すり鉢
名残惜しそうにホエテテに手を振る子どもたちを背に、逃げるようにルビアレナ村を四人で出発した。
ユリアンカが吐いた汚物の処理をしたくないから、逃げ出したわけではない。
これほど緑が豊かな場所になら、かならず水源があることは誰だってわかる。もちろん、鬼角族にもわかるだろう。それにもかかわらず、この場所に人間が住むことを許しているということは、この場所が鬼角族にとって有害ななにかがある場所だと考えるのが自然だ。それは水なのか、この土地に存在している瘴気なのか、魔術的ななにかなのかはわからない。だが、
ふと、ユリアンカの体調が気になったので、声をかけてみることにした。
「ところでユリアンカさん。バウセン山へ向かうときも思ったんだが、どうやって進む方向を決めているんだ。ぜひ後学のために教えてもらいたい」
こちらを振り向いたユリアンカは、まだ少し青い顔をしていたが、気丈に振舞った。
「太陽が昇る方向で、東は誰でもわかるだろ。あとは、丘や谷、オアシスの場所をみればだいたいの見当はつく」
つまり、私たちにはわからないということだ。ユリアンカの声はしっかりとしており、旅を続けることに問題はなさそうだ。
「ジンベジとホエテテは、特に問題はないか」
ホエテテがうなずくのが見える。ジンベジはこちらに首をむけてかすれ声でいった。
「二日酔いで頭が痛い以外は、問題ありません」
結局、ユリアンカだけが体調に異常をきたしたようだ。酒は飲んでいないから、水か豚肉、あるいは白茸あたりが怪しい。水に問題があるのであれば、我々の水袋にはルビアレナ村の水が入っているわけだから、ユリアンカの体調が悪化するかもしれない。
「ユリアンカさん、帰り道のどこかで水が補給できる場所を知りませんか」
少し考えた後で、ユリアンカは回り道をすれば、泉があることを教えてくれた。
「あなたの体調が悪いのは、ルビアレナ村の水が体に合わなかったことが原因かもしれません。できれば、どこかで水袋の中身を交換した方がいいと思います」
私のことばが終わるか終わらないかのうちに、ユリアンカが激高して叫んだ。
「あのチビどもが毒を盛ったっていうのか!」
「違います」少し大きな声で、怒鳴り返す。「バウセン山の水が、あなたたちキンネク族にはあわないか可能性があるということです。あれほど緑の多い山を、なぜ誰も自分たち部族のものにしようとしないのですか。すべての鬼――あなたたちの仲間が、バウセン山には手を出さない。おそらく、あなたたちの体に有害ななにかがあの山にあって、人間に任せておく方が利益があると考えたのでしょう」
ユリアンカはなにも答えずにうつむいた。なにか知っていることを隠そうという表情ではなく、難しいことをいわれて理解できない子どもの顔だ。
「考えすぎかもしれませんが、ユリアンカさんの体の方が心配です。寄り道をするのも旅の醍醐味ですよ」
そういい直すと、ユリアンカはよわよわしい笑顔をみせてくれた。
馬首を少し北に向け、鬼角族だけが知っている風景に導かれて泉の方へ向かうらしい。
星と太陽によって、方位くらいしかわからない我々にとっては、ユリアンカだけが唯一の導き手なのだ。少し小高い丘のような場所へ真っすぐ進むところをみると、ここがどのあたりかわかっているのだろう。
ユリアンカの馬に続き、私たちは馬をすすめた。丘を登り切ったところで、突然ユリアンカの馬が足を止める。なぜ止まるのかと尋ねようとしたとき、眼下に広がる異様な風景に、私は声を失った。
丘陵の下には、馬を数頭軽く飲み込みそうな大きさの、すり鉢状の窪みが無数にあったからだ。
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