真実
それから、ユリアンカと剣術の稽古をするのが日課になった。
はじめのころは姑息な技でユリアンカを圧倒していたが、今では三本に二本はユリアンカに負けてしまう。
しかし、ここにはユリアンカと対等に勝負ができる人間が私以外にいないので、どうしても私が相手をするしかないのだ。最近では、槍や弓の使い方を教えて、かろうじて教官としての尊敬を保っているが、それも時間の問題だろう。
友人といってもよいハーラントが鬼角族を支配しているかぎり、この地域での戦いは二度とおこらないはずだ。惚れた若い娘と、毎日くんずほぐれつの稽古を続け、うまい飯を食ってぐっすり眠る。このまま、この土地で生涯を終えてもかまわなかった。
ひと月ほど幸せな日々を過ごした後、ワビ大隊長からの書簡を持った伝令がチュナム集落にやってきた。
ワビ大隊長には戦勝の報告と、鬼角族との友好関係の樹立に成功したこと、そしてある願いを伝えていた。
さっそく封蝋を破り、書簡を開く。
ローハン・ザロフ小隊長へ
再度の勝利おめでとう。予想以上の大勝利に、小官も驚きと喜びでいっぱいだ。
なにより、どうやったのかはわからないが、鬼角族と友好関係を結んだということは素晴らしい。小隊のチュナム集落からの撤退も可能となったのであれば、我が大隊の兵員不足問題を解決できるかもしれない。撤退の可否について報告してもらいたい。
こちらからの応援部隊とともに送り届けてもらった馬は、どれもみな駿馬ばかりで銀貨三十五枚が君に支払われることになったが、荷馬車を勝手に破壊した分を差し引いて銀貨三十枚をそちらに送る。
追伸
君から推薦のあったストルコムを正式に士官に任命し、小隊長とすることにした。チュナム集落から別の守備隊へ配属するので、伝令とともにターボルに戻してもらいたい。
テーア・ワビ
ストルコムが士官に任命されるというのは、いい知らせだ。士官ともなれば退役後も年金が支給されるから、生き延びることさえできれば少なくとも一生食うに困らない。辺境部隊の多くの兵士が望むが、ほとんどかなえられない夢が士官への任命なのだ。ストルコムへの恩返しができたことで、肩の荷が少し下りた気がする。どのような大戦果をあげようと、大将軍のギュッヒン候に恨まれている私が昇進することはありえないから、せめて部下だけでも正しく評価してもらいたかった。
一方で、チュナム集落からの撤退は悪い知らせだ。たしかに、現状ではチュナム集落に守備隊はいらない。しかし、この集落が安全なのは私とハーラントの個人的な関係によるところが大きく、私がここからいなくなると安全は保障されなくなる。鬼角族が恐れているのは私であり、羊たちの投槍は脅威だが、それだけでは鬼角族に対抗できないだろう。黒鼻族は自分で投槍をつくれないから、我々が撤退すれば――。
そんなことはどうでもよかった。
私が恐れているのは、ユリアンカと離れてしまうことだ。
ハーラントが血の盟約を望むのは、私がこの集落の守備隊長だからなのだ。
ヴィーネ神の
誰も私自身を必要としているわけではなかった。
みなが必要としているのは、守備隊長であり、
裏切った妻のアストも、私を必要とはしていなかった。
気がつくと、とめどなく涙があふれていた。
「ローハン、今日も稽古を――」
部屋に入ってきたユリアンカが、むせび泣く私を見て凍りついた。
「すまん、変なところに入ってきたみたいだな。今日は稽古やめよう」
そういって出ていこうとするユリアンカをよび止める。
「いや、大丈夫だ。すぐに準備するから待ってくれるかな」
出ていくチャンスを失ったユリアンカは、バツの悪そうな顔でこちらから目をそらした。
「わかった。外で待ってるから、準備ができたら――」
「ユリアンカ、ひとつききたいことがあるんだが、いいかな」
こちらの深刻な表情に、ユリアンカはじっと私の目をみつめる。
「なんだよ」
「もし、私がここからいなくなったら、あなたはどう思う?」
少し考えて、ユリアンカはいった。
「ここに、あたしと対等に戦える相手はいないから、ローハンがいなくなったら少し残念かな」
ほんの少し、間をあけて続ける。
「少し寂しいかもね」
私は意を決して、核心に切り込む。
「私がここからいなくなるとして、その――私といっしょに別の場所へ行かないか。ハーラントのいう血の盟約のことだ。私と結――」
「なにキモイこといってるんだよ。なんであんたみたいな骸骨爺と血の盟約するんだよ。気持ち悪くて寒気がするわ。死ね、クソ爺」
即答だった。
笑顔で本心を覆い隠したりすることなく、心で感じたままのことが口から飛び出したのだ。
ひどい罵倒だ。
だが、うれしかった。
心の奥底で、別のことを考えているのではないかなどと心配する必要のない、真実のことばだ。
疑ったり、勘ぐったり、
いなくなると残念だというのも、心の底からの事実だろう。
もし、ユリアンカから
「罵られてニヤニヤするとか、どんだけド変態なんだよ、このクソ爺」
素早く涙をぬぐい、木剣を手に取った。
「師匠を罵るバカな弟子に、思い知らせてやる必要があるな。今日は今まで使わなかった技をみせてやるから、表にでるがいい」
もう少し、この生活を続けてみたくなった。
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