肉荳蔲

 狼の長い遠吠えがきこえる。

 私にはよく見えなかったが、色の白い大型の狼が群れの長だろうというのがユリアンカの考えだった。

「よし、さっさと飯にしよう。飯を食ったらここを離れる」

 そういいながら、ユリアンカは短剣を抜いて狼の死体の方へ向かっていった。

「狼の肉は臭くてまずいんだけど、お前たちの粉を焼いたやつは腹持ちが悪いんだよ」

 鬼角族がパンを好まないのは知っていたが、まずいとわかっている肉を食べたくなるほど嫌っているとは思わなかった。鼻歌を歌いながら、血だまりのできた狼の死体に近づいていく足取りは軽い。

 体の震えも止まり、命の危険が去ったことを確信した私も狼のところへ向かう。

「なかなかやるじゃん、デカ人間。あんた人間にしとくの惜しいよ。キンネクに生まれるべきだったね」

 胴のところで両断された狼の前足をつかんで、ブラブラさせながらユリアンカは大男に向かって微笑みかける。

 そのとき、胸の奥にどす黒い感情が沸き起こるのがはっきりとわかった。

 これは嫉妬だ。

 大人げないが、ユリアンカが他の男に微笑みかけるのをみると、猛烈に心がかき乱される。

 だが、ここは上官としてホエテテを褒めこそすれ、文句をいう場面ではない。

「たしかにすごいな。真っ二つじゃないか、ホエテテ君」

 私のことばに、大男は恥ずかしそうに頬を染めた。

 普通の人間なら、大太刀は手に余る武器なのだろうが、ホエテテの膂力りょりょくと合わさると恐るべき威力を発揮することがわかる。

「でもちょっと変だよ、爺」

「ローハンさん、だ。なにが変なんだ」

 ユリアンカは、手に持った狼の半身を放り投げ、自分が仕留めたもう一頭の狼のところに駆け寄ってなにかを調べている。

「この時期の狼は、冬に備えて体に脂を蓄えてるもんなんだけど、どっちの狼もガリガリに痩せてるんだ。ひょっとすると、腹が減りすぎてあたし達を襲ったのかもしれない」

「なぜ、狼たちは餌を食べてないんだ。心当たりはあるかな」

「そんなこと知るわけないじゃん。それより、脂がないと筋ばっかりでマズいんだよな」

 なぜ狼が痩せているかより、食べてもあまりおいしくないことを心配していたようだ。文句をいいながらも、すばやく狼の肉を腑分けしていくさまは、ユリアンカが遊牧民であることを改めて感じさせる。

 狼の皮を剥ぎ、その上に切り取った肉を置いていく手際をながめていると、血みどろの手で狼の腹からなにかを大事そうに取り出すのが見える。そして、取り出した赤い塊を短剣で薄く削ぐと、そのまま口に放り込んだ。

 ギョッとしていると、口元を血に染めたユリアンカが短剣で赤い塊を薄く切り、私に突き出した。

「肝臓だ。あまりたくさん食べるとお腹をこわすけど、少しなら元気がでる。爺も食えよ」

 おそるおそる、短剣の上に乗せられた肝臓の一片を指でつまみ口に入れる。

 甘い濃厚な味がした。

「デカ人間と、チビ人間もこっちにこいよ。肝臓ごちそうしてやるぞ」

 ジンベジとホエテテが、面白そうな顔をして近づいてくるのを横目に、土で簡単な竈をつくることにした。私の知識では、狩猟の直後に肝臓などを生で食べることはあっても、寄生虫を恐れて動物の肉を生で食べることは少ない。そうなると、肉を焼く必要があるだろう。

 かまどができると、馬の荷袋から香草の入った瓶を取り出す。鍛冶屋といわれる人々との交渉のために持ってきた品物のひとつだが、少しくらい使っても問題はないだろう。

 枯草と木っ端で火をおこし、鍋に少しだけ水を入れて火にかける。

「ユリアンカさん、狼の肉が臭いなら少し試したいことがあります。鍋に肉を入れてもらえますか」

 狼の肉に脂があれば、その脂で炒め焼きもできるのだろうが、さきほど見た肉は赤身ばかりのようだった。乾燥させて粉末にした香草セージと、粒の肉荳蔲ニクズクを短剣で削れば臭い消しになるだろうか。戦場料理の腕前には自信があるが、狼の肉を調理するのははじめてだった。

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