第三章

羊追い

 馬に乗り、口笛と短い声を発して、羊の群れを草の豊富な場所へ導いていく。

 はじめは見様見真似だったが、最近は慣れてきたのか羊の動きを制する棒を使うことも少なくなってきた。日が昇ってから沈むまで、一日中馬に乗ることにはどうしても慣れないので、牧草地で馬を降りていると、世話役のルベルッツがどやしつけに来ることだけが不満だが、遊牧民の生活にはルールがあるのだろう。ルベルッツは、我々のことばが話せないし、私たちも鬼角族のことばが話せないから、お互いに身振り手振りで意思を疎通しようとするが、これがなかなか難しい。近頃、やっといくつかの単語がお互いにわかるようになったが、先は長そうだ。

 ハーラントが私たち三人に仕事を教えるために選んだルベリッツは、おそらく自分と同じくらいの年齢で、先日の戦いでは身内を誰も殺されていないということで選ばれたらしい。馬と羊の扱いはすばらしく、まだまだ世界には学ぶことがたくさんあることを実感させてくれる存在だ。

 最近は少しずつ打ち解けてきて、時々暇をみて相撲を取ったりすることもある。もちろん、徒手格闘の一種である相撲では、私の技量が上であるので、多少は尊敬を勝ち取ることもできているのではないかと思っている。大男のホエテテは相撲でも鬼角族に引けを取らないので、もう少し技を覚えれば有力な選手になるのではないだろうか。体格でも技術でも劣るジンベジは、相撲になるとどこかに姿を消すことがおおい。

 夕方になると羊を連れ帰り、皆で食事をとるのだが、これには閉口した。少しのチーズと、発酵させた羊の乳を飲むだけで、小麦や肉をまったく食べないのだ。鬼角族の文化では、肉は冬に食べるものであって、春から秋にかけては羊の乳を使ったチーズや発酵乳のみを、ひたすら摂取する。鬼角族にとっては、それが普通なのかもしれないが、我々には固形物を口にできないことがかなり辛い。先日は、こっそりバウセン山の鍛冶屋へ持っていく予定の小麦を少し使ってパンにして焼こうとすると、皆が集まってきてほとんど奪われてしまった。食べ物は分け合うというのが、このあたりの掟なのかもしれない。


 鬼角族、正確にいえばキンネク族と暮らすようになって、ひと月あまりが過ぎた。

 私たちが所属していた西方部隊が、なんらかの理由で撤収したということを知ったとき、私たちには三つの道があった。

 ひとつは、羊たちのいるチュナム集落に残ることだ。傲慢かもしれないが、私がチュナム集落に残ることでキンネク族との友好は維持され、鬼角族によるわが国土への侵入を防ぐことができると考えられる。だが、異民族の調略任務という観点からすると、すでに任務は完了しているともいえるので、原隊に復帰しないのは怠慢といえるかもしれない。

 ふたつめは、ハーラントの支配するキンネク族と生活を共にすることだ。現地勢力と暮らすことで友好を深め、帰順をうながすという大義名分がある。問題点は、先日の戦闘でキンネク族に多数の死者がでており、我々への恨みを持つ人々がいるのではないかということ。鬼角族においては強さこそすべてであり、敗者は勝者に従う文化があるようだが、人の心は簡単に割り切れるものではない。いつ寝首をかかれるかわからないところで生活するのは悪手だ。

 最後は、思い切ってバウセン山にいくという方法だ。ある程度の食料などを持ち込めば、我々を受け入れてくれる余地はあるように見えたし、鍛冶屋たちが鍛治をおこなう現場を見てみたいという気持ちもある。危険な点は、バウセン山の人々の成長を阻害する原因が、私たちへの健康被害をおこすかもしれないことだ。水に問題があるようならどのような悪影響があるのかはわからない。

 しかし、ひとつだけはっきりしたことがある。

 私はいつのまにか、死にたくなくなっていたのだ。逃亡という罪をでっちあげられて、殺されることを恐れていた。

 だが、ジンベジとホエテテを巻き込むことは間違っているだろう。私が逃亡兵ならば、二人も同罪にされる可能性がある。それだけは避けなければならない。ところが、その問題は予想外の出来事で解決されることになった。

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