第21頁目 旅行って準備が一番面倒臭いよね?
ゆっくりと頭を水面から出す。
「ふぅ~。一時はどうなるかと思った。」
「それは私の台詞ですよ。もう完全に駄目かと思いました。」
洞は狭い。俺だって見つかると思った。ミィの助言が無ければ。
*****
「リアン! 見て! 洞みたいなのがある!」
まずい! この洞の存在に気付いた。ここを覗き込まれたら終わりだ! どうやっても隠れるような場所は無い。
「そこは、ただの水場ですよ!」
そうだぞ。他の人にとってはなんでもない水場だ。なんもない。なんもないぞ!
「水場……。」
うわあああああああああ! 来る! 足音が! 近づいて!
「(クロロ! 水に入って!!)」
「(え!? わ、わかった!)」
一瞬の疑問はあったものの、そこはもう従うしかなかった。不自然に大きい水音だけ立てないように入水する。向かうは水の奥。
『パシャンッ!』
いつもは魚を獲る為にやる気満々で飛び込むが、その時は焦燥感に煽られながらただ水底を目指す。バレたか!? まだ後ろから何かが追ってくる気配も無い。それ以前に急いだせいで息を多く吸えていない。このままでは酸欠になる……!
焦りと混乱が頭を満たしていく中、目の前に渦の様な物が見えた。回避しなくてはという考えから行動に移る前に身体が飲み込まれる。その渦の中には――。
空洞があった。
水がどこかで聞いた神話の如く不自然に壁を作っているのだ。空間にはちゃんと吸える空気があり溺れずに済みそうだ。
「(もしかして……ミィか?)」
息切れから立ち直ろうとしつつ、今頭に思い浮かぶ唯一の可能性を宙に問う。勿論警戒する相手との距離がわからないので小声でだ。
「(うん。)」
聞きなれた返答。いつかの時とは違う明確な救い。これこそ、ミィが友人と認めた者に施す力なのか。地面にはまだ少し水が溜まっているが、水は殆ど俺を避けて空間を作っている。天井が完全に開いているのを見ると、そっちから空気を取り入れたのだろう。
「(床の水はちょっと我慢して、身体が繋がってないと形を維持できないから……分身出すの面倒だし……。)」
「(息が出来れば十分だよ。本当に助かった。ありがとう。)」
「(もう少し待ったら何処か行きそうだよ。)」
水に染み込む音はミィに全て聞こえるんだろう。相変わらず便利な力だ。
「(それならもうちょっとだけこの不思議空間に居座らせてもらうか。)」
それから少ししてマレフィムの呼び声が洞に響いた。
*****
「マレフィムの嘘は凄いな。助かったけど信用が少し揺らいだよ。」
「失敬な。アレでも中々必死だったんですよ?」
「それでも何か皮肉を言う余裕はあったみたいだけど。」
「アレはですね。私達が白銀竜の庇護の下、秩序の保たれた環境で生活を送れたというのに、王国の領地だから好き勝手してもいいみたいな論調に腹が立ちましてつい、ですね。」
あれはそういう事だったのか。領地問題なんてこの世界にもあるんだなぁ。
「私が知る限り、白銀竜が居る間に王国がこの森に干渉した記憶は無いよ。そのせいで密猟者や盗賊は全て白銀竜1人で対処してたみたいだし……。」
「なっ……! それなら俺がこうなったのも……!?」
「ちゃんと管理していれば防げたかもしれないね。」
マジかよ!? じゃあ俺が災竜になった遠因は王国の領地問題かもしれないって事か!?
「こうなったとは?」
「クロロはね。夜盗に卵を落とされて生まれたから災竜になったの。」
「なるほど……そういう因果が……今こうして健康である所を見ると本当に生まれる寸前だったのですね……。」
「監視して狙ってたんでしょ。」
完全な卵であれば俺は今存在していない。液体として漏れ出て腐って終わり。生きているのが幸運と言えど、悔しい事に変わりはない。
「不変種の統治している国の領地の端っこに、可変種の白銀竜が後からやって来て間借りしてたんだから、原因が王国だけにあるとも言い難いけどね。」
「……母さんは不法入国みたいな感じで居座ってたって事か?」
「まあね。ただこの森は領地を主張されていただけで、白銀竜が来る前は大荒れだったし。誰も手を付けて無かったよ。」
「ですから、この森の住民は王国民であると言うより、この森の民であるという認識の方が強いのですよ。」
なるほどなぁ。でも、そうか。うーん……どちらが正しいとかはちょっとなんともだな。
「にしても厄介な人に顔を覚えられてしまいました。」
「本名まで教えちゃってたしな。」
「それはまぁ、名前を変えれば問題ないので。」
それでいいのかよ。役所とかそういうのはないんだな。そもそも識字率とかの問題もあるか……。
「流石、白銀竜の巣ですよ。王国の副団長直々に調査団に加わってるとは。この事件の重大さを見誤りましたね。」
「母さんがいなくなったってそんなに大問題なのか?」
「……もしかしてここが国境間際だから?」
単語として少しだけ聞いた事はあった。王国と帝国。甲冑があるのだから少しは進んだ文化が存在するとは思っていた。マレフィムの格好がお洒落っぽいという点からも、ある程度の商業や工業も存在すると思っていた。だが、それがあるという事はつまり国が存在するという事。生きるのに必死で俺はこの世界のルールを色々理解できていない。だが、やはり人間は何処にいても文化を築くのだ。
「正解です。勝手に居座った変わりに帝国の手引きをしない契約は結んであるそうですよ。ただ、それだけだそうです。」
「それだけって?」
ミィはそれを知らないのか。やはりそういった人間社会の情報はマレフィムの方が持っているようだ。
「王国に白銀竜が危害を直接的にも間接的にも加えないというそれだけの契約を交わしたそうです。」
「じゃあ、王国側は白銀竜を攻撃できるって事?」
「えぇ。ですが、それによる損害を考えるとメリットの方が少ないですけどね。」
「損害? 母さんはそんなに強かったのか?」
思わず話題に上がる自分の知らない母親へ興味が向いてしまう。
「そりゃ勿論ですよ。竜人種の飛竜族の血筋としては二大頂点の片割れですよ? あの大きな体躯に竜人種の中で神聖とされる穢れ無き純白の鱗。エリート中のエリートと言えます。そして、その血に違わぬ武力の持ち主だとか。」
「クロロはどれも受け継いでないけどね。」
グサッと刺さる一言である。
「でも重きに置かれていたのは武力という強さというより、名前としての強さですかね。最終手段としては、帝国からの人質としても使えますし。」
「帝国と王国はいつまで争うつもりなのやら。」
ミィが呆れているという事は過去、相当長い期間争っているのかもしれない。
「その帝国と王国がずっと争ってるって事は何か大きな考えの違いでもあるのか?」
「いえ、戦争なんてとっくに終わってますよ。各地で小規模の武力衝突はあるみたいですけど。内側は平和なものです。それと、考えの違いというよりは人種の違いですね。帝国は可変種。王国は不変種と考えていただければ。」
「うわぁ……。」
平和維持はほぼ無理だな。ここよりよっぽど進んだ文明のある前世ですら人種問題で争ってたんだ。人種の数がどれだけあるかもしれないこのファンタジー世界でどうやって仲良くやっていくのやら……。
「考えてみるとかなりの苦難の道ですね。災竜がここから親探しの旅に出るというのは。」
「やめろ。そういうのは考えないのが一番だ。」
事実なんだが、今は出来るだけネガティブな事は考えたくない。なんならよくわからない災竜とかいう生き物だからなんとかなる、程度な感じでいきたいんだ
「どちらにしろ、ここに長居は出来ませんよ。少なくとも焚き火はいけません。あの調査団に目を付けられてしまいました。」
「でも、まだ出発は早すぎるよ。今のクロロの実力じゃ密猟者や奴隷商人の餌にしかならない。」
申し訳ない気持ちになるが、俺は決して悪くない。怒りをぶつける相手はもう死んでるし、どうしようもないな。そんな楽観的に捉えている俺の為に、色々方針を考えてくれる二人には感謝しよう。
「泥を纏わせる事も出来るけど、そもそも竜人種が……。」
「目立ち過ぎますね……。」
「……オクルスだっけ? それは街なんだよね? そこから遠いほうがいいかな。」
「最早砦とも言える王国の前哨基地ですね。そこから単純に遠くへ行きたいのであれば北がお勧めです。涙の大河があるのでそれに沿っていけば迷う事もありません。それと……南に行くと渇望の丘陵という危険な場所があり、森への出入りを遮っています。そちらへ向かうのも一つの手かと。」
「なにそれ?」
人が避ける程危険っていう事は崖とかが沢山あるって事だろう。或いはファンタジーらしく魔物とかがいるとかかもしれない。
「そこは以前ただの景観美しき丘陵として有名な場所だったのですが、とある日を境に濃霧が立ち込め行方不明者が絶えない場所になったようです。過去に王国が調査団を出して誰一人帰ってこなかった為、立ち入りを禁止され調査も打ち切られたとか……。」
「そこにしよう!」
「なんでだよ!?」
何故危険かはわからないが、結果として被害が出ているなら近づかない方がいいんじゃないのか? 国が動くレベルの危険な土地に近づいてうっかり死んだら成仏できない。
「別にそこの中に入る訳じゃないよ。なるべく端っこに寄って人の目を避けようってだけ。」
「人の目を避けたいなら北でいいだろ?」
「北は可変種がちょっかい出してくる可能性があるからね。」
「確かに、無いとは言えませんね。」
マレフィムもその意見には同意してしまう。こいつは危険な場所でも構わないのか?
「可変種って事はある意味同族だろ?」
「そうですね。だからこそ災竜を血眼で捕らえようとしそうです。」
「うぅっ。」
それもそうか。俺が希少な存在ってのは、可変種の国である向こうじゃよく知れ渡ってるのか。
「でも価値を知ってたら血眼で狙われるのはこっちでも変わらないですけどね。」
「はぁ~……勘弁してくれよぉ~……。」
「そういう訳で敵と確定してる奴等が来る所よりは、敵かもわからない何かがいるところの方がいいってこと。」
「う~ん……。」
納得しそうになってしまう理由だ。
「それに多分、こっち側から丘陵へ行くルートって立ち入り管理されてないんじゃないの?」
「ご明察。森と隣接してますからね。柵等も一切建ってませんよ。」
「そんな立ち入り禁止なんてハリボテみたいな物なんだろうけど、森に入る不変種は柵が不要なくらいいなかったって事か。」
「それほどの権威。最早白銀の国を名乗っても良さそうですけどね。」
マレフィムはやはりなんだかんだ母さんに恩を感じていたんだろう。庇護下でのうのうと暮らしていく事が肌に合わないだけで、守ってくれた母さんには感謝していたんだ。もしこの森の他の部族も似たような考えを持っていたとしたら、なんて誇らしい親を持ったのだろうと思える。
「母さんが王様だったら俺は第一王子か?」
「扱いは愛妾との間に出来た末っ子王子みたいなものだけどね。」
ミィにはデリカシーという言葉を教えたい。
「にしても国防を白銀竜に頼りきりだったのに、急に居なくなったら大騒ぎなんて杜撰なもんだよ。」
「この森を開拓するのだって予算や人員を考えると難しいですよ。」
「それもそうか。にしても……はぁ。ついにここを離れるのかぁ。」
そうぼやきつつ巣のほうを見上げるミィ。俺にとってもここは思い出深い場所だ。
「二人してそんな顔をせずに、全て終えたらまたここに戻ってくればいいじゃないですか。飛竜族なんですから飛べるようになれば簡単ですよ。」
「そう――だよな。」
俺が成長して帰ってくればいいんだ。災竜だろうとなんだろうと有無を言わさないくらいの力を付けて。母さんくらい凄い人になれば狙われる事も無くなるかもしれない。
「そうと決まれば明日出発だね。南のなんとかって場所まで行こう!」
「えぇっ! 明日!?」
さっきまで名残惜しそうにしてたのにそんなに早く出発するのかよ。生簀にはまだ魚だって――あの量ならすぐに食いきれるか。
「あの騎士団達がいつまた戻ってくるかわからないんだし、すぐに移動して間違いは無いと思うよ。」
「ですね。寧ろ今日から移動したって悪くはないですが、この巣から離れる程危険なベスがうろついているはずです。そこも警戒したいという意味で明日の朝がおすすめですね。」
「そうか……それなら携帯食料として魚をもう少し獲っていいかもな。」
水はミィがいる時点で心配しなくていいだろう。飯だってそこらを彷徨いているのを狩れば問題なさそうだが、魚が少しの間食べられなくなるのは惜しい。
「クロロは暢気だねぇ。でもそれでこそかな。」
正直魔法が少し使えるようになったとは言え安定していないし、ドラゴンらしい魔法は何一つまともに使えていない。細かく言うと火は吹けないし、飛べないし、人間になれない。まだまだひよっ子だが、友達は2人も出来た。ミィもマレフィムも少し変わった所があるが、それでも信用できる存在が傍に居てくれるのは今世では望んでも手に入らなかった幸福なのだ。可能ならこの幸福を手にしたまま冒険を出来たらと思う。その為にはやはり、力。生きる力が必要なんだろう。
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