第3頁目 山葵ない?

 今日も今日とて変わらない日々。

 俺は巣の底で散乱した骨を片付けていた。この前の大雨でこの巣の底は潤いに満ちている。とても前向きな表現をしたが、つまりはヘドロ塗れだという意味だ。この泥と腐肉と風化した骨に、少量の苔と茸と虫の死骸が混ざったミラクルヘドロは水分と太陽の熱を得て途轍もない悪臭を放っていた。しかし、空気より重いのであろうその気体は上手い具合に巣に届かず、ただ俺の鼻を曲げるばかりである。俺はとにかくそこら辺で拾った骨盤辺りか何かの平たい骨を使って臭いヘドロを便所ゾーンに集めていた。


 便所ゾーンとは何か。それは大樹の周りを360度囲む円形のゾーンだ。言ってしまえば子ドラゴンが巣から落とす糞が集まって盛り上がっている場所、兼、俺の餌場である。奴等は食べ滓である骨を少し遠くに飛ばすので、完全に便所ゾーンに落ちる事はあまり無いのだが、あまり無いだけで有りはする。


 便所の横で飯を食べる。これが新しい形の便所飯だな。いや、変わってないか。


 とにかく、そこに臭いものを集めようというのが今回の作戦だ。豪雨前に見つけた水場にも軽くヘドロが詰まっていたので、それも掻き出す。途中、悪戯でヘドロを巣に投げてみようかと思ったが、親ドラゴンに目を付けられたら堪まったモノではない。すぐ我に返って作業を続けた。ヘドロを退かし、泥んこになったら水場で骨を退かす。疲れたら寝て、飯が降ったら飯を食う。


*****


 んー……? 水場の底の骨は横に続いているなぁ。下は普通に石と土だ。そんな事を考えながら横を塞いでいる上部の骨を取り除くと、崩れてヘドロと共にこっち側へ雪崩れ込んできた。向こう側にも骨が溜まっているのか? どんだけ骨あるんだよ……。なんて思いつつ苛立ちまかせに前足で骨の壁を軽く叩く。すると、容易く骨が砕けた。

 

 そうか。水の中に長い間あった訳だし、所詮は骨だ。骨って中がスッカスカなんだっけ。それなら丁寧に取り除かず、試しに思い切り叩いて見てもいいかもしれない。思い立ったらすぐ行動だ。


 俺は息を吸いなおし、もう一度潜る。地面は緩いが、後ろ足で立ち上がりつつ出来るだけ身体を固定出来るように踏ん張って、両前足を壁に叩きつける。そして、手が骨の壁に当たったかと思えば、そのまま前につんのめりそうになった。壁が動いた、いや、完全に崩れたのだ。それが意味するのは、壁の奥は空洞だったという事である。沢山の骨が崩れ落ちた事により大量のヘドロが水中を漂い、そのせいで先がよく見えない。とりあえず、俺は一旦水から上がる事にした。今からすぐに様子を見に行ってもまだよく見えないだろう。


 ……それにしても便利な物だ。


 ドラゴンには、なんと、瞼が2つあるのだ。下瞼と上瞼の事を言っている訳じゃないぞ? それをカウントしたら瞼が3つって事になるが……。とにかく、人間には無い瞼が存在する。目の内側から閉じられる透明の瞼だ。つまり目の保護シート的な物である。これは習得した訳ではなく、無意識で使っていた事に気付いたのだ。


*****

 

 あれはまだ泳ぎ始めだった頃。ポイ捨てされた肉を求めて泳いでいた時の事だ。いつも通りポイ捨てされた肉は便所ゾーンにある。そして、ドラゴンの新しめの糞は水に浮く。つまり、”機雷が浮かぶ海域へ宝石を捜しに行く”という無事に帰るのはインポッシボーなミッションだった訳だが、生きる為に仕方なく俺は汚水へ潜っていく。しかし、やはり受け入れ難い嫌悪感を感じていた。心なしか、その汚水が目に染みるようだったが、それでも汚物を避けようと俺は現実を凝視した。


 便所ゾーン辺りは特に水が濁っていた。なのにどうだ。水中、水面を交互に見ながら宝石と汚物の位置を把握できている。しかし、水面とは違う境目がチラチラと目に映るのだ。そして、目が染みているのはそれが原因だと気付いた。いい加減目も痛くなってきたので、一回近くの骨山に上がる。そこで試しに目へ力を入れると、透明な瞼を閉じられる事を発見したのだ。目に染みる痛みは水面から顔を出した時に、一々透明の瞼を開けていたから感じていたのである。目を開けて、再度閉じる際に汚水が目に入ったのだろう。俺は急いで距離を取り、比較的綺麗な雨水で目を洗った。


*****


 それからは、完全にこの瞼を使いこなして目をガードしている。普段は瞼をせずに見たほうがクリアな視界なので水中でしか使わないが、今後も重宝する能力だと目の前を漂うヘドロを見て改めて思った。


 にしても、この横穴はもしかしてこの大穴の外へ繋がっているのか? 繋がっているとしたら、俺は地獄の様なこの場所から解放されるかもしれない。外がどんな場所かはわからないが、ここから少しだけ見える外の木は荒野でない事を意味している。森や草原なら、果実や野生動物がいる事も期待できる。そしたら晴れて独立生活だ。俺は期待に胸を躍らせつつ、ヘドロ祭りが落ち着いて来た頃合を見計らって水場の中に入る。


 穴の奥は水が満たされている広い空洞だった。しかし、奥の方は光が届いておらず、何があるかは全く把握できない。あるのはあくまで水なのか……。いや、差し込む光をチラチラと反射させる何かが……魚!? もし魚だとしたらご馳走だ!!!


 この時俺は、虫や苔、茸に毒が含まれているかもしれないという疑惑を、何故か魚に対しては抱かなかった。それは間違いなく前世の記憶から来た弊害に違いないと思う。人として生まれ、日本人として育った俺に魚とは悩む要素の無い餌だったのだ。


 俺は慎重に、魚を逃がさないようにゆっくりと奥に進んだ。近づく程にそれが魚だと確信していく。ゆっくりと着実に近づく俺から、止まったり機敏に動いたりするその平たい魚は逃げようとしなかった。フナに近いその魚はよく見るとエラ周りが淡く蛍光色に光っていた。なけなしのファンタジー具合をここで見せるその魚を、確実な距離まで手を伸ばし、可能な限りの高速で爪を突き立てる。


 捕まえた……!


 たった一匹だが、この世界に来てから数少ない新しい味を俺は手に入れたのだ。次の獲物を狙わずに俺は一度巣に戻る。高鳴る胸を抑えつつ俺はその小さい魚を咀嚼する。生臭く、アラも取ってないただの魚を顎と牙でゴリゴリと磨り潰した。醤油も付いてないその魚から、前世の記憶が呼び起こされていく。


 やっぱり俺は人間だ。人間なんだ。ドラゴンは、魚を食べてその美味さに涙したりはしない。


 俺はこれから肉だけじゃなく魚も食べられるぞ。しかし、今回は簡単に獲れたけど毎回こう上手くいくとは限らない。今後は確実に魚を獲る術を覚えなければ。


 それからは、毎日水場に潜った。すると哀しい事に、俺の編み出したドラゴンバタフライ泳法は水中だともう少し工夫が必要だという事が発覚する。翼を広げる時に翼膜が水の抵抗を受け過ぎるのだ。そういう意味では尻尾をクネクネさせる泳法の方向性が良さそうである。


 ここに生息している魚の大きさは様々である。長いのデカいの薄っぺらいのと生態系が全くわからない。殆どは白か黒か透明のものばかりだ。魚だけでなく、海老やタニシみたいなのもいた。そして、特徴的なのが発光する種類が多いという点。光が無いと最初は苦労したものだが、闇に目を慣らしてから奥に進むと生き物の放つ光と、壁に群生している藻も発光していたりするのでそれを頼りに漁が出来た。漁を繰り返す内に水場の奥はただ広いのではなく、長い筒が繋がっているような形だという事もわかっていく。


 ちなみに、俺は結構長く息が続く。そのおかげで更に漁は捗り、気付けば常に超空腹だった腹も空腹という状態が続くような毎日まで改善された。飲料水にも当然困っていない。俺は少しだけ幸せに近づけたのかもしれない。


 日が昇り、月と代わる。

 雲が隠し、雨で濁す。

 溜まっては、干からびる。

 腹を満たし、腹が減る。

 竜が来て、去っていく。

 繰り返し、繰り返し。


 俺は出来る事をやった。脳が風化していくような毎日。変化していくのは子ドラゴンの大きさだけだ。


 只管に繰り返す。本能を満たす為に。少しでも考える隙が出来るものなら、前世の何気ない日々と比較してしまう。無駄な水分が流れ出てしまう。もう水には困らなくなったが、無駄にするのは別の話だ。


 無駄はいけない事だよね……母さん、父さん。クラスの皆は俺が死んで何か思っただろうか。あの日常に何か変化は起きたのだろうか。もしかしたら飛び降り自殺なんて思われてたりするのかもしれない。


 伝えたい。俺は幸せだったんだって。家族から離れたい訳じゃなかったんだって。本当は、そのまま適当な大学に行って、適当な会社に就職して、適当な奥さん貰って……。そんで、何人かの子供とか出来たりして……そんな……孫にデレデレした母さんと父さんは……満足そうに……。


「ぐすっ……ぐふぅっ……うぅ……うあぁ……あああぁぁぁ……。」


 俺は人だ。人はどうあれば幸せなのか。これを見出さなければならない。でなければ死にたくないという俺の思いは、いつ掻き消えてもおかしくない。


 俺は幸せになる。これは夢じゃない。


 命を伴った意思だ。俺はここにいる。


 おれはここにいる……。

 おれはここにいル……。

 おれはここにイル……。

 おれはここニイル……。

 おれはこコニイル……。

 おれはココニイル……。

 おれハココニイル……。

 おレハココニイル……。

 オレハココニイル……。 


*****


 この大穴からは時折、哀しそうな泣き声が聞こえる事がある。それは、大樹の巣の中から聞こえるような事は一度として無く。骨と腐肉で満つる底から聞こえてくるのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る