。選り好みなんかしてられない……! 俺は味わう事をやめるぞ! クソーーッ!


 意を決して極力舌に触れないよう次々と魚を喉の奥に放り込んでいく。その間呼吸はしない。


「そ、そんな急いだら喉に詰まってしまいますよ……?」

「よっぽど美味しかったのでしょうね。」


 今あいつらの戯言に反応している余裕は全くない。喋る為に息を吸えばとんでもない悪臭が俺の脳を鷲掴みにするだろう。その時、俺が吐かずにいられるかなんて保証はできない。


「…………ゔん゛……! ぐっ……ゔ……ッ!」


 これが飯を食う時に出る声と思えるだろうか。その瞬間、俺は間違いなく自身の尊厳を失わない為に戦っていたと言える。『こいつ、障害のせいで常に空腹なのにグルメ気取ってんのか?』なんて思われたくないからだ。俺は知った。この精神肥大症というのはそういう意味での呪いに違いないのだと。



「………………ん゛ぐん。」



 ……さぁ、残るはペッペゥのみ。こいつを仕留めれば俺はこの地獄から抜け出せる……!


「(クロロ……大丈夫……? なんか様子がおかしく見えるけど……。)」

「…………。」


 心配するミィを安心させる為に何か返事をしてやりたいが……。それをすると俺はここまで来て敗北する事になりかねない。もう少しだけ待っててくれよ……!


「…………うゔっ! ……はぁ……はぁ。」

「あの……ソーゴさん……?」


 ついに俺の異変に気付きそうになるルウィア。だが俺はそれを片手で制し、大丈夫だと伝わるようなジェスチャーをする。


「そんなに必死に食べなくても誰も奪いませんよ? 私が先程ルウィアさんから少し分けて頂いたのは生のペッペゥの味が気になっただけですし……。」


 そんなマレフィムの言葉も無視だ。っつか食えるもんなら食ってほしい……! あぁ……! 噛めば表皮が割れ、中からムースとレバーの中間みたいな感触の体液がブリュッと溢れ出てくる。なんて不快な食感なんだ……。そして、表皮が少しザラついていて、グニッと耐久性があるものだから魚と比較してめちゃくちゃ食い辛い。これって顎の力が弱かったら噛み切れないんじゃないか……? だ、駄目だ、駄目だ! 余計な事を考えたら死んでしまうぞ! 口呼吸を意識しろ!


「………………ふッ…………ん゛ッ……!」


 俺は手を止める事無く無造作にペッペゥの山に悪魔の槍を突き立てる。うおォン! 俺はまるでドラゴン火力発電所だ! 


 ――あ?


 勢いづいていたフォークを止められる俺。フォークの先には、決して触手と言えないビー玉みたいな大きさの白い球体が刺さっていた。その球体の傷口からは灰色の液体が滴っている。なんだこれ?


「ペッペゥの眼球ですね。珍味として親しま――。」


 限界だった。そのマレフィムの宣告は俺にとってのトドメだ。胸の奥から生臭い臭いが掛け上がってくる! しかし! 吐きたくなんて無い! 俺はこれを食うぞ! 吐いてたまるか! 金だって余裕がある訳じゃねえんだあああああああ!


 無情。


 俺が精一杯に吐くことを拒否した結果。それは逃げ道を求め、更に上へ駆け上がったのだ。吹き飛ぶテーブル、飛び散る料理、叫ぶ人々。そして鼻からも吹き出る豪風と…………青緑の光。


「……んゔっふ! ん゛ー! ぁっふ! っけほ…………んぁ?」


 やべぇ……やらかしちまった……。静まり返る店内、客も店員も全員がこっちを見ている。マレフィムは咄嗟に魔法で抵抗してたから大丈夫みたいだけど、ルウィアは完全に吹っ飛んでテーブルや後ろの客共々ゴミ山の一部みたいになっていた。そして、この鼻から漏れ続けているエメラルド色に発光するモヤは何だ? 何処かで……見覚えがあるような……。


「お客さん。」


 呆然とする俺に掛かる声。


「弁償。お願いしやすよ。」

「……………………。」


 俺はゆっくりとマレフィムを見る。怒っている様な哀れんでいる様な複雑な表情だ。これって弁償するとしたら幾らになるんだ……? こういう時はあれしかない!


「すんません!!!!」


 この世界には無い謝りスタイル! ザ・ジャパニーズ・土下座! 俺は吹き飛んだテーブル跡に四つん這いになり、全力で頭を垂れる。でもこれ、ドラゴンの頭だとどうすりゃ良いんだ? 顔が見えちゃ駄目だよな。デコを擦り付けてこそドゲザだ! 俺は思いつきで首を丸めこみ、眉間を床に密着させる。今俺の視界には殆ど床しか映っていない。


「お客さん……巫山戯ふざけてんですかい……?」

「謝ってるんです!」

「バカ言っちゃいけねぇ……それが人に謝る態度な訳がねぇ……。」

「本当です! 謝ってるんです!」

「謝るって言うんならねえ! 人の顔見て謝るのが常識だろがい! それに謝って貰った所で壊れたモンは直んねえんでい!」

「なら、お仕事を手伝わせて下さい! 皿洗いでもなんでもやります!」


 怒られてしまった俺は頭を上げて店員と目を合わせる。土下座は寧ろ怒りを買ってしまったようだ。しかし、飲食店でのトラブル解決と言えば皿洗いだろ。テレビとかだとこれでなんとかなってた……!


「皿洗いをしたらテーブルが直ると思ってんのかァ……?」


 あまり良い返事を返してくれなさそうな態度の店員だが、テーブルと椅子が積み上がった山からルウィア達が這い出てくる様を見てため息を吐く。


「目立った怪我人もいなさそうだし、粉々になっちまったモンも見当たりやせん。何よりわざとじゃないんでありやすよね? 今回は多めに見ましょう……。今日は、夜まで皿洗いを手伝って貰いやすよ……?」

「ありがとうございます! そして、ごめんなさい!」

「まずは他の客にも謝ってくだせえ。」

「は、はい! お食事の途中! 迷惑を掛けてすみませんでした! ……あの、怪我した人とかいらっしゃいますか……?」


 ルウィアと一緒に身体を払う客達はどいつもみんなガタイが良い可変種で、正に海の男という感じだ。こいつらが全員キレて襲いかかって来たらどうなるのか……そんでミィも暴れだしたら本当に収集がつかなくなる……! だが、誰一人怒っている様子ではない。


「……びっくりしたけどよ……喧嘩をするにはまだ早え時間だ。」

「だな。わざとじゃねえんだろ? 竜人種のくしゃみがとんでもねぇってのは本当みてぇだな。」

「お客様方、料理は全て弁償させていただきやす。」


 まさかのフォローに入ってくれる店員さん。弁償は俺がしなきゃいけないはずなのに……。


「そりゃ、ありがてえけどよ。まずは身体を洗ってくらぁ。」

「後で戻ってくるからそん時にまた頼むわ。」

「お待ちしておりやす!」


 店を出る二人の客。海の男は大らかって聞いた事があるけどそんな感じ? 最悪の事態は避けられたようである。良かったァ……。


「運が良かったようでしたねぇ。そんじゃ、あの二人へのご馳走分も含めて働いて貰いやすよ。おい! ここぉ、片付けてくれぇ!」


 あっ、弁償はやっぱり俺がやるのね。


「お連れさん達、この兄ちゃん借りてくよ。」

「……え、えぇ。存分にお使い下さい。」


 我慢して食った結果がこれなのかよおおおおぉぉぉぉぉぉ。





 

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