悪魔の顔

 突然の申し出に、なんと返事をしてよいかわからなかった。

 なぜ私が軍団長に? もっと適任な人物がいるのではないか。その一方で、たった一年足らずではあるが、鬼角族たちとの戦いと、共に暮らした日々の経験により、私よりうまく鬼角族を鎮撫ちんぶできるものがいるとも思えなかったのも事実だ。これは自惚うぬぼれなどではなく、ハーラントとユリアンカという、私たちのことばを話すことができる貴重な存在と出会えたことに由来している。もし、二人に出会わなければ、私も鬼角族を馬の扱いがうまい野蛮人としか思わなかっただろう。

 「その顔が見たかったんだよ。人を驚かすのはいつも楽しいものだ」

 タルカ将軍の笑顔は、まるでイタズラっ子のようだった。

 「君が心配する必要はない。これは我が軍、我が国の為に最善の選択なんだから」

 「最善の選択、ですか……」

 私はそれ以上の返事をすることができなかった。

 「ギュッヒン侯が北方のイブリュック王国に逃げたことは知っているな。ギュッヒン侯がイブリュックの力を借りて、我が国を攻撃する可能性がある」

 攻撃するつもりがあるのであれば、内乱に乗じたのではないかという疑問も浮かぶが、政治のことはよくわからないので黙っておくことにする。

 「そうなると、わが軍の最優先事項はギュッヒン侯に手を貸して壊滅した北方軍団の再編成だ。高級士官の多くはイブリュックに逃げたので、西方軍団の生き残りを北方軍団の核とする予定だ。西方軍団にはお金も人も回せないことになる」

 ワビ大隊長や、ビグロフ西方軍団長は撤退に成功したはずだから、再建される北方軍団に配属されるのだろう。いや、ビグロフ西方軍団長は更迭こうてつか。

 「ザロフ君は金も人もないのに、西方であれだけ暴れていたんだ。最低限の予算で西方の治安を維持できるのは君だけだろう。これ以上、合理的な判断はないと思うぞ」

 「いや、しかし――」

 私のことばを手で制し、タルカ将軍は続ける。

 「もちろん、君が昇進することには他の利点もある。功績を上げれば、誰でも昇進できるという先例になるんだ。自分も軍隊に入り、いつかは軍団長になるんだという若者がこぞって志願するようになるぞ。これで兵員不足も解消できる」

 果たして、そう簡単なものだろうか。そもそも、投槍兵に志願した兵士たちは、出世したいから志願したわけではないだろう。古い軍属にとってギュッヒン侯は英雄だが、かつての栄光を知らない若者たちにはただの反逆者なのだ。タルカ将軍が、その気持ちをあおって志願させたであろうことは間違いないだろう。

 「そう簡単にいくものでしょうか。新規で徴募された兵士だけが多数死んでいるのに、成功譚せいこうたんに憧れて簡単に応募するとは思えません」

 そのとき、扉の外からお茶の準備ができたことを告げる声がして、ギレーという士官がテーブルの上にお茶の入った急須きゅうすと茶碗を置いた。士官が出て行くのを待って、タルカ将軍がはなしを続ける。

 「もうひとつ、三つめの利点もあるぞ。君の考えでは、西方において徒歩かちの兵士は役に立たないということだったな。そして、ある程度の規模を持った騎兵部隊がいれば、西方の鬼角族に対抗できると」私はうなずく。「だが、貴族の子弟が多い騎兵部隊は、辺境の地などに行きたくはないし行かない。そうなると、まったく新しい騎兵部隊を創設する必要が出てくる。私も以前から、厳しい規則により律せられた騎兵部隊の必要性を感じていたが、貴族たちの反対で実現できなかった。君なら、新しい騎兵部隊を創設することができるんじゃないか」

 その昔は、騎兵も十二騎で一小隊、三十六騎で一中隊、百八騎で一大隊という編成だった。だが、軍馬を維持する費用が高く、いつしか自分で馬を用意できる貴族が騎兵部隊の中心となっていった。特権階級からなる騎兵は、強力ではあるが、独断専行が多かった。その騎兵部隊を、もう一度軍という組織に取り戻そうというのか。

 残念ながら、タルカ将軍の提案はとてつもなく魅力的であった。軍制を改革したと、歴史に名を残すことができるかもしれないという可能性に身が震える。

 「どうやら、心を決めたようだな」

 人の魂を手に入れた、悪魔の顔がそこにあった。

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