営倉にて

 ノックをしてから、直属の上官であるムンキ・ローセノフの部屋にはいる。

「おや、ローハンじゃないか。今日は若い奥さんのために、早く帰ったんじゃなかったのか」

 ローセノフ中隊長は五十がらみの恰幅のいい士官で、物分かりがよく下士官からも人気があった。

 なんと答えてよいのか、私にはわからなかった。軍隊では、簡潔で率直であることが常に望まれることを思い出した。

 ならば、ありのまま話そう。決心すると口をひらいた。

「私は人を殺しました。家に帰ると妻と間男まおとこが同衾しており、その間男を短剣で刺し殺しました。相手は武装しておらず、これは殺人です。いかなる処分も甘んじて受けるつもりです」

 腰の短剣を外し、テーブルの上に置く。一歩後ろに下がり、閲兵の時のように直立不動の姿勢をとる。

 中隊長は一瞬呆けたような顔をしたが、私の思いつめたような表情と、短剣の鞘から見える血の跡をみると、真剣な表情になった。

「冗談ではないようだな。相手は誰だ。奥さんも殺したのか」

 間男が誰かなどまったく心当たりもなかったし、知りたくもなかった。

「わかりません。妻は男をかばおうとしたので、退かせるために気絶させましたが、殺してはおりません」

 ローセノフ中隊長は、しばらくなにかを考えたあと、ぽつりといった。

「ローハン、上司としてではなく友人としていわせてもらう。お前のような不器用な男には、若すぎる嫁は手に余るといったじゃないか。あの時、もっと強く反対すればよかったのか。お前は裏方だが、この訓練所にとっては、余人をもって代え難い人材なんだぞ。まさに国家的損失だ」

 まさか自分がそこまで評価されていたとは知らなかったが、いまとなってはどうでもよかった。この国では殺人という罪への罰は死刑だ。自決することも考えたが、ヴィーネ神の教えに反することはできなかったし、それ以上に逃げたと思われるのが嫌だった。

 私が黙っていると、中隊長は手元にある呼び鈴をイラついたように何度も鳴らした。

「副官、副官!」

 なかなか来ない副官にしびれを切らしたのか、中隊長は大声で叫ぶ。しばらくすると、ドアをノックする音がきこえ、小走りで副官のアジェコが部屋に入ってくる。

「ローハン・ザロフ教官を営倉へ収監しろ。自殺しないように常に監視をつけることを忘れるな。あと、口の堅い兵士を二名ほどザロフ教官の家に派遣し、奥さんを保護してこっそり死体を回収しろ。特に命令があるまで、このことは憲兵の連中には知らせるな」

 アジェコ副官は命令を復唱し、私のほうに向かっていった。

「ザロフ教官。私と一緒にご同行願います。あと――」副官は困ったような顔で続けた。「教官の家はどのあたりでしょうか」

 家の場所を伝えると、私は副官に促されるままに事務所まで連れていかれ、屈強な兵士に引き渡された。

 その屈強な兵士は、私を連れて兵舎の外にある営倉まで連れていき、くたびれた警護の兵士に私を引き渡した。まるでバトン・リレーのようだ。

 くたびれた兵士は私を知っているようで、犯罪者のように扱うべきか、それとも上官として扱うべきか迷っているようだったが、とりあえずは上席の軍人として扱うことに決めたようだった。

「こちらにどうぞ」

 小さなのぞき窓に鉄格子の入った扉を開き、中へ入るようにうながす。

 礼を述べて狭い部屋に入ると、後ろからガシャンという大きな音とともに扉が閉まり、外からかんぬきがかけられた。部屋は板張りで、飛び上がればぎりぎり届くか届かないかという高さのところに明かり取りの窓があったが、そこにも鉄格子がはまっている。

 寝台に体を横たえると、尿の臭いがした。

 頭の横に木の桶が置かれており、臭いの源はそれだった。

 おそらくこれがトイレなのだろう。

 寝台の上で体を反転し、頭を反対側に向けてうつぶせに寝ようとするが、寝台の上のシーツは茶色く汚れており、とても顔をうずめる気持ちにはなれなかった。

 ごろりと仰向けになり、右手で顔を覆った。

 誰かがすすり泣く音がきこえる。

 その音が、自分のものであることに気がつくと、恥も外聞もなくわんわんと大声で泣いた。


 営倉に入れられてから、二日がすぎた。

 食事は喉を通らず、水を少し口にしただけだ。

 いつも新兵たちに、人間は水さえ飲めば四日や五日は戦いを続けることができるなどと講義していたが、死を待つだけの私には水すらも必要ないかもしれない。

 いま望むのは、軍人としての名誉をもって、剣で斬首刑になることだけだった。

 間男を殺すことは、名誉のない犯罪になるのだろうか。

 名誉のない殺人ならば、裁きは絞首刑となる。犯罪者として絞首刑になるのだけは我慢できない。

 その一方で、どんな方法であろうと、自分が死ぬことに違いはないという気持ちもある。

 しらみにたかられ、日がな一日頭をボリボリかき続けるこの日々さえ、死ねば終わってしまう。

 まあ、それももうどうでもいい。

 思索の堂々巡りを続けていると、突然閂が外される音がして、扉が大きく開かれた。

 食事の時は、扉の中ほどにある小窓が開かれるだけなので、営倉に入れられてから扉が開かれるのははじめてだった。

 いよいよ刑が執行されるのだろうか。

 それとも取り調べのようなものがあるのか。

 軍事教練以外の知識がないことが、もどかしかった。

「ローハン・ザロフ教官」きき覚えのある中隊長の声だった。「貴君を釈放する。詳しいことは私の部屋で話そう。まずは水でも浴びて、その情けない服装をなんとかしたまえ」


 井戸で水を浴び、汚れを落としてから、階級のない洗いざらしの軍服を着せられる。

 中隊長の部屋の前まではアジェコ副官に付き添われたが、副官はドアをノックすると部屋の前からすみやかに立ち去った。中から、入れという声がきこえたので、ドアを開け部屋の中央に気をつけの姿勢で立つ。

「ザロフ教官、そんなに緊張しなくていい。そちらの椅子に座りたまえ」

 ローセノフ中隊長の命令に了解し、用意された椅子に腰かける。

「ローハン君、今日はいい知らせと、悪い知らせがある」私が特に返事をしないので、中隊長が言葉を続けた。「いい知らせは、君は本日をもって無罪放免、つまり釈放されるということだ」 

「なぜですか! 人を殺したのに無罪なんておかしいんじゃないですか」

 少なくとも、よほどの悪法でない限り人は法に従わなければならない。人の情実でそれが捻じ曲げられるなら、いずれ誰も法に従わなくなる。これは、軍人一家であるザロフ家には珍しく、法務官になった祖父がいつもいっていたことだ。正義のもとにみまかるなら、ヴィーネ神はその魂に永遠の喜びを与えるだろうというのも口癖だった。教官トレーナーという贈物ギフトが貴重なものだとしても、そのために法が捻じ曲げられることは、祖父なら絶対に許さないだろう。

「まあ落ち着いてくれ。君のいうことはもっともだが、これは君に殺された男の家族からの意向でもある。君が妻の不貞をとがめて殺した男の名は、ディナルド・ギュッヒン。あのギュッヒン侯の六男なんだ」

 ギュッヒンという名で、なぜ殺された男の家族が殺人をなかったことにしたいのか、すべて理解した。

 軍の最高司令官であり、軍神ともよばれる大将軍のギュッヒン侯の子息が、間男してその女の夫に殺される以上の不名誉など、ありはしないだろうから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る