歓迎会、そして

 最前線の駐屯地である。歓迎会といっても、簡素な料理と水で薄めた果実酒くらいしかなかったが、大隊長公認で酒が飲めるということで、入れ替わり立ち代わり兵士たちが天幕に集まった。

「見張りのものは、酒を飲んではいかんぞ。お前たちの酒は別に用意しておいてやるから、今日は飲むなよ」

 秘書官のジョッビという男が兵士たちに声をかけるが、どこまで伝わっているかわからなかった。

「ザロフ君も飲みたまえ。今日は君が主人公だ」

 禿げあがった頭のてっぺんまで真っ赤にした、ワビ大隊長がすすめてくるので、あまり強くない酒をかなり飲んでしまった。私が訓練教官だったという兵士も数名いたが、やはり顔も名前もまったく思い出せない。宴は遅くまで続き、自分自身のテントに戻るころには真夜中をすぎていたのではないかと思う。みんな楽しそうに酒を飲んでいたから、飴ではなく火酒を買ってくるべきかと後悔する。そのまま寝台に寝転がって、世界がぐるぐる回るのをながめながら意識を失った。


 鐘の音と起床、起床のかけ声で目をさます。普段であれば三の鐘が鳴る前には起きて、水浴びでもしているところだが、昨晩の酒のせいで出遅れてしまった。テントには水差しもなにもないので、乾いた喉を潤すために急いで井戸の場所を探そうとテントを出る。その瞬間、もふもふとした毛の塊と出会いギクリとして立ちつくした。なんでこの駐屯所にいるんだ。よく見るとフェイルの町にいたニビという個体とは違い、頭の両横の部分から角がはえている。角は不規則にねじれ、右の角が大きく前方に突き出していた。

「おはようございましゅ。だロフしゃまの身の回りのおしぇ話をしゃせていただくヤビツでしゅ」

「お、おはよう。よろしく頼む」

 こういう辺境では、士官付の従者がいるのだろうか。すべてがわからないことだらけだが、ここは利用させてもらおう。

「ヤビツ君、すまないが顔を洗いたいので水をもらえるかな。それに飲み水もほしい」

 黒鼻族が、こちらの顔を凝視した。なにか間違ったことをいったのであろうか。黒い毛でおおわれた顔の、ボタンのような瞳に見つめられると、なんともいえない不安がわきおこる。

「顔を洗うみじゅと、飲みみじゅのどちらをしゃきにお持ちしぃましゅか」

「喉が渇いているので、先に飲むための水を頼む」なぜそんな質問をするのだろうか。よくわからなかったが、そのことは後で考えよう。「急いで頼むよ!」

 私のことばとともに、もじゃもじゃはトテトテとどこかへ走り去っていった。テントに戻り、すばやく服装を点検する。昨晩、上着を着たまま寝てしまったので、背中のところが大きな皺になっていた。

 礼装用の軍服に着替えるべきか。いや、昨晩の駐屯所の雰囲気では、礼装用ではまわりと浮いてしまうだろう。このままでいこう。こわばった全身をほぐすように柔軟体操をしていると、二足歩行の羊がテントに入ってきた。

「みじゅをもってきましぃた」

 両手ではさんだ水差しを、こちらへ差し出す。礼をいい、受け取った注ぎ口から直接グビグビと飲んだ。今度はコップも持ってきてもらおう。残った水を左手に受け、顔を水でぬぐう。顔を洗う水を待っている暇はない。

「ありがとう、ヤビツ君。顔を洗う水はもういいよ。とりあえず朝礼にいってくる。その後でいろいろお願いすることがあるかもしれないから、よろしく頼む」

「わかりましぃた。だロフしゃま」

 頭を下げるヤビをテントに残し、あわてて本部天幕の前の広場に急いだ。


 すこし息を切らしながら広場に到着するが、秘書官のジョッビと数名の兵士以外は誰もいなかった。

「秘書官殿、ここでは朝の点検はおこなわないのでしょうか」

 ジョッビは少し困ったような顔でいった。

「もちろんやっていますよ。まあ、昨晩飲み過ぎたので、集まりが悪いんでしょうね」

 これなら、しっかり顔を洗ってから来ればよかったとも思ったが、皆が整列しているところに遅れて参加するよりはマシだろう。しばらく待っていると、大隊長が眠そうな目をこすりながら広場にあらわれる。再び鐘が連打され、守備隊集合の呼び声が繰り返された。今度は、みな小走りで広場に集まりはじめ、あっというまに隊列ができあがった。ジョッビ秘書官の整列の声で、ジグザグだった隊列は一直線になり、場を静寂が支配すると、もったいぶったような声でウビ隊長が一歩前に出た。

「おはよう、ターボル守備隊の諸君。昨晩親交を深めたものも多いので、いまさら紹介するというのもおもばゆいが、わが守備隊に新しい士官が着任した。ローハン・ザロフだ。ザロフ君、こちらへ」

 あいさつするなら事前に知らせてほしかった。気のきいたスピーチができるような人間ではない。しかし、上官の命令を無視するわけにはいかないので、ウビ隊長のところまで進み礼をしてから、振りかえった。

「ただいま紹介にあずかりました、ローハン・ザロフです。みなさんの中には、私が新兵訓練した人もいるようで、懐かしさと心強さでいっぱいです。実戦経験は不足していますが、これからみなさんと、軍の威明を貶めることがないよう努力したいと思います」

 それだけいうと、回れ右をして、ウビ隊長のほうへ向きなおる。

「ありがとう、ザロフ君。君には重要な任務についてもらいたいと思っている。先日戦死したレエフザン小隊長のかわりに、黒鼻族のチュナム集落へいってくれ。そこで防衛隊の小隊指揮官として、鬼角族の攻撃から集落を守ってもらいたい」

 ウビ隊長のことばに、後ろの隊列からざわめきがおこったが、ジョッビ秘書官の一喝ですぐに静かになった。

「午後には現地にいってもらいたいので、すぐに準備をするように。それでは解散」ウビ隊長はそう告げると、私のほうに近づいてきた。「チュナム集落の兵員補充は、次の新兵をもっておこなうから心配しなくていい。くわしい説明はジョッビからきいてくれ。正直なところ、かなりやっかいな場所であることは間違いないから、やるんだぞ」

 私を心配してなのか、それとも警告なのかはわからなかったが、さきほどのざわめきとあわせて考えると、派遣先が危険な場所であることは間違いないだろう。ウビ隊長が本部の天幕に入るのと同時に、後ろから男の声がした。

「教官殿、隊長となにかあったんですか」昨晩、私が新兵教練を受け持ったと声をかけてくれた兵士だった。「チュナム集落は本当に危険な場所ですよ。実際に、ここまで鬼角族が攻め込んでくることはめったにありませんが、あそこは頻繁に襲撃のある最前線です。普通は懲罰として派遣される場所ですから、着任直後の士官がいくような場所じゃあありません」

 それでざわめいていたのか。隊長には昨日はじめて会ったし、恨みを買うようなことはしていない。おそらく、ギュッヒン侯からなにか指示がきているのだろう。だが、ギュッヒン侯は勘違いしている。もともと捨てたはずの命。戦場で誰かのかわりになれるなら、それは本望というものだ。

「教官殿、大丈夫ですか」

兵士が心配そうに声をかけてくれる。私はにっこり笑っていった。

「大丈夫だよ。それより、大変申し訳ないのだが君の名前を教えてほしい。顔は覚えているんだが、どうしても名前が出てこないんだ。年は取りたくないものだな」

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