第8頁目 ちょっ、コレ食うんすか?

 ここ数年、俺が大穴の底を綺麗にしてから水が綺麗になったおかげか、グロい見た目の魚が減ってありきたりな魚の数が増えた気がする。少し昔はウナギっぽいのやナマズっぽいヌメヌメっとした魚がもっと多かったんだよなぁ。そっちの方が脂がのってて美味しかったんだけど、淡白な魚も悪くは無い。悪くはないけどどこか惜しい。そんな考えを浮かべつつ、俺はいつも通り魚を獲って陸へ上がる。


「『クロ』!また獲って来たんですね!」


 俺は声の主を見る。元気っ子だ。チビ共はあれからも、度々親の目を盗んでは話しかけてくる。俺はそれが嬉しかった。だから喜んで相手をしてやった。そして、俺はチビ共に『クロ』と呼ばれるようになっていた。多分『クロ』ってのは色の”黒”のことだと思う。ついでに、チビ共は結構身体が大きくなり、今では母竜の半分以上ある。少し黄色がかった白い鱗もより白くなってきていて、そろそろ大人になるの近いのかもしれない。相対的に俺の鱗はより黒くなっていて、身体も小さいままだ。それでも悔しいからチビ共って呼んでいる。実際に中身は幼いしな、とか思いつつ俺は魚から口を離し応じた。


「あぁ。今日も沢山獲れたぞ。」


 と言っても魚がいなくなっても困るから、相変わらず食べられる分だけ獲っている。だが、今日は昔作った生簀に貯めている魚を、交換用として頭蓋骨の中にたんまりと入れてきていた。


「クロさん。今日は私と交換してくれる日ですよね?」


 真面目っ子だ。俺と姉妹の魚の交換もまだ続いている。臭いでバレるようなヘマはしない。黙認かもしれないけど、その線は怖いので考えない。


「そうだったな。じゃあいくぞ。」


 俺は比較的小さな魚を咥えて巣に投げる。それを不自然に口で受け止める真面目っ子。


「ッ~~~~~! 美味しいです!」

「う~。私も食べたいです!」

「あなたは昨日食べたでしょう。」

「明日まで待てません!」

「今日は沢山獲れたから2人にあげてもいいぞ。」

「ほんとですか!?」


 俺の泳ぎは、もう一組の腕である翼と尻尾を使用する完成した泳ぎとなっていた。その泳ぎは弾丸のようであり、あの地底湖に住む魚の天敵として知れ渡っているに違いない。中には根性のある大魚も居て、歯向かってくる奴もいるが、ドラゴンが魚如きに負けるわけにはいかない。って言っても俺の強靭なあごで反撃したら、骨ごと噛み千切れるから負けようが無い。ただ、そんな大物は基本自分用なので基本は小魚を大量に獲って生簀に入れている。


「でも、今日両方にあげたらソイツが可愛そうだから明日はまたソイツな。」


 俺は顎で真面目っ子を指す。


「ホントですか!? ありがとうございます。」

「……うぅ~。」

「何羨ましがってんだよ。ほら、ちゃんと受け取れよ!」


 そう言って魚をポンポン投げ込んでいく。受け取るチビ共も器用だが、俺の投げる技術も大したもんだ。魚の小山を両脇に置き、右から振りかぶって投げたら左から魚を咥える。次はその逆、みたいに効率的な投げ方も会得している。最近は俺魚竜なんじゃね? とすら思いそうになる。翼を有効活用して泳ぐ気持ちよさは、前世でカナヅチだった事を忘れさせてくれるしな。そして、相変わらず竜の瞼は凄い。しっかりと水の中が視える。この地底湖の澄んだ水もよく視える要因の一つであるのだろうけど、それにしてもよく視える。そのよく視える眼で地底湖を見渡した限り、広さの事を考えると飛べなくても外に出られそうな希望も湧く。でも、泳いでこの穴を出るのはなんか悔しいのでまだここに住もうと思っていたりもする。良い家作っちゃったからなぁ……。


「美味しい! やっぱり魚はいいですね!」

「いつか私も魚が獲れるようになりたいです。」


 真面目っこまで魚を獲りたがるなんて、この血族の先祖はやっぱり魚竜なのかもしれない。


「魚より肉のがいいだろうがよ。」

「母様が立派な獲物を狩って来てくださるの嬉しいのですが……肉ばかりだと飽きが来るんです。」

「それは同感です。母様が許してくだされば狩りに行くのですが。」

「狩りはそう簡単じゃねぇぞ。」


 あいつら狩りを舐めてるな。魚だって結果だけ見てるから簡単に見えるんだぞ。トロそうな魚に限って凄い顎の力で噛んできたりするし、大きい身体をしてる癖に滅茶苦茶逃げ回る奴とかもいたりする。


「それより肉はちゃんとよこせよ。」

「勿論です。母様がまた立派な獲物を狩ってくるまでお待ちください。」


 何も無償で魚をくれてやっているわけではない。あいつらは与えられた餌を食べるが、要らない部分は巣の外にポイ捨てする。そのポイ捨ての中に対価である肉を含めるのだ。この方法がもう随分と続いている。手慣れたものだろう。


 そこに丁度良く、ただいまの咆哮が響く。母ドラゴンが帰って来たようだ。


「おかえりなさい!」

「今日は少し時間がかかりましたね!」


 真面目っ子が言うとおり確かに今日は少し遅かった。その時間楽しく会話できたけどな。……にしても? 母ドラゴンの顔が少し険しい。


「……えぇ。でもなんでもないわ。ほら餌をお食べ。」

「はーい。」

「いただきます。」

「今日は変わった肉ですね! 初めて見ます!」

「……そうね。」


 元気っ子が見たことのない肉だと言っているがどんな肉なんだろう。すると、さっそく対価が落ちてきた。よしよし、食事だ食事だ!


 意気揚々と歩みを進める俺はすぐに足を止める。


「……え?」


 当然だ。そこには抗うべき現実があった。糞尿の散っている地面の手前に落ちている血の滴った肉。それは見覚えのある形をしていた。


 ――人間の足だ。


 ボトッ。


 また落ちてくる。縮れた毛が少し生えた浅黒い腕に、5本の指と自分の鱗よりもか弱い爪がついている。


 ――人間の手。


 久々の恐怖が再燃してきている。忘れていたんだ。孤独では無いと思っていた。飢えと渇きもなんとか凌いだ。郷愁も忘れた。動物の生首に齧り付き人間性だって捨てた。


 そう思っていた。

 違う。

 喉が渇く。

 食べたい。

 嘘だろ?

 目の前にあるのは人間だ。

 同族じゃないか。

 違う!!!

 俺はもう人間じゃない!!!


「美味しいです!」

「初めて見た肉ですけど中々です。」


 その幼い声を聞きハッと我にかえる。あぁ……そうか。そうだよな。こんなに怯えるって事は俺、人間やめれてないんだ。なんだよ。狩りをして生魚食って、ゴミみたいな生肉食って、泥水を啜れば人間やめれる? 馬鹿かよ。ちょっと切羽詰まればそれくらい出来るだろ。


「……嫌だ。」


 口から零れた言葉はそれが最後だった。嫌だ。嫌だよ。帰りたい。地球に帰りたいよ。人間に戻りたい。こんな悩みを持つ奴がドラゴンとして生きていける訳ない。こんな悩みを持つドラゴンなんていない。俺は独りなんだ……。わかってくれるやつなんていない。


 ゴトッ。


 音がする方へ目を向ける。血に塗れた中年の男が恐怖に顔を歪めて、片目は白目を向いている。時が止まっているようにその表情は変わらない。


 ――人間に齧り付いても生きる人間なんていない。


 その首は確かにそう言った。少なくとも俺には聞こえたんだ。


「……ハッ…………アハッ…………アハハハハッ……………………。」


 その光景を最後に人間だったドラゴンは意識を失った。


*****


 それから、どれ程経ったのだろうか。俺が眼を覚ますといつもより大穴が静かな気がした。空を見る限り朝という事はわかる。いつもと変わりない。空腹だ。


 悪夢を見たのだと思いたかったが、便所ゾーンの手前に変わらずソイツは転がっていた。俺は、それを見て大声を上げた自分の腹を憎みながら穴を掘る。そして、亡骸を全てその穴へ入れて埋め、大樹の厚皮を立てた。そこにはカタカナで『オッサン』と爪で刻んだ。受け止め難い現実的オブジェクトを少しでも茶化さないと、呪われたインテリアが一つ増えた感じがする上に、何よりも思考を停止させたままでいたかった。


 にしても、ここまでの作業の間一切声がしていない。どうしたのだろう? いつもはチビ共の軽い雑談が聞こえるのに。聞こえる音はそよめく風による梢の葉擦れの音と小鳥の囀りのみ。だが、耳を澄ましてみると近づいてくる音がある。ドラゴンの羽ばたく音だ。帰ってきたのかもしれない。


 見えた。


 帰って来たのは母ドラゴンだ。だが、母ドラゴンしかいない。チビ共は何処に行ったんだ?


 それに、なにやら母ドラゴンの様子がいつもと異なる。まるで、俺を見つめているように見えるのだ。すると、彼女は重々しく口を開く。


「この声を聞く者よ! 私達はここを去ります! 資産はありません! そして、ここに戻る事は二度と無いでしょう! しかし、この地は私達が羽を休めた安寧の地! 荒らす事は決して許しません!」


 そう言い放つと手から何かの塊を落とし、器用にも尻尾で叩いて水場に叩き入れた。軽く叩いただけなのだろうが、物凄い水柱が上がり綺麗な虹が出ている。こちらとしては、何もかもが唐突過ぎて身体が動かない。白い水飛沫が晴れるとまた彼女と目が合う。


 少しの沈黙。

 

 何か意味があったのかはわからない。しかし、やる事を全て終えたのか、彼女は目を深く閉じて再度開けると何処か遠くを見据えて飛んで行ってしまった。チビ共は消え、母も消え、トラウマを抱えるようなご馳走にありつける機会も消えた。そして、意図のわからない攻撃。いや、そもそもあれは攻撃なのだろうか。態々何処からか何かを持ってきて水場に投げ込んだ意味はなんだ?

 

 わからない。わからないが、そろそろ誤魔化せない事が一つ。それは空腹という事。ぐちゃぐちゃな考えを引き摺りながらも、漁に出掛ける事はできそうだ。いつもの調子で獲れそうにないが、そんな事はどうでもよかった。


 重い足取りでゆっくりと水辺に立ち、どんな表情をしているか視認する前に頭を水面に叩きつけて勢いよく水中に飛び込んだ。水の中は、先程投げ込まれた何かの衝撃で水底の泥が舞い上がりまだ軽く濁っていた。魚を探している気だったのだが、無意識に魚でない物を探してしまう。呆気にとられて何を投げられたかはよく見えていなかったが、そんなに大きい物ではなかったはず。

 

 息が保たず、水面に顔を出す。大きく息を吸ってまたすぐに潜る。大きな衝撃があってから、ドラゴンが一心不乱に湖底を漁っているのだ。魚が近くに寄ってくるはずが無い。だが、あくまで俺は魚を探す体で湖底を漁る。すると、不可解な塊を見つけた。岩の様な硬さでもなく、泥程の柔らかさでもない。大魚より一回り小さい程度の何か。しかし、魚よりもずっと重い。


 一度息を吸いなおし、改めて塊の元へ行く。そこに着くとすぐに爪が少し食い込む程度の力でそれを抱き抱え、翼と尻尾を使い器用に上へと上がっていく。足がつく浅さまで来ると長い首で押し出し、なんとかその塊を陸に上げてみたが正体は変わらずわからない。


 これは厚手の皮か布の袋だ。しかし、捲れている所を更に開いてみると、袋でも無い事に気付く。ただの大きい布だ。

 

 まだまだ正体のわからないこの塊が何か明かすために鼻先で塊を転がしていく。巻かれていた布はどんどん拡がっていき、中心の部分は反比例して小さくなっていく。その縮まり具合は予想以上だ。これではまるで玉葱だが、出てきた物も拳程度の塊が入った袋。今度は正真正銘の袋だ。


 気付けば俺は動悸が激しくなり、まるでおもちゃを見つけた犬の用に興奮していた。

 

 重低音を刻む鼓動に促されるまま袋の紐を開ける。

 

 これは、石?


 身体が揺れる。

 

 それは石英のように透き通った石だ。結晶体で歪ではあるものの、直線で輪郭を描く長細い石。


 身体全体が跳ね上がる様な衝撃を受ける。理由はわからない。地震が起きている訳でもない。先程まで聞こえていた音は全て消え、耳に響くは自身の鼓動の音のみ。


 欲望が疼く。俺は今何を考えている。この石は……?


 口が勝手にその石を咥える。


 意味も意図も何かもわからないその石の端っこを口先で軽く噛むと空に掲げるように上を向く。そして、俺は躊躇もせずその石を……。


 ――飲み込んだ。

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