ほうけたようになった顔を引き締め、できるだけ威厳ある声でこたえる。

「じゃあ、ローハンでいいよ。あなたは強いが、戦うための技を知らない。戦場では、強く、速ければいいが、一対一で戦うのであれば技が必要になる」

 ポカンとした顔をするユリアンカを見て、どう訓練すればよいかという方針を立てた。

「難しいことをいってもわからないから、昨日なぜ私があなたに勝ったかを教えることにする」

 バカにされたように感じたのか、頬を膨らませる姿も可愛いらしい。

 そうなのだ。笑っても、怒っても、悲しんでもすべてがいとおしい。

 今から三十年ほど前、訓練所の近くにあった食堂の娘さんに惚れてしまった時も、こういう気持ちだった。たしか名前はカチヤといっただろうか。風のうわさで、訓練所の兵士と結婚して、いまでもあの店を切り盛りしているときいた。三十年会っていないので、私の心の中のカチヤはあの頃のままだが、三十年の月日はあの人をどう変えてしまったのだろうか。もちろん、赤い頬の少年だった私も、今では立派なオッサンになってしまっているのだが。

 これは恋だ。

 オッサンでも少年のように恋をしてしまうことに戸惑いを感じながら、あくまで平静をよそおう。

「昨日の動きをもう一度やって見せるから、なぜあなたが負けたのか考えて欲しい。わかりやすいようにゆっくり動いてくれるかな。まず、あなたは右下段で近づいてきて、そのまま……」


 私が昨日の種明かしをすると、ユリアンカは驚いたり感心したりと表情をくるくると変えた。

「一番の失敗は、私の木剣を下からの斬り上げの時に叩いたことです。剣術というのは、こう斬りかかられればこう受ける、こう来たらこう返すというものです。あなたの剣が私の剣に触れたことで、私は切っ先を誘導することができました。剣術など覚えなくとも、そのことを知っていればあなたに勝てる敵はそうそういませんよ」

「そういうものなのか。だったら、爺さん、あたしと一勝負してもらってもいいか」

 私は返事をしなかった。

「爺さん、それが本当かどうか試したいんだよ」

 その誘いを無視して、冷たい目でユリアンカをにらみつける。

「じい――ローハン、一勝負頼んでもいいか」

 惚れた相手に、名前で呼ばれるのは心地よいものだった。

「怪我をされると困るので、今日は木剣が相手に触れれば負けということで良ければ、一勝負しましょうか」

 うれしそうにユリアンカはうなずいて、距離をとった。

 今度は木剣を右肩に担ぐように構え、こちらの様子をうかがう。

 馬上から大太刀を斬り下ろす時の姿勢だ。その構えから、手首の返しを使って神速の一刀が繰り出される。その速度に、私はついていけないことがわかっているので、今回は先に動いた。

 木剣を両手で軽く握って、柄頭を体の中心から少し右にずらし、切っ先を左に傾ける。

 相手の一撃を剣で受けるための構えだ。

 その姿勢のまま、大きくユリアンカのほうへ踏みこむ。

 私の指導を理解していれば、そのまま木剣を振り下ろすのではなく、私の木剣を避けるために横にいだだろう。しかし、案の定ユリアンカは己の剣のみを信じ、そのまま木剣を振り下ろした。

 あまりにも速いその切っ先を見切ることはできなかったが、予想通りの剣の軌道であれば、必ず私の木剣に触れるはずだった。

 激しい衝撃が両手に伝わる。

 その瞬間、私は木剣から手を放し、左足を軸にくるりと回転しながらユリアンカのふところに飛びこんだ。回転する体に一拍遅れ、右ひじが遅れてユリアンカの右肩に打ち込まれる。

 木剣を持つ右腕を強打され、たまらず片手持ちの木剣を取り落としたのをみて、私はそのまま、今度は右足を軸に体を回転させて、ユリアンカの右斜め後ろに回り込んだ。

 左手を股のあいだに突っ込むと、右ひざの少し上を強くつかんでそのまま後ろに倒れこむ。予期しない方向から力を加えられ、バランスを崩したユリアンカは、そのまま私の上に倒れこんで後頭部を地面に打ちつけた。

 ユリアンカの下敷きになりながらも、相手が落とした木剣を左手で素早く拾うと、その首筋に突きつける。

「私の教えたことを、ちゃんときいていたのかな。相手の剣に触れると、そこから返し技があるっていっただろうに」

 格好は悪いが勝ちは勝ちだ。間近に感じるユリアンカからは、いい香りがした。

「わかった、負けを認めるから、変なところ触るなよクソ爺」

 そのとき、私の右手がユリアンカの胸を鷲掴みしていることにはじめて気がついた。

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