シロツメクサと高倉さん。

@zakky1106

第1話 高倉さん

高倉洋次郎(たかくら ようじろう)。

私は三十五年間生きてきて、一度も彼の名前を忘れたことがない。

彼の体の大きさ。鼓膜を突き抜ける荒い声。我を失った焦りの表情。

そしてあのおじさん臭さに全く似合わない、シャンプーの香り。

今でも昨日のことのように鮮明に覚えている。

なぜなら、彼は、高倉洋次郎は、

人殺しだからだ。


私はマキコという名前でミステリー小説を書いている。

やけに難しい言葉を使わず、トリックもわかりやすい為、

ありがたいことに老若男女にうけている。

ある日私が書店でサイン会を開いていると、

マスクをつけ、深く帽子をかぶった女性が、

何も言わず、サインも求めず、裸のままの便箋を置いていった。

私はサイン会中もずっとその手紙のことが気になっていた。

サイン会も終わり書店を離れ近くの喫茶店に寄ることにした。


早く中身を読みたい。

その衝動にかられ、とりあえずメニュー表の一番上にあった

ブラックコーヒーに雑に指をさした。

届いてから気づいた。私、ブラック飲めないや。

しかしそんなことはどうだっていい。

早く中身を見よう。

私はこれを謎の女から受け取った時から、

妙な気持ちで心の中は埋め尽くされていた

小説家ながらこの気持ちはうまく表現できないが、

いわゆる起承転結の『起』だ。

そう。何かが始まる気がしたんだ。

私の勘は結構信用できるもんで、やはりこれは始まりの手紙だった

大きな便箋の中央に二行だけ

『高倉洋次郎は冤罪だ。こまちゃん、お願いね。』

と記されていた。


高倉洋次郎。その名前を見ただけで、トラウマのような

得体の知れない何かが体の中を走り回った。

今思えばその感情は、興奮に似ていたかもしれない。


彼の名前を忘れるわけがない。

高校三年生の時に私たちの小さな町を震撼させた連続殺人事件。

その犯人であり、息子をも殺そうとした凶悪犯。

何年も過ぎた今でもこんなに鮮明に覚えているのはきっと、私と浩子だけ。

なぜなら私たち二人は、息子殺人未遂事件の目撃者だから。

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