第4頁目 とりあえず取って置いた物って結局使わなくない?
この頃、どうも気温が下がっている。少し前に夏の様な季節を経験した俺は、冬が近づいて来ているのではないかと思っている。しかし、空腹を前にすればやる事は変えられない。
餌を取り、腹に入れる。水場を発見した俺には、この繰り返しが最も安定した日常なのである。だが、最近はそれもままならなくなる異変が起きていた。それは、謎の猛烈な眠気である。空腹になると抗いようのない眠気に襲われるのだ。最初は死期が近いのかもしれないととても不安になっていたが、どうやらそうでもない気がする。
例え眠ってしまっても一応昼辺りになり、気温が比較的暖かい時間になると目を覚ますのだ。そして、死の物狂いで餌を食べると眠気が消えていく。つまり、腹が多少満たされている間とそこまで寒くない時はまだ起きていられるという事だ。これは恐らく俺だけに当てはまらない。その推測の材料として、親ドラゴンの狩りに出る頻度が増えたというのがある。引っ切り無しに出かけては餌を取ってきているのだ。おかげで俺も少し助かっている。
そして、もう一つ。親ドラゴンが獲物から毛皮を剥いで渡したのである。勿論、俺にではなく巣の上の子ドラゴンにだ。子ドラゴンは親ドラゴンがいない間、それを被って寒さを凌いでいる。俺も真似をして、いつも捨てられる生首から拙いながらも毛皮を剥いでとって置いている。その毛皮は少しずつ溜まってきているが、まだ何かに使える量とは言えない。そして、毛皮を剥ぐのは中々コツが必要で、ボロボロになったり、細かく千切れてしまっていたりもする。活用方法は現在検討中だ。
とにかく、平均的気温は間違いなく日に日に下がってきている。そして、ここは穴の底。寒い空気は下に下がり、暖かい空気は上に上がる。故にここはめちゃくちゃ寒い。正直水の中に入るのも冷たすぎて漁に出たくない。ただ、漁をしなきゃ餓死してしまう。確かにおこぼれを貰える頻度は増えたが、所詮おこぼれは腹を満たせる量じゃないのだ。
これだけ気温が低いと、魚も腐りにくくなっている。俺がやるべきことは、食べ物をより多く貯める事かもしれない。そうとなれば、これからは少し多目に魚を獲ろう。
そういえば、もうあの豪雨の日以降、大雨が降る事は無かった。溜まっていた水も無くなって、散らばった骨も全て片付け終えた俺は土壁に小さく横穴を掘っていたのだ。用途は当然寝床である。野晒しのまま寝るよりは、気持ち暖かい気がする。横穴は雨が降っても水が流れ込んで来ないように、ほんの少し高めの部分に掘った。と言っても、俺の脚の長さと同じくらいの高さ、だからほんの少しだ。古い小骨も移して、敷き詰めてあるのでクッション性も高い。しかし、俺1人が寝る分だけのスペースを掘っただけなのだが、それだけで随分と骨が折れた。
一瞬、このまま斜め上に彫れば大穴から抜け出せるんじゃなんて考えたが、母ドラゴンが獲ってくる生き物を見る限り余り安全な外でも無さそうだし、腹も減って体力が勿体無いと思いすぐにその発想を取り払った。
そんな大作である寝床から目を覚ましたある日、いつもの様に漁へ出ようとした時だ。水場の表面が凍っている事に気付いた。未だ薄氷で、前足を乗せれば容易く稲妻のようなヒビを走らせて砕けていく。パリパリと小気味良く砕ける氷でちょっとした童心を思い出しつつも、俺はすぐに現状の危険さに気付いた。
もしこれ以上気温が下がって、厚い氷が張って水場に入れなくなったら俺は餓死してしまう。
すぐに考えを巡らせた。対策はどうする? 水場を暖める方法は浮かばない。前世でも雪国に住んでいなかった俺は、何よりもノウハウが欠如していた。そして、考えた結果の対策案が二つ。氷を割る為の石を拾ってくる事と、生簀を作って魚を保管する事だ。
俺はすぐに作業へ取り掛かった。水場の入り口に自分の身体が2つ程すっぽり入れるような穴を掘る。まるで墓穴だ。なんて物騒な考えはよそう。そこに大きめの頭蓋骨で水場から水を汲んでくる。これが地味に疲れる作業で、ここまでで4日掛かっている。これだけ水を貰っても然程水位が変わってないように見えるこの水場は、やはりとんでもなく広いんだろう。
こうして生簀が完成した訳だが、その途中で掘り当てた石は幾つか寝床の横に集めて置く。氷を割る用の石だ。その石の威力は楽観主義な俺でも懐疑的だったので、握りやすかったり、投げやすかったり、尖ってたり、重かったりとなるべくバリエーションを豊富にして選び抜いた。
後はこの墓穴……じゃなくて生簀に魚を放り込んでいくだけ。俺は意気込んで少しずつ慣れてきた泳ぎで魚を集めていった。
そして、一旦休憩しようと水から上がった。濡れた鱗はよく冷える。身体を犬の様にぶるぶると振って水を切り、ふと上を見上げると白い綿毛の様な物が空を泳いでいた。かなり、大粒の雪だ。こんな大きさの雪なんて前世でも見たことが無い。
雪を見るだけで少しワクワクしてしまうが、身体が感情についてこない。すると、突如無数の雪が豪速で吹き飛んだ。母ドラゴンのお帰りだ。その大きな翼のはばたきに一定感覚で雪が霞のように散る。
素晴らしい景色なんだけどな。お腹が空いて……眠気が……。
「ハッ!」
まずいまずいまずい。寝てしまう所だった。俺は可能な限り強く顔を地面に叩き付けて眠気を払う。今寝たら駄目だ。勿体無いけど……今獲ってきた魚を食べよう……!
よくわからない楽観的平常心と、理性的焦燥感が俺の頭の中で鬩ぎ合っている。俺はせっかく獲ってきた魚を眠気が治まるまで食べ続けた。すると、身体の中心から徐々に暖かくなっていく。馬鹿みたいかもしれないが食べ物を食べれば身体が暖まるのは人間と変わらないという事実に、小さな嬉しさがこみ上げてくる。だが、それどころではない。そこからの俺はどうしようもなかった。殆ど全滅した生簀。止め処無い降雪。冷えた身体。今から漁に行く気にはならない。
結局俺は一旦寝床に入って寝る事にした。
*****
目を覚ますと、そこは暗闇。一瞬ここに生まれたあの日を思い出して思考が停止する。しかし、すぐに冷気によって脳が回り始めた。身体の中にはまだ熱がある。とりあえず、冷気を感じる方に鼻先を近づけていく。そして、壁に触れた。
冷たい。
なんとなく、そうなんじゃないかとは思っていた。とりあえず、そのまま鼻先を冷たい闇へ押し付ける。鼻先は押されるまま壁にめり込んで行き光を浴びた。雪が積もって入り口を塞いだのだ。積雪はぴったりと入り口を完全に塞ぐくらいの高さ。これほど積もるとは流石に想定していなかった。雨で何も学んでいないのか俺は……。
今は微量の雪しか降っていないので、一旦は緩やかな積もり方になったようだ。大樹の上を見ると、親ドラゴンが翼を広げて子ドラゴンを匿っていた。
俺にもあんな優しい母親が欲しいな……。俺にはいないから……。いないから……自力でなんとかしなきゃ……。
柔らかい雪に足を取られながら水場まで歩く。また氷が張っていたが、足を入れただけで割れた。まだ魚の補充は間に合う。ここからは時間との勝負だ。
だが、その前にだ。寝る前に親ドラゴンが獲ってきた餌の残骸を俺はまだ食ってない。今はそっちを先に食おう。大きい骨はまだ見つかりやすい。そして、このぶち撒けられた白に散った鮮血は良い目印だ。体内の熱が保たれている時間との勝負、可能な限り掘り出して胃にしまう。
それから、今度こそ非常食の確保である。潜っては捕まえ、潜っては捕まえる。
しんどい……。冬を越すのって大変なんだな……。もっと必死に……死に物狂いで魚を捕らなきゃ……。でも……無理したら……寝ちまう……。生きるんだ……生き残って春を……。
毎日が、無我夢中だった。雪で塞がれて窒息する事が怖くなり、せっかく作ったあの寝床も放棄した。新しい寝床は大樹の下の雪が積もらない場所だ。何の工夫も無い土の上。
消えそうな体内の熱をなんとか繋ぐ毎日。無心で魚を捕まえていたせいか、最低限の動きで泳げるよう工夫するようになった。食って寝てというのは今までと変わらないが、これを果たして生きていると名状出来るのだろうか。
思考が少しでも明瞭になってくると途轍も無い不安が襲い掛かってくる。孤独、飢餓、寒気、それを凌ぐだけの日々は必要なのか。耐え切って何になる。褒美も無ければ、褒めてくれる人もいない。それを考えると、脳を締め付ける様な痛みに襲われる。多分病気じゃない。何も起きていないんだ。ただ構ってくれる人を待っている。俺がこの苦痛に耐えるべき理由をくれる人を……。ただそれだけで…………。
*****
目は覚めていたんだ。その日もいつも通り魚を獲ってきた所だった。なるべく早く身体を振って水を切ったら、もう風化した轍みたいになっている獣道を歩いて大樹の下へ行く。しかし、いつもと違う地面の感触。泥が足の皺に染み込んで行く。
……雪が解けてきている。
改めて周りを見渡すと、心なしか雪が少なくなっているように見える。俺が例え何も考えずにいようと、意識も絶え絶えに日々を過ごそうと、生きてる以上は時が過ぎるんだ。ようやく、冬という季節が過ぎようとしているのかもしれない。
……俺は生まれてから今まで何をやっていたんだ。大樹の上の子ドラゴンはそんな事を毛ほども考えないだろう。生きる目的がぼんやりとしているこの生活は、生きる事の良さを薄れさせていくようで……。そもそも俺は本当に生きたい訳じゃない。死ぬのが怖いだけだ。
――そうだよ。
それだ。俺は死にたくないんだ。俺はここにいる。訳のわからない死後の世界になんて行きたくない。きっとここの方がマシだ。
もう二度と、あんな……。
――浮遊感。
些細な幸福感の膜を身体が突き破るようなあの感覚。
――強風。
世界が俺を拒むかのような強い抵抗感。
――恐怖。
落ちる俺を追い越す速度で降って来る重く濃密な恐怖。
――抵抗。
どうにかするという曖昧な目的しか無い、手段の選べない動作。
これが如何に無価値かが即座に頭で算出され、より高まっていく絶望感。
――衝撃。
すべてはここに集約する。
想像出来る痛みが脳を切り刻み、想像も出来なかった痛みが魂を粉々にするんだ。
もう一度死なない限り、あの絶望は俺に向かって来ない。
死ななきゃいいんだ……。死なずに逃げ切るんだ……。
ドラゴンならきっと寿命だって長いはずだ。このまま逃げに逃げ切っていれば、いつかきっと幸せになれる。
俺はここにいる。
俺はここにいるぞ。
もう夏と冬からの逃げ方は覚えた。来年からはもっと上手く死から逃げてやる。いずれ誰よりも死から遠い存在になってやるからな……。
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