チュナム集落

 ジョッビ秘書官から現状のチュナム集落の説明を受け、六の鐘が鳴るころには馬車に揺られていた。


 チュナム集落には約五百人の黒鼻族が暮らしており、恭順を示した異民族を保護する義務がある我々は、一個小隊を派遣して集落の警備に当たっているとのことだった。

 鬼角族は定期的に黒鼻族を襲撃し、数人をさらっていくらしい。戻ってきたものがいないので、連れ去られた黒鼻族がどうなったのかはわからないが、鬼角族は黒鼻族を食料としているらしいので、生きてはいないだろうとのことだ。

 ふつう、鬼角族は圧倒的な武力ゆえに守備隊を無視することが多いのだが、偶発的な衝突が起きた場合、守備隊から多数の被害者がでることもある。前回がそうだったらしい。

 威嚇のために放った弓矢が急所に命中し、怒り狂った鬼角族によって、レエフザン小隊長以下、兵士二十四人が殺された。守備隊の生き残りは三十人で、うちのめされた兵士に戦闘意欲は皆無に近い。その守備隊を立て直し、後日送られる補充兵とともに黒鼻族を守るのが今回の私に与えられた任務だった。

 不規則な馬車の揺れに身を任せながら、いくつかの計画を立てる。

 まずは防御陣地の構築だ。相手の数は不明だが、三十名なら方陣に毛が生えたような陣地を構築するくらいはできるはずだ。まずは防御を固めることが、兵士に生きる意欲を持たせることにつながるであろう。あとは現地についてからだ。


 チュナム集落に到着したのは、もう日も暮れかかろうとしている頃だった。小高い丘の上にある集落は、ある程度以上の規模を持つ軍なら周囲に環濠かんごうを掘り、柵をたてて高いところから弓で射おろすことで、強力な防御拠点として利用できそうだが、三十名では環濠を掘るだけで一年以上はかかってしまう。道々目にとまった黒鼻族の住居は、土か粘土の壁に藁ぶき屋根の素朴なもので、防御拠点として利用できない脆弱なものと思われた。

 とつぜん、横に座っていたヤビツがメーメーと大きな声で叫びはじめ、家々から大きいもの、ブチのあるもの、立派な角を持つもの、ありとあらゆる黒鼻族が表に出てきて私たちに手を振ってくれた。

「みんなしぃ揮官しゃまを歓迎しぃていましゅ。鬼角どくから我々を守ってくれる英雄としぃて」

 期待してもらうのはうれしいのだが、残念ながら今のわれわれにはこの集落を守る力はない。そのことを正直に告げようとするが、ヤビツのことばにさえぎられた。

「レエフだンしゃんは、村を守るために命をかけてくれましぃた。みんなは、しょのことにも感謝しぃているのでしゅ」

 レエフザン小隊長が、この村を本当に守ろうとして戦ったのかどうかはわからないが、自分たちのために命を失ったことに黒鼻族は感謝しているのだろう。

「勇敢に戦ったレエフザン小隊長のことは、けっして忘れないで欲しい」

 うなずくヤビツを横目に、前方にみえてきた軍の天幕と、その外にだらしなく座っているチュナム守備隊の面々へ注意を向ける。前回の襲撃からはすでに十日以上経過しているのに、その顔には生気がなく、自分のことにも周りのことにも無関心な表情だった。天幕の前に馬車が止まると、ようやく数名の兵士がのろのろと腰をあげ、気をつけの姿勢をとった。ヤビツとともに、馬車をおり、近くの兵士に声をかける。

「責任者はどこにいる。現在のここの責任者だ」

 兵士が天幕のほうを指さすので、二人で天幕の中にずかずかと入っていった。中には中年の、といっても私よりは若いが、兵士が一人座っており、椅子の上で鼻ちょうちんをふくらませていた。きこえるように咳ばらいをする。天幕にほかの人間がいることに気がつき、私の姿をみてどうやら新しい指揮官がきたのだと理解するまで、かなりの時間が必要だった。

 「失礼しました」飛び起きるなり男はいった。「自分が現在のチュナム集落守備隊指揮官代理のストルコムであります」私の顔をまじまじと見つめ、今度は突然叫んだ。「え、ひょっとしてザロフ教官殿ではありませんか。教官殿だ。もう十年にもなります、本当にお懐かしい」

 ストルコムという男は、私の両手をつかんで、うれしそうにブンブン振り回した。

 残念なことに、この顔にも覚えがない。都の訓練所を離れて以降、いたるところで私のことを覚えてくれている兵士に出会うが、私にはまったく記憶がないのだ。しかし、これはチャンスだった。

「ああ、ストルコム君か! 君を練兵場で足腰立たなくなるまでしごいたのが、昨日のことのようだ」

 たいていの新兵は私の訓練で足腰立たなくなるものだが、ごく一部に例外はいる。しかし、その例外の顔や名前は覚えているものだ。そして、私にストルコムの記憶はなかった。

「あー、あれは完全にイジメでしたよ、教官殿。しかし、あの訓練のおかげで、いまでもこうやって生きていられるんですから、教官にはいくら感謝しても足りません。みんなにも紹介します」

 ストルコムは私を連れ、兵士たちに次々と声をかけていく。

「おい、お前ら。ここにいるお方は、軍隊のぐの字も知らなかった俺を、立派な兵士に鍛えてくださったザロフ教官殿だ。教官殿が来たからには、俺たちもこの地獄から抜け出すことができるぞ。お前ら喜べ!」

 能面のようだった兵士達の顔に、表情が戻っていく。私を個人的に知らないものでも、この部隊で信頼されているストルコムが絶賛する人物が突然現れたのだ。絶望的な状況から抜け出すことを期待して、何が悪いというのか。いつのまにか、天幕のまわりに兵士全員が集まり、即席で演説をおこなうことになってしまった。

 兵士たちからの期待の視線が、全身に突き刺さる。ここでなにをいうかで、すべて決まってしまうだろう。しかし、私には特別な演説の才ははい。率直に事実を伝えることができるだけだ。

「ここに集まった、三十名の兵士に伝える」

 ここまでいうと、ストルコムが横から小声で私の耳元でつぶやいた。

「二名脱走したので、残り二十八名です、二十八名」

「えー、あのー、ここに集まった全員に伝える。本日、チュナム集落守備隊小隊長に任命されたローハン・ザロフである。この瞬間から、本守備隊の指揮権はすべて私の下に置かれる。チュナム集落この現状が最悪であることは事実であるが、近いうちにここには定員を充足する兵士が配備される予定だ。ここには私の訓練を受けたものもおり、われわれは良いチームになれると思う。いままでの経験すべてを費やして、この集落の安全と、諸君の命が無駄に失われないように最善を尽くすつもりだ。諸兄のいっそうの奮闘に期待する」

「ザロフ隊長万歳!」

 突然、ストルコムが大声で叫んだ。

「ザロフ隊長万歳!万歳!万歳!」

 残りの二十七名も同じように絶叫する。

 横にいたヤビツも、舌っ足らずの声で、だロフ隊長万だいと叫んでいた。

 今の演説の内容で、なにか人を感動させるようなものがあったか?

 いや、なにもないよな。

 ストルコムにのせられて、みな興奮しているだけだ。

 ただ、部隊の士気は猛烈にあがったことは事実なので、ストルコムに文句をいうつもりはない。

 しかし、率直に語るのが軍人の本分だというのに、最後まで口に出すことができなかった。

 私に本当の戦争に関する実戦経験がないということを。

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