手甲鉤

 壕の後ろに回り込んだ敵の騎兵は、あっという間に鬼角族たちに打ち倒された。ハーラントと戦士たちは、風のように南側に突き進み、私たちの周囲には地面に倒れる騎士たちの亡骸だけが残った。

「投槍を回収しろ! 用意ができれば二列横隊! いつまでも壕に隠れてるんじゃないぞ、臆病者!」

 イングの命令は、私の指示を強調するあまりに暴言のような内容になってしまう。これは要注意だ。

「私ぃたちは臆病者ではありましぇん」

 ヤビツが叫ぶ。舌をだらりと垂らし、口にはよだれが白く泡立っていた。

「イング、ヤビツ君に謝罪しろ。臆病者が、敵の重騎兵を二十騎も倒せるわけがない」

 敵の姿が見えなくなり、多少は出るようになった声で命じると、イングはこちらを一瞬だけみた。

「すまない、勇者諸君。重騎兵は俺たちの力でも、鬼角族でもなかなか倒せる相手ではない。その重騎兵を倒した、あんたたちは立派な戦士だ」

 納得したのか、ヤビツはそれ以上何もいわず、メェメェと他の羊たちに指示を与え、壕から出て投槍を回収しはじめた。

「ツベヒ君は、ヤビツ君といっしょにハーラントさんの援護を頼む。ジンベジ君とシルヴィオ君は、その護衛だ。ここで、とどめのもう一撃だ」

 ジンベジは槍の巧者だが、状況判断や兵士の指揮がうまいとはいえない。シルヴィオはまだまだ子どもだ。結局、部隊の指揮を任せても安心できるのはツベヒだけだろう。イングは事態を複雑にする可能性すらある。

「隊長、まかせてください」

 そういうと、ツベヒはヤビツを通してテキパキと羊たちに命令を与える。

 一列横隊の真ん中にツベヒとヤビツが立ち、そのまま南の方向へ進んでいく。その後ろを槍を担いだジンベジと、矢を弓につがえたシルヴィオが追う。私とイングだけが、残されれることになった。

 いまこそ絶好のチャンスではないだろうか。イングが私を殺し、その首を持って英雄として帰還するための。もちろん、騎兵中心の鬼角族から逃げるのは難しいかもしれないが、ギュッヒン侯にとっての憎き仇を討ち取ることには命を賭ける価値があるだろう。もちろん、ギュッヒン侯が息子を私に殺されたことは知られていないだろうから、そのような心配は必要ないのかもしれない。

「どうしたんだ、親父」

 イングがこちらをじっと見ていた。裏も表もない、不器用な男の顔だ。

「だから、親父というのはやめてくれ。そこまで年が離れているわけじゃないだろ。それに――」

 金属が擦れる音で、私のことばは遮られた。地面に倒れていた重騎士の一人が、槍を杖にして立ち上がったのだ。おそらく、投槍に貫かれたが急所を外れ、落馬の衝撃で意識を失ったか、失ったふりをしていたのであろう。こちらの兵士達がいなくなったのを見はからって、私たちを倒して戦線に戻ろうとしているのかもしれない。

「まかせろ、親父」

 そういうと、イングは手甲鉤をつけた両手を胸のあたりに構える。

 立ち上がった騎士は、槍を捨てて腰の剣を抜き払った。鬼角族の大太刀ほどではないが、馬上で使えるような反りがある片刃の軍刀だ。

 騎士の鎧には、左肩あたりにはっきり見える穴が開いており、左手がだらりと垂れ下がっていることから、右手しか使えないことがわかる。

 ちょうど数日前、私と戦ったイングも左肩を強打して右手しか使えなかったが、片刃の軍刀は左手がつかえなくとも十分な殺傷力を持つだろう。

 敵の殺意はイングに向いているので、私も少しくらいなら動けないわけではなかったが、援護するほど体の自由はない。

 鎧の中から、吠えるような怒声が響きわたる。なにをいっているのかはわからないが、大声を出すことで己を鼓舞しているのだろう。

 だが、金属の塊を身につけている戦士の動きは遅く、振り下ろされた剣はイングの左手につけられた手甲鉤により受け止められた。

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