出発

 目がさめるとユリアンカの姿は消えていた。

 部屋には胃液の酸っぱい臭いがたちこめていたが、だれかが掃除をしようとしたのか吐瀉物としゃぶつは雑にぬぐい取られている。

 顔でも洗おうと部屋を出たとたん、眠そうな顔をしたジンベジとはちあわせだ。

「教官殿、おはようございます。昨日はお疲れさまでした。ところで、この家なんか変な臭いがしませんか」

 鼻がすっかりバカになってしまったのか、廊下では酸っぱい臭いを感じることができず、適当にごまかしておいた。

「ジンベジ君、お疲れのところ悪いが、今日にも出発しよう。この村との交易には食料が必要なようだ。馬車一杯分の小麦を持ってくれば、蔵が建つほどの紙を持って帰れるぞ。大太刀も素晴らしいが、この紙こそこのルビアレナ村の宝だ」

 私の熱弁が二日酔いの頭に響くのか、ふだんは愛想のいいジンベジが辛そうな顔をするので、話を切り上げて表に出ることにした。

 すっかり日が昇り、すでに正午近くになっている。村長の家に向かい、外から大声でノアルーをよぶ。

「村長さん、ノアルー村長。いらっしゃいますか」

 すぐに村長が表に出てきたので、簡単に昨晩の歓迎の宴への礼をのべた。

「いやいや、こちらこそつまらん食事で恥ずかしい限りだよ。なにぶん、田舎なものでロクな食べ物もない。今度ルビアレナ村を訪れるときは、ぜひ変わった食べ物を持ってきてもらいたい。然るべく代償は支払うぞ」

「ところで村長、代金として金貨や銀貨の支払いは可能ですか」ふと疑問に思ったことを、村長に質問してみる。「お金での支払いの方が、私たちにとってもありがたいのですが」

 村長は渋い顔をしていった。

「西方では、金貨や銀貨には飾り以上の価値はないぞ。鬼角族の連中も、金貨や銀貨は使わん。ここでは品物と品物を交換するのが普通だ」

 しかし、使わないからといって持っていないとも限らない。金貨銀貨があるならば、支払いに使えるということを提案することも考えたが、信頼関係がない状態では藪蛇やぶへびかもしれないので黙っておくことにした。

「わかりました。次に来るときはなにか食べ物を持ってきます。ところで、いいにくいのですが――」やはり、礼儀として伝えておかなければならない「連れが食あたりをおこしまして、かなり部屋を汚してしまったのです。申し訳ありません」

 頭を下げる私に、村長はあわてて頭をあげさせようとした。

「いやいや、頭をあげてくだされ。謝るのはこっちだよ。なにがあたったのかはわからんが、本当に申し訳ない。こちらは、誰も食あたりにはなっていないんだが、なにが悪かったのかな」

「体調が悪かっただけかもしれません。自分たちで掃除をしますので、なにか道具を貸して――」

 村長は、大きく手を振って私のことばをさえぎった。

「いやいや、掃除はこちらでやっておく。気にしないでくれ」

 私は、つくづくズルい人間だ。その返事を待っていたのだ。

「そうですか、ありがとうございます。できれば、今日にでもキンネク族の所へ出発したいと考えていました。おことばに甘えて、出発させていただきます」

 うなずく村長に再度礼をのべ、急いで宿舎の家にもどる途中、こざっぱりしたユリアンカと会った。

 やはりまだ少し元気がないようだが、顔色はかなりもとに戻っているようだ。

「ローハンさん、昨日はありがとう。助かったよ」

 しおらしく礼をいうユリアンカの姿に驚きと、愛おしさを感じるが、今はそんな時ではない。

「いや、気にしなくていい。誰だって体調が悪い時があるものだ。それより、いますぐここを出発したいと思う。荷物をまとめてくれ」

 素直にうなずくユリアンカを横目に、宿舎に戻ってジンベジとホエテテにも同じ指示を出した。

 大男のホエテテは、起きてくる時間こそ遅かったが、特に二日酔いで苦しんでいるような素振りはみせなかった。

 必要な情報は集まった。

 あとはチュナムに戻り、これをどのように役立てるかだ。

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