競争

 黒い煙が糸のように天へ昇るが、そんなことは誰も気にしていなかった。

 敵の騎兵が私たちを見つけてくれるなら、それでもかまわない。

 見晴らしのいい、この場所ならは不意打ちをくらうことはありえないし、敵の姿が見えれば、戦わずに逃げることもできる。毎日少しずつ練習しているシルヴィオの乗馬の腕前も、それなりに見られるものになってきた。馬と比べて足の遅い戦車チャリオットを捨てれば、こちらの望まない戦いに巻き込まれることはないだろう。敵の位置がわかれば、チュナム集落に戻りやすくなるはずだ。羊たちと合流し、敵の軽騎兵を力をあわせて叩くことだけが勝利への道となる。

「ハーラントさん、いつでも出発できるように準備しておいて欲しい。もし、敵の騎兵を見つければ、一目散に逃げだす。そして、敵より早くチュナム集落に戻り、そこで相手を迎え撃つ」

 燃える荷馬車で体を温めながら、族長はまた不満そうな顔をした。

「なぜ逃げ出す。人間の騎兵相手なら、間違いなく我らが勝つだろうに」

「以前、説明しなかったかな。たしかに勝てるだろうが、ここにいる戦士の半数は死ぬだろう。それでは意味がないんだ。相手を殺すことも大事だが、それ以上に自分たちが生き残ることも重要なんだ」

 何度このはなしをしても、ハーラントは納得しない。死生観の違いというとそれまでなのだが、すでに私たちとの戦いで百人近い死人が出ており、このうえ五十人戦死者がでればキンネク族という集団そのものの存続に関わることを理解してもらいたいものだと思う。私が口を開こうとしたとき、鬼角族の戦士が鋭い警告の声をあげた。

 戦士が指さす先には、豆粒のようにみえるが、間違いなく騎馬に乗った人間の姿がみえている。

 斥候隊なのか、敵の本隊なのかはこの距離ではわからない。

「あれが斥候なら、すぐに姿を消すはずだ。こちらに向かってくれば敵の本隊だが、どちらにしても、ここから移動しよう。ターボルから離れるように南に移動し、そこからチュナム集落に戻る」

 ハーラントが短く命令を発すると、鬼角族の戦士たちはすぐに自分たちの馬に飛び乗った。荷物らしい荷物もないので、瞬きするあいだに移動の準備ができたわけだ。

 私はあわてて、長らく苦楽を共にした戦車チャリオットを馬から外し、投槍器アトラトルを袋に詰める。シルヴィオには、投槍を五本ずつまとめて、敵から奪った予備の馬に縛り付けておくように頼んだ。

 全ての準備が終わり、一息ついてあたりを見渡すと、全員が私とシルヴィオを鋭い目でにらんでいることに気がついた。仕事の遅い、のろまだと思われているのだろう。恥ずかしさが表情にでないよう隠しながら、シルヴィオとともに馬の鞍にまたがる。

「教官殿、敵の姿は見えなくなりました。斥候隊だったようですね」

 ジンベジの報告に、先ほどの方角をみると、たしかに敵の姿は消えていた。

「お待たせした。それでは進もう。これもある意味で戦いだ。馬の足を残しながら、敵に追いつかれずに南に進み、チュナム集落に相手より先に戻ることが戦いの勝利条件だ。敵と私たちの、どちらがうまく馬を扱えるかという競争でもある」

 族長のハーラントが、鬼角族たちの私のことばを伝えると、戦士たちから笑い声が漏れた。

「ローハン、お前は我らをバカにしてはいないか。我らはみな、馬の上で生まれ、馬の上で死ぬ。人間ごときに馬の扱いで負けるわけがないではないか」

 殺し合いではない事柄で、鬼角族たちにやる気が起きたことはありがたかった。

「お手柔らかに頼むよ、ハーラントさん。私たち人間は、寝台の上で生まれ、寝台の上で死ぬ存在だ。馬に乗ることよりも、寝台で眠ることの方が得意だからな」

 ニヤリと笑ったハーラントは、馬首を南に向けた。

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