鎧の天使

 投槍の戦果は予想以上だ。

 半数の重騎兵が鎧を貫かれ、残りの騎士たちも槍の衝撃に動きが止まっている。

 もう一投すれば重騎兵を一掃できるかもしれないが、羊たちはその戦闘力を失ってしまうだろう。しかし、これ以上の機会はない。軽騎兵だけなら、ハーラントたちで何とか対処できるはずだ。

「用意」

 私の絞り出すような声に、ツベヒが反応する。

「用意!」

 ツベヒの声は低いがよく通る。

「放て」

 かすれ声は、ツベヒにより増幅された。

「放て!」

 驚くほど素早く槍を投槍器アトラトルに乗せた羊たちは、号令とともに二投目を投射する。馬上に残っていた重騎兵たちに、再び三十本の投槍が吸い込まれた。

 全てではないが、半数以上の投槍が騎士たちの鎧を貫き、バタバタと馬上から落ちていく。健在なのは一騎だけだ。

「ハーラントに突撃を命じてくれ」

 さきほどはツベヒに先を越されたのが悔しかったのか、今度は真っ先にジンベジが怒鳴る。

「ハーラント! 突撃だ!」

 ジンベジの絶叫がハーラントに届いたのかどうかはわからない。

 しかし、その声が重騎兵の後に従っていた、敵の騎兵達の注意を引いたことは間違いなかった。

 たった一騎残った重騎兵が、真っすぐこちらに突き進んでくる。

 手前に壕があることなど無視しての突撃だった。

 右手の馬上槍が私の胸に向けられ、体は石になったように凍り付いた。

 明確な殺意が私に向けられ、声も出ない。

 死ぬ。

 死を覚悟するのは、何度目だろう。

 体は動かないが、意識は明瞭で冴えわたっている。ちょうど寝苦しい夏の夜におきる、金縛りのようなものだ。今起きていることが、まるで他の世界で起きている映像を見せられているかのように感じる。

 周囲のものの動きが全て止まったように見え、こちらに向かってくる重騎兵の槍の穂先が美しかった。

 その時、私と重騎兵のあいだに一人の男が立ち上がる。

 左手に弓を握り、右手でつるを引き絞っていた。

 シルヴィオだ。

 弓が羊たちの投擲の邪魔になると思ったのか、先ほどまでその姿が見えなかった。

 右手が弦から離れ、矢が重騎兵へむかって放たれる。

 風魔術の仕業か、矢は真っすぐ飛ばずに少し下に向きを変えた。

 馬上の騎士を狙ったのかもしれないが、矢は馬の首のあたりに向かう。

 すべてがゆっくりと動き、まるで指人形をつかった寸劇のようだった。

 馬の重さは、人の六倍から七倍くらいはある。どれほどの威力があろうと、一本の矢が前進する馬の動きを止めることはできない。だが、シルヴィオの矢が馬鎧を貫き、馬の胸前むなさきの部分をえぐると、その痛みで前肢を折り曲げて崩れ落ちる。

 もんどりうって倒れる馬の背中から、鎧を着た騎士が放り出され、まるで鳥のように天を駆けるが、こちらへ飛翔する鎧の天使をみても私の足は動かず、たとえ正面から激突しようとも、それを受け入れることしかできなかった。

 戦場での生死は、畢竟ひっきょうするに運なのだ。矢の雨に降られても、かすり傷一つ負わないものもいれば、滑って自分の剣で死ぬものもいる。微動だにしない私をかすめるように、鉄の塊が後ろに飛びさっても、それは運が良かっただけにすぎなかった。

「親父、下がってろ」

 イングが私の前に立ち、手甲鉤をつけた両手で構えをとる。

 気がつくと、すぐそこにまで敵の軽騎兵が迫っていた。羊たちのいる壕を避けて左右に回り込んだ敵は、馬上で槍を構えるもの、騎兵用の軍刀を持つもの、てんでバラバラの装備ではあるが、その面構えは歴戦の強者のそれであった。

 まっすぐこちらに向かってこないのは、羊たちの投槍を警戒しているのだろう。こちらの投槍が尽きていることに気がつけば、壕の中にいる羊は蹂躙され、私たちも討ち取られるに違いない。

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