NTRおっさんの、もふムチ戦記~めざせ軍団長! いや、大将軍?~
重石昭正
第一章
裏切り
「小隊気をつけ! 横列つくれ!」
六十人の若者たちが、縦五列、横十二列の陣形をつくる。
若者たちは左手には丸い盾、右手には身長の倍になろうという長さの槍を握っていた。
先端を布で巻かれた槍の穂先はそろわず、天を向くもの、地を向くものみなバラバラだ。
「小隊右旋回!」
横列を維持したまま、部隊は右に回転していく。
回転軸の中心となるべき最右翼と、スムーズな機動が必要な左翼の動きが揃わず、列は弓のような形に崩れた。
「旋回止まれー! 隊列なおせー!」
乱れた隊列が、また横一列に戻る。
「槍先上げ!」
力なく下を向いた槍の穂先が、また肩の高さまで持ち上げられた。
「そのまま前進」
力なく進む横列は、すぐに
「右に旋回するときは、常に自分の左側の動きを意識しろ。左の戦友に動きを合わせれば、横列を維持しながら旋回できる。右旋回の速度は、前列最左翼のものが決める。ほかのものはそれにあわせろ」
教練を指揮している男は、焦げたパンのように日焼けしており、その怒声は戦場での
「お疲れ様。少し早いが、今日の訓練はこれで終わりだ。水でも浴びて、たらふく飯を食って、ゆっくり休んでくれ」
教官であるローハン・ザロフの合図で、疲れ切って地面に寝転がっていた60名は、ノロノロと体を起こす。
「教官、少しきいてもいいですか」
一人の若者が声をあげた。名前はキンデン・ツベヒ。下級貴族の三男坊だ。
貴族の子弟であっても、三男四男になると家督はもちろん、財産分与も受けることができないことが多かった。そのようなものは軍人となり、立身出世を目指すのだ。
「なんだね、ツベヒ君」
「我々が派遣される辺境で、このような密集陣形を取ることがあるのでしょうか」
「ほとんどない」ローハンは続けた。「しかし、覚えておいてほしいのだが、一人一人の力で私たち人間は
キンデンが納得したのかどうかはわからないが、それ以上の質問はなかった。
疲れ切った新兵たちは、足を引きずりながら宿舎へ帰っていく。
その中から一人の若者が、ローハンのところへ近づいてきた。
「教官、ひとつおうかがいしてもいいですか」
ペン・ジンベジという若者だ。自分では没落貴族の子弟だと名乗っているが、それも怪しい。しかし、常に兵士が不足している辺境では、士官にでもならないかぎり生まれの貴賎はほとんど問われない。
「なにかな。ジンベジ君」
若者は、名前を覚えられていたことに嬉しそうな笑顔を見せた。
「人間は鬼角族より強いという話でしたが、教官は我が小隊一の大男、ホエテテを簡単にぶちのめしておられたではありませんか。教官なら鬼角族相手でも勝てるんじゃないですか」
その瞳には、英雄を崇拝する強い光が灯っていた。
「勘違いしてもらっては困る。もし戦場で私がホエテテ君とあいまみえれば、私は簡単に殺されてしまうだろう。私には、ヴィーネ神から賜った
ペンは失望するかもしれないが、嘘が嫌いな私は誰にでも真実を伝えることにしている。
「またまたご謙遜を」ペンは笑いながら答えるが、私の真剣な顔を見て真面目な表情にもどった。「本当なんですか、教官」
「嘘をいう理由はない。私は君たちが少しでも長く、戦場で生き残ることができれば、それで構わない。もちろん英雄になってくれてもかまわんがね」
私がニヤリと笑うと、ペンは頭を下げて宿舎のほうへ向かった。
十五で軍に入り、二十で
それに、家には可愛い妻が待っている。二十五も年下の、自分の子どもといってもおかしくない相手を嫁にするといった時、多くの同僚たちからは猛烈に反対された。
子どもが生まれても、大人になる前にお前が死ねばその子は路頭に迷うだろう。
お前が六十になったとき、嫁は三十五の女の盛りだ。お前は自分の下の世話をさせるために結婚するのか。
同僚の忠告は、たしかに的を射たものだが、私にも言い分はある。
そもそも、この結婚は自分から望んだものではなかった。
妻のアストは、もともとある貴族と婚約していたが、醜聞に巻き込まれて婚約は破棄され、まともな結婚相手を見つけることができなくなっていた。
そこで、四十三の独り者である私に声がかかった。
私はアストに、「あなたの過去は問わない。私は無骨な軍人だが、あなたが私を愛してくれるなら良き伴侶になろう。私の魂を捧げ、あなたを幸せにする。あなたも絶対の忠誠を私に捧げてくれ」と結婚を申し込み、アストはそれを受け入れてくれたのだ。
ザロフ家は軍人の家系の下級貴族で、アストの実家セーチノフ家よりは格が落ちるが、お互いの家からは祝福されて婚姻の儀が執り行われた。はじめはぎこちない新婚生活であったが、今ではお互いに信頼しあい、理想の夫婦になった思っている。アストは良い妻だし、私は良い夫だ。
市場に寄り道をしてから、我が家に帰る。
まだ日は高く、いつも家に帰る時間より一刻は早い。
今日は結婚二年目の記念日なので、上官の許可を得て訓練を早めに切り上げたのだ。
鞄から、用意していた真珠の首飾りを取り出し中身を確認する。ピンク色の真珠は普通のものより珍しく高額だが、以前世話をした宝石商から安く譲ってもらった。アストは前から真珠のネックレスが欲しいといっていたから、これをみれば喜んでくれるだろう。
帰り道で買った花束を手にして門をくぐると、こっそりと扉を開け、玄関に滑り込む。
私は愚直なつまらない男だが、人生には驚きが必要であることくらいはわかっていた。
こっそり帰って、プレゼントでアストを喜ばせてやろう。
音を立てずに台所のほうへまわるが、アストの姿は見えない。
寝室で午睡を楽しんでいるのだろうか。できるだけ音をたてずに、階段をのぼる。
そのとき、寝室のほうからかすかな笑い声と、話し声がきこえた。
二階にお客さんでもいるのだろうか。
心がざわつく。
寝室の扉は完全に閉じておらず、部屋の中からなにかをはなしている二人の声がきこえた。
階段の途中に伏せ、全神経を耳に集中した。
「もうそろそろ、オッサンが帰ってくるんじゃないの」
男の声だ。全身から血の気が引いていく。
「まだ半刻くらいは大丈夫よ。あのオッサン、なんか最近、急にベタベタするようになって気持ち悪いったらないわ」
クスクスという聞き覚えのある笑い声が、
怒りが静かに爆発した。
血が頭にのぼったのか、両耳からキーンという鳴っていないはずの音がきこえる。
鞄と花束を階段に置き、腰から短剣を抜く。
怒りのあまり、短剣を持つ手がブルブル震えていた。
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