第37頁目 傷付いたのは誰の所為?

「なんだぁ!? 行方不明だぁ!?」

「だから声が大きいってば!」


 俺の家は壁が薄い。というより暖炉や竈の排気口とかで繋がってるだけなんだけど。


 昨日、高鷲族の村から帰ってきた俺等はそれぞれの家路についた。ダロウは酩酊状態のメビヨンをそこまで怒る気は無かったようだが、ドミヨンからすれば違う。監督不行き届きとしてダロウがこれでもかというくらい叱られていた。メビヨンがああなったのは誰も悪く無いと思うので、少し可愛そうだった。


 翌日、メビヨンと顔を会わせたら『どうやって帰ってきたか覚えてない』と悩んでいた。とりあえずメビヨンの面子を守る為に、お腹一杯になって寝てしまったから、俺が背に乗せて運んで帰ってきたと説明したら、途轍もなく衝撃を受けた顔をして何処かへ行ってしまった。何か伝え方を間違えたんだろうか……へべれけになっていた事は知らないだろうし……。


 それからはいつも通り。マレフィムから読み書きを習い、ミィと一緒に魔法の特訓をしてたら日が暮れたので、夕飯前に家で休んでいたところである。


 それはつまり、キュヴィティを引き渡す期日が過ぎようとしているという事だった。


「わ、わりぃ。んでどうするんだ。キュヴィティって奴がいないとなると縄張りが奪われるんだろ。」

「そんな他人事みたいに……いやぁ、他人事なんだけどさぁ……。」

「キュヴィティってのは本当に何処にもいねぇのか?」

「うん。しかも、同じく角狼族の縄張りを侵して謹慎していた他の2匹もいないんだよねぇ。」


 縄張りの侵しただけで殺されるってのもちょっとやり過ぎだと思うし、仕方ないんじゃないかなぁ。縄張りが減るってのは少し問題かもしれないけど。角狼族と高鷲族が仲良くなったら合併とかもありえるかもしれないしね。


「とにかく俺なんかに相談せず、ボンボボに伝えた方がいいだろ。」

「もう話したよぉ! もう少し待って! って……そしたら、『そんな事だろうと思っていた。』なんて言われてさ。そのまま決まり通り、縄張りを奪うって言うんだよぉ!」

「そういう決まりなんだから仕方ねぇだろ。」

「冷たい!」

「これからキュヴィティを捕まえてももう手渡すまでの時間が無い。それに、あいつらは偏屈だからな。素直に受け取るとも限らねぇ。だからせめて持っていかれる縄張りを少なくするよう交渉しろ。」

「…………やっぱりそれしかないよねぇ……あぁ、もぅ、面倒だなぁ。」


 部族の長は色々仕事があって大変だなぁ。デカいベスを狩れれば一番偉いとはならないんだもんなぁ。


「だから、今すぐにでも使者を出して明日交渉するよう伝えろ。」

「……そうだね。そうする…………スメラァ!」


 そのまま音が不自然に途切れた。通話を終えたのかもしれない。


「俺んとこはトラブルメーカーがいねぇから助かるな……」


 なんて独り言を呟くダロウだが、どこか声が重々しい。


「(大変な事になりましたねぇ。)」

「(まぁな……でも、俺等が心配してどうにかなる話じゃないだろ……もういい時間だし、そろそろ寝ようぜ。)」

「(……そうだね。じゃあ火を消すよ。)」


 ダロウの会話を盗み聞きをしてしまいなんとなく後ろめたさのあった俺等は、小声でそんなやり取りをして眠りにつく。


「(おやすみ。)」

「(良い夢を。)」

「(おやすみぃ……。)」


 この村で日常を経て、いつも隣にいるこの二人と共に向かう夢への旅路は俺の一つの常識となっていた。常識が崩れない日常というのは、知らず知らずの内に幸福を溜めてくれているものだ。ただ、それに慣れた時。虚となった幸福を前にして、俺は正気でいられるだろうか。


*****


 翌日。この村に似つかわしくない喧騒によって目が覚める。ミィも何かを感じて目を覚ましたらしい。俺はとりあえずまだ起きていないマレフィムをたたき起こした。


「な、なんでしょう!?」

「なんか村の様子がおかしいんだよ。」


 玄関の簾の向こうから物々しい声が聞こえる……? なんだろう……。


 とりあえず家の外に出てみる。すると、家の前の道をいつもと違って慌しく早足で歩く奥さん達。なにやら食料や、よくわからない大きい荷物を持っている。そして、村の中心の広場には、見た事も無い数の角狼族の雄達が集まっていた。更に良く見ると、全員広場の端っこにいるダロウの方を見ている。そのダロウは……。


「わかったか! これはただ事じゃねえ! 白銀竜が消え、調律が崩れた以上! 遅かれ早かれこうなってたんだ! 同胞を! 家族を守れ!」


『『『『『うおおおおおおおお!!!』』』』』


 檄を飛ばすダロウに応える雄達。ビリビリとその叫びが俺の平静を揺らす。


「これは……ただ事じゃないですねぇ。」

「(まるで戦争が始まる前だよ。)」

「クロロ! こちらへ来なさい!」


 俺を呼びかけるのはドミヨンの声だ。


「クロロ、何してんのよ! 早く行くわよ!」

「えっ、ええ!?」


 駆け寄ってきて更に俺を促すメビヨン。俺はそれに従ってとりあえずドミヨン達に付いて行く。坂を下りて行っているので、行き先は広場だろうか。


「これ、一体何事なんだ?」

「わかんないけどっ! 手長猿族が縄張りを包囲してるのよ!」

「ええ!?」

「だからっ! 子供達は皆長老の家に待機よ!!」


 じゃあ、広場横にある長老の家に向かってるんだな。近くで見ると広場の人口密度に驚いてしまう。宴でもこんなに混んだ事はなかった。それもそのはず、広場には俺が見た事もない雄も混ざっていたのだ。


「もしかして、他の村の雄もいるのか?」

「当たり前でしょう! 境界を包囲できる程の数を出して来てるのよ!? アタシ達の村だけじゃ無理よ! ほら! こっち!」


 広場の方を見ながら走っていたせいで道を間違えそうになる俺を、メビヨンが引き止める。擂り鉢状の村だからって直線で飛び降りても怪我するだけだからな。


「お、おう!」

「なんでも、高鷲族との縄張りの境界線や、渇望の丘陵側まで包囲しているらしいわ! 手長猿族があんなに多いなんて!!」

「渇望の丘陵側まで!? それは流石に無理があるのではないでしょうか!?」


 思わずマレフィムも疑問を投げた。渇望の丘陵って凄い広いのにそれを囲める程の人数って言ったらかなり人員が必要になるはずだ。


「手薄らしいけど! 少数で監視するように人を立ててるみたい!」

「なるほど。渇望の丘陵を通るリスクを無視して戦力を迂回させるのを防ぐ為だけの要員ですかね……。」

「メビヨン! 先生! クロロもこちらへ!」


 先に着いていたドミヨンが俺達を呼ぶ。忙しない村の中を走りぬけ、なんとか長老の家に着いたが、その中には怯える見慣れた子供達がお互いを慰め合うように固まっていた。


「ごめんなさいね。急に避難勧告が来たからとりあえず避難したのだけれど、クロロを呼ぶ人がいない事に気付いてとても慌ててしまったわ。ここにいれば安全だから。少しだけここにいなさい。」

「ありがとうございます。」

「私からも礼を、ドミヨンさん。」

「ここには食料も沢山蓄えてあるから数日はいられるわ。今はこんなだけどすぐに収まるから、それまでここから決して出ては駄目よ?」


 ずいっと顔を近づけてくるドミヨン。一昨日ダロウへの怒りを聞いていた俺は絶対に怒らせたくないと思っている。故に答えは一つ。


「はい。」

「いい子ね。」

「じゃあ私はまだやる事があるから。メビヨン、クロウ達やクロロの事頼むわね。」

「……はい。」


 そう言い残して広場のほうへ出て行くドミヨン。それにしてもやっぱりメビヨンの態度が何処かおかしい。ここへ向かってくる時はいつもの調子だったんだけどな。


「なぁ、メビヨン。」

「……何よ。」


 何よと言った癖に、メビヨンは背を向けて奥へ行こうとする。


「どうしたんだよ。」

「……何が。」

「何がって……明らかに態度がおかしいだろ。」

「…………なんでもないわよ……ただ……少し落ち込んでるだけで……。」


 そう言って俯き、言葉を止めた。俺はそんな彼女と話す為にメビヨンの前に歩み出る。


「なんで落ちこんでんの。」

「………………。」

「高鷲族の村に付いて行けたし、そんなに怒られもしなかっただろ?」

「………………。」


 それともまさか、あの酔っ払ってた時の記憶があるとか? それで気を使われて嘘を吐かれたと思っちまったのか?


「……アタシ、友を守るだのなんだの粋がって……結局お荷物だった。」

「……え?」

「……尾行してたのを簡単にバラされるし……パパドさんとは緊張してマトモに話せなかったし……挙句の果てに家に着くまで熟睡なんて本当に役立たずじゃないッ……!!」


 お、おう……自覚はあったんだな。そして、これ泥酔してたの話した方が良かった感じ? いや、リスクも高いしなぁ。ぁ~……こういうの苦手……。


「(ほら、黙ってないで慰めてあげなよ。)」


 無茶言うなよミィ……。前世でも俺はモテた例が無いんだぞ。


「め、メビヨン。そのぉ……今起きてるこの戦い……はさ……。今、ダロウ達に任せるしかないけど、もしかしたら何か起こるかもしれないじゃなッ――。」


 まるで、身体全体が刹那に弾けとんだかの様な衝撃。眼前に移る景色全ての境界が爆ぜる。色が混ざり、汚い光が脳を満たしたかと思えば、今度は彩度が潮が引くように失せていく。

 

*****


 その日はこれ以上無いくらいに落ち込んでいたわ。今まで上手くいかない事は色々あったけれど、それでもアタシがやるって言った事はしっかりやってきた。小さいベスなら一人でも狩ったし、クロロにちょっとだけ手伝って貰ったけど、練習して空だって飛べるようになったんだから。それなのに……友を守るとか言って何!? パパ達が話してたのを聞いたけど、アタシが寝てる時に手長猿族と何かあったって……。それをアタシは覚えてないし、しかもクロロがアタシを負ぶって家にまで運んだなんて……本当に……本当に……!!


「め、メビヨン。そのぉ……今起きてるこの戦い……はさ……。今、ダロウ達に任せるしかないけど、もしかしたら何か起こるかもしれないじゃなッ――。」


 クロロは変な子。ママに捨てられて苦労したっていうのもあるんだろうけど、どこかアタシ達とは違う考え方を持ってる。デリカシーが無いのが駄目なとこだけど、なんというか……話しても面倒だなって感じる事が少なかった。他の子は皆アタシがやる事を見て、凄いとか、自分には無理とか言ってすぐ離れて見てるのにクロロは毎日練習して、追いついてもいないのに張り合おうとするの。だけど、クロロもアタシには出来ない事が出来たりもして……。


「――クロ、ロ……?」


 何が起きたの? 他の子達が騒ぐ声。全身が痛い。霞む視界。闇の切れ間の様な尻尾。


「――ビヨンさん! メビヨンさん!!」


 先生? そんなにアタシを呼んで……何があったの……? クロロは……。

  

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