翠ヶ原幻燈園

安良巻祐介

 

 翠ヶ原へ行くときは、狐火の銘柄の煙草を一箱、持ってお行きなさい。

 ええ、そうです、青い燃えさしの絵が描いてあって、銀の錫紙がちょっと小さい、あの煙草です。

 翠ヶ原のような、海の近いようで遠い、静かに苔むした寂しいお墓の群れには、よく合うのです。

 お化けの類が煙草を嫌うと言う話は、聞いたことがあるでしょうが、狐の火があらかじめ描いてあるような、怪しい銘柄の場合は、どうでありましょうか。

 眉に唾をつける暇もなく、かえって青い煙が、目の前をわからなくさせるかもしれません。

 ある人は、そんなことがあるものかと笑って、煙草だけでなく、ご丁寧に蝙蝠傘までさして、あすこへ出かけてゆきました。

 途中までの道に草がぼうぼう生えていて歩きにくく、思っていたより難儀したそうですけれども、ちょうど道連れになった人が親切で、上手な草の踏み方を教えてくれて、夕方には墓地に着きました。

 来てはみたものの、特に何かがあるわけでもなく、さしたる目的というのもなかったので、ご先祖の石へ水をかけに来たというその人についていったそうです。

 墓地の奥の方に入って行き、やがて立ち止まったそれは、いわゆる矩形の墓石でなく、半月を連ねたような塔の形をしていました。

「この塔は、瘋癲の供養という意味があるのですよ」

 そんな事を言いながら、道連れの人がどっかりと他の墓石の縁に腰をかけたので、ちょっと驚いたそうですけれども、道連れは笑って、

「忘れ形見に花がすみ、ただ塵へ吹く風隣り……」

 そう続けながら、煙草を欲しそうにするので、仕方なく懐の箱から一本抜いて渡し、燐寸で火をつけてやると、恵比須顔の口端に煙突を立てるようにして、ごく旨そうに呑むのですね。

 名も知らぬながら、これはよっぽどの大人物かもしれないと思って、思わず襟元を正していると、墓の塔の方を見つめたまま、黙ってしまったのです。

 はて、どうしたものかと思いつつ、しばらく傍で立っていたらしいのですが、やがて日も落ち切って、あたりが薄暗くなりだしたので、思い切って声をかけようと思って、ふと気付いたのが、それだけ時間が経ったのに、道連れへ渡した煙草の一本が、まだ燃え尽きないという不思議でありました。

 おかしな気分になって、薄暗がりの中、蛍のような煙草の火を頼りに、あの、と声をかけても、返事がない。

 仕方がないので、手を伸ばして肩に手をかけたところ、仰天。

 服飾売り場にあるような、等身大のマネキンの、もう何年もそこで雨ざらしになっているのではありませんか。

 虫か何かが抉り空けたらしい、頬のあたりの黒い小さな穴へ、自分のあげた煙草がぷつりと差し込んであって、そこから青い青い煙が一筋、墓場の方へ風もないのに流れていく。……

 きゃっと声を上げて逃げ出したところ、身を守るように広げた蝙蝠傘の羽根に、いつの間にか、無数の針で突いたような穴が作られてあって、それが、顔へ、小さな光の筋を、星のように投げかけてきて。

 そして、墓地を出る時には、傘はすっかり骨になっていたと、零れそうな目玉で言うのです。

 一夜で白髪頭になるような人を笑っていたが、なかなかどうして、毛の太る心地というのが分かった、あんな恐ろしいことは他になかったと。

 あんなに静かな翠ヶ原には、そのような話も、あるわけでございます。

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翠ヶ原幻燈園 安良巻祐介 @aramaki88

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