第43頁目 人喰い山のドダンガイ?

「人喰い山のドダンガイ……。」


 それは俺が事情を話し終わったのを聞いて長老様が呟いた言葉だった。そこから長老様は一つ一つ思い出すように言葉を連ねていく。


 昔、王国と帝国が戦争をしていた時代、伏兵を置きやすい森を一望出来る見晴らしの良い丘陵はとても重要な地点だったらしい。そこの防衛を任されていたのが、ドダンガイ・ダフナル・デナスという巨人族の男だった。彼の戦闘力は格別に高く、魔法も膂力も巨人族の平均から大きく外れていたという。その評判と言えば、森から攻め出ても人喰い山に喰われてしまうと帝国兵を震え上がらせる程のものであったとの事。しかし、それから幾年が経ち、休戦協定が結ばれる。攻める者がいない時代に過ぎた戦力というのは不要であった。工業や商業の発展の為、軍の規模は縮小し、森も王国領と定められ、嘗ての英雄は王国にとって無用の長物に成り果てたのだ。そんなドダンガイへ王国は休戦を理由に退役の命を送るが、彼は全く話を聞こうともせずに帝国の工作兵と疑い使者を殺してしまう。それが数度続くと王国は彼を放置せざるを得なくなった。


 ドダンガイには実績から作り上げられた揺ぎ無い自信があった。それは己の力により、全ての王国民が命を永らえていられるという事。そして、その自信を守る為にも丘陵を死守する必要があった。その誇りある行動は時という概念にすら縛られず、悠久なる伝説となった。丘陵に立ち入れば死ぬという恐ろしい伝説に。


「わしも曽祖父から聞いた話での……あくまで子供を霧に迷い込ませない為の躾け噺の類だと思っちょったがのぅ……」

「強大なアストラルがマテリアルとして結晶体となる……それが魔石だと文献で読んだ事がございます。そのドダンガイという方がそれ程の傑物なら、魔石を体内に生成していても不思議ではありませんね。」

「私も幼い頃、長老様から少し聞いた事があったわね……まさか本当にあった事だったなんて……。」


 長老様の話にマレフィムやドミヨンもそれぞれの感想を漏らす。だが、なんと言おうと起きた事は事実だ。


「ともかく、メビヨンは魔石へアストラルを取り込まれる前に戻せたという事よね?」

「えぇ……でも……。」


 全てが戻せたかはわからないのだ。自分じゃわからないが、俺の中にメビヨンのアストラルの多くが取り込まれている可能性もある。


「クロロさん、恐らく大丈夫かと思います。そういうのは繋がりの薄いアストラルから離れていくものです。早くにクロロさんが目を覚まし対処した事によってそこまでの被害は無いと思われます。」

「……そう……かなぁ。」


 マレフィムがとても希望のあるフォローをしてくれる。それでも、結局は推測だ。


「……でも、クロウ達にあんな事をして……ドミヨンさんになんて謝ればいいか……。」

「クロロ。確かにクロウ達が怪我をしたのは心配よ。メビヨンもね。でも、貴方の心配もしていたのよ? 広場の負傷者を見たでしょう。貴方もああなっていたのかもしれないのよ?」


 そう言っていつかの様に俺の首を抱きしめるドミヨン。その心遣いが温かく、故に心の傷に染みてしまう。俺はここに来てまた溢れそうになる涙をグッとこらえる。


「……先生、クロウ達の様子はどうかね。」

「軽い打ち身と脳震盪ですね。少し様子を見なくてはいけませんが、恐らく大丈夫かと思われます。」


 マレフィムが長老様にクロウ達の様子を伝えているのを見て、俺も何か今出来る事がないか探す事にする事にした。マレフィムとドミヨンのフォローのおかげか、少しずつ不安を今すべき事の義務感で覆い隠せている。とにかく今は行動だ。


「ドミヨンさん! 俺にも何か手伝わせてください!」


 それからは大忙しである。と言っても詳しい事はわからないので、大量の飯作りの為の食材運び、負傷者の為の衣料品運びや場所の確保、簡易的な伝達係や幼子のお守りまでとにかく出来る事を聞きだして手伝った。


*****


 ダロウ達は空が暗くなり始めた頃、村に着いた。すぐに駆け寄ったドミヨンにメビヨンを預け、他の雄から現状の報告を受ける。死者12名、重傷者7名、軽傷者42名。死者や重傷者の中には、俺も何度か話した事のある人もいた。この惨劇を招いた張本人は誰かに恨み言をぶつけられる間も無く死に、ただ多くの血と涙を流しただけという虚しい結果となってしまったのだ。恐らく、明日からはまたいつもの日常が戻ってくる。……戻ってくるのか? 本当に? 魔石による暴走がもう無いと言い切れる根拠は? 頭の中で自己肯定と自己否定をグルグルと繰り返してしまう。


 既に闇を溶かす月明かりが降る時間。俺とマレフィムはダロウの家に居た。目の前には未だ目を覚まさないオリゴ姿のメビヨンと彼女に寄り添うクロウ達。


「ねーちゃん起きないねぇ。」

「ねーちゃんがこんなに寝るなんて、すっごい頑張ったのかな。」

「ねーちゃん、にーちゃん心配してるよぉー?」


 こいつ等は今が如何なる状態であるのか理解していない。これでメビヨンが目を覚まさなかったら俺はこいつ等になんて謝れば……。


「んん……。」


 あどけない寝言を漏らしたメビヨン。今までこんな事はしなかった。すると、急に右手を上げて顔を軽く擦った。猫が顔を洗うときの仕草だ。


 ガタッ! っと音を立ててダロウが駆け寄ってくる。平静を装おうとしていたのであろうダロウだったが、その眉間からいつもより深い皺が消えた事は、今日一日、一度も見なかった。そして、必死に且つ煩くはないくらいの声で彼女の名を呼ぶ。


「メビヨン……メビヨン!」

「んぅ……パ……パ……?」

「メビヨン! 目が覚めたの!? 私よ! わかる!?」


 メビヨンの様子にドミヨンも堪らず駆け寄る。


「……ママ……クロウ、コロウ、メロウ。」

「ねーちゃん起きたー!」

「夜だけど! おはよー!」

「おはよー!」

「あぁッ!!」


 メビヨンの意識がしっかりとしてる事を確信したのか、ドミヨンは強くメビヨンを抱きしめた。


「苦しいよっ……ママ。」

「本当に……心配したのよ!?」

「ったく親の心を弄びやがって……。」


 ダロウは変わらずその様子を眺めているだけだが、口の端は見間違えようも無く釣り上がっていた。メビヨンはまだ寝起きの様なローテンションだが、身体を擦り寄らせる弟達に対して顔を綻ばすほどの余裕はあるみたいだ。そして、メビヨンと目が合いその名を口にする。


「メビ――。」

「えっ!? 黒い竜人種!? ベ、ベス!? 不変種もいる!?」


 予期もしていない反応だった。色々な悪い予感が頭に浮かび身体が動かなくなる。


「ねーちゃん?」

「にーちゃんだよ?」

「ベスじゃないよ。」

「……にーちゃん? どういう事? お客さんなの?」


 心底不思議そうに揺れる瞳を俺とクロウ達に向ける。まるで俺の事を知らないかの様な……。その誰もが違和感を覚える素振りを見せるメビヨンに、ドミヨンはゆっくりと問いかけた。


「メビヨン……クロロを覚えていないの?」


 その言葉を聞いて目を見開き、表情を曇らせ始めるメビヨン。


「クロロ……クロロ! そう! クロロは無事なの!?」


 俺を覚えている……? ならこの反応はどういう事だ? マレフィムやダロウ達も戸惑っている。


「何言ってやがる。クロロは目の前にいるだろ。」


 当たり前の事を改めて言葉にするダロウ。だが、それを聞いたメビヨンは俺を見て虚ろな目になり固まる。そして、そのまま記憶の整理をするように何かを呟き始めた。


「……ぇ? クロロは……アタシの……友達で……丁寧に魔法を教えてくれたり……落ち込んでいるアタシを慰めてくれたり……とても優しくしてくれた……。」


 やはり、俺の事は忘れていないようだ。メビヨンが言っている情報は事実に沿っている。


「それなのに急に何処かに行っちゃって……追いかけたら……霧の中に入って…………パパァ……ママァ゛……。」


 急に目から涙を溢れさせるメビヨン。その様子にダロウ達は更に狼狽えてしまう。ドミヨンはまたメビヨンを強く抱きしめ、穏やかな声であやす。


「私達はここにいるわよ。落ち着いて……よしよし……。」

「……違うの……違うのぉ…………アタシ……"生んでくれたパパとママ"に会ったの……。」


 続けて涙ながらに語り始めるメビヨン。それは俺やミィすらも知らない事だった。両親と出会った事、その両親が自分を放り出した事に後悔していた事、拾ってくれた角狼族に感謝していた事、そして、メビヨンの本当の名前。


「翼猫族のステラ一族か……悪いが聞いた事が無いな……。王国で商売をしてた獣人種ってんなら少し調べたらわかるかもしれねぇが……。」

「もしかしたら親族が未だ帰りを待っているのかもしれないと思うと、どうにかしてあげたいわね。」

「あぁ、メビヨンはまだ生きてるんだ。せめて一報くらいはいれてやりてぇ。それと……。」


 少し哀しげな表情でメビヨンを見るダロウ。


「……メビヨンにはどうやって生きていくか選ぶ権利がある。それを考える為にも翼猫族には会わなきゃな。」

「ア、アタシはジャオラン一族だよ!?」

「どうするかは自由だ。だが、何も知らずに否定するのは良くない。」

「……そうね。」


 ドミヨンもダロウに同意する。この二人は、今まで世話をしてきた娘に不要と判断されればそれはそれで素直に身を引くつもりなのだろう。並大抵の覚悟ではない。しかし、弟達はそこまで受け入れられないようだ。


「「「ねーちゃん……」」」

「……。」


 黙りこむメビヨンだが、マレフィムはメビヨンの目の前に飛び込んだ。


「あの。」

「ッわぁ!」


 そりゃその距離なら吃驚するだろう。


「よ、妖精族!? そ、そうよ。結局この人たちはなんなの!?」


 その戸惑い具合にため息を吐くマレフィム。


「はじめまして、ではないのですが、私はマレフィムと申します。彼はクロロ。どうやら覚えていないようですね。――外見は。」


 意味あり気に最後の言葉を強調するマレフィム。


「マ、マレフィム……さん……先生? それと……クロロ……?」

「メビヨン、思い出してくれ。俺だ。クロロだよ。」


 まだ思案顔のメビヨンに改めて自己紹介をする。


「クロロ……クロロなの? 貴方が……? でも、クロロは……思い出せない……クロロの姿が……。」


 俯くメビヨンを見て、なんだか俺まで悲しくなってきてしまう。だが、マレフィムはいつもの調子で話を続ける。


「断言致しましょう。メビヨンさんのアストラルは少しだけ……ほんの少しだけ魔石に取り込まれていますね。それによる記憶障害が起きています。彼女は恐らくここ数ヶ月の印象の薄い記憶が殆どなくなっているはずです。メビヨンさん。昨日は何日ですか?」

「えっ……昨日? …………わかんないけど……冬が過ぎたばかりだったはず。」

「何言ってんだ? もう夏も終わりそうだぞ。」


 その通りである。俺がこの村に来たのは春の終わり頃だ。少なくとも昨日が冬の終わり頃な訳が無い。メビヨンの記憶がそこまでなら俺と会ったという記憶はもう……。


「やはりですか。もう一度言いましょう。貴方は、最近の忘れたい記憶や印象の薄い記憶を失くしているんですよ。それでも、私という存在とクロロさんの事は辛うじて覚えてるみたいですね。根幹となる情報は殆ど消えてるみたいですが……。」


 そこからマレフィムは今メビヨンに起きている状態の変化を淡々と説明し始めるのだった。

 

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