第24話 こうじつ
「仮釈放?」
カフェのボックス席で顔をつき合わせながら、俺たちは声をそろえた。芙雪の言う紗原駿の情報に、俺、奈津、璃生で耳を寄せているのだ。
「そう」
芙雪がうなずく。彼女はきょうも、大盛りパスタの山にフォークをぶっ刺して巻き巻きしている。
「受刑者が一定の条件を満たすと、刑期が終わらないうちに刑務所を出られるんだって」
「一定の条件って?」
「受刑態度がいいとか、じゅうぶん反省してるとか、これ以上罪を犯さないとか、そういう感じ」
「ずいぶんあいまいだな……」
璃生があきれた声を出す。たしかに基準としてはだいぶ主観的であいまいな気もするが、紗原駿はその基準を満たして刑期が終わる前に仮釈放されたのだという。
「その仮釈放に時期が、いまから一年前の春」
「っ……」
芙雪の言葉を聞いて、俺はアイスコーヒーをすする息を止めた。くるくる、くるくる、と芙雪の巻くパスタの渦を見つめる。
また一年前の春。
もはや偶然の一致とは思えなかった。悠伽の動画が一年前の四月から五月に撮影されたものだとしたら、それに紗原駿の仮釈放、そして悠伽のあのメッセージの時期がちょうど重なる。これが偶然であるだなんて考えられない。
「トキト、どしたの」
奈津に呼びかけられる。彼女のほうを向くと、奈津はどこかばつが悪そうに横目で俺を見ている。あの線路沿いの道での出来事から、彼女との関係はなんとなくぎこちなくなってしまっていた。
あのときの自分が間違ってしまったのはよくわかっている。そのせいで、俺は奈津の信頼を失おうとしているんだ。彼女がせっかくああ言ってくれたのに、「君がいた」と俺を指差してくれたのに。俺はきっと間違ってしまった。俺はこれまで、そしてこれから先も、いったいいくつのものごとを間違っていくんだろう。
それ以上自分の間違いを突きつけられたくなくて、俺は意を決して言った。
「……実はあの動画、いま撮影されてるものじゃないみたいなんだ」
「どういうこと?」
三人が一様に眉根を寄せる。正しい反応だろう。みんなあの動画の悠伽が、今現在の悠伽の姿だと信じている。
俺は三人に、動画のなかに咲くすずらんの意味を話した。
白くちいさな花が咲く季節を知って、彼女たちはその意味を理解したようだった。もちろんその花は、女子なら部屋で育てていて当たり前、一種のステータス、というわけでもないようだ。
「すずらんには毒があるんだよ」
奈津が言う。「花にも葉っぱにも根っこにも。活けた水にも毒が回って、それを飲んでも危ないんだって」
「毒……」
悠伽の部屋にすずらんがあることに、なにかとくべつな意味があるのかもしれない。奈津の言う「毒」がなんらかの意味を持つのかもしれない。けれど、その深い部分の意味を察することは、いまのところ俺たちにはできなかった。
「この動画の時期と、あの男が仮釈放された時期が重なる、ということね」
芙雪がパスタを巻きながら言う。「けれど、動画がもっと前に撮影された可能性もあるわけでしょ? 季節が四月から五月だということだけで、それが一年前の春なのか、二年前の春なのかはわからないんじゃないかしら」
ちがう、そうじゃない。
それだけじゃないんだ。
その偶然を必然にするほどの事実を、もうひとつ知っている。その事実については、三人にははじめて話すことになる。もう間違えたくない、そんな思いが焦りとなって、心臓を殴りつけているみたいだった。
俺は生唾を飲み込む。
「……メッセージが来たんだ」
「メッセージ?」
俺はそこで、悠伽から受け取ったメッセージのことについて打ち明けた。スマホを取り出して、メッセージアプリを呼び出す。画面に映った文面を読んで、奈津たちの表情は曇った。一年前の四月に悠伽から送られてきていたメッセージと、その一年後に返信された、既読にならないメッセージ。
「初耳なんだけど」
曇った表情のまま、奈津が低い声で言う。「どうして言ってくれなかったの」
「それは……」
奈津への返答に言いよどんで、俺は視線を落とした。
これは俺の失敗の証だ。俺の犯した罪の証だ。すぐに返さなきゃいけなかったのに、俺は言葉を返すことができなかった。そう思うと、なんだか奈津たちに言うのがはばかられたのだ。
「意味わかんないんだけど。あたしたち、四人でハルを捜してるんじゃなかったの?」
「あ、当たり前だろ」
「ちがう、トキトはそうじゃない」
突き放すような声色。
どういうことだよ、と問いかけようとして、しかし言葉を飲み込んだ。奈津はまじろぎもせずに俺をじっと見つめている。見つめ返すと、彼女の深い瞳に吸い込まれてしまいそうだった。
「トキトは『あのころ』に戻ろうとしてるだけなんだよ。いまこの瞬間に、この場所にハルがいることを望んでるんじゃなくて、あたしたちがばらばらになる前のトキト自身に戻りたがってる」
それじゃあまるで、俺がほんとうは悠伽を捜していないみたいじゃないか。悠伽を捜すということをただの口実にしているだけみたいじゃないか。
「そんなわけないだろ」
「じゃあどうして一年前、そのメッセージに返信しなかったの?」
「それは……」
璃生と芙雪が「やめとけ、若名」「ちょっと奈津」と間に入ろうとする。彼女は俺を見据えたまま、きゅっと口許を引き結んでいる。
どうして返信しなかったのか。
それは、悠伽との約束を憶えていなかったから。なんと答えていいかわからなかったから。言い訳みたいな返答ならいくらでも思い浮かんだ。けれど、奈津がいま求めているのはそういう薄っぺらい言い訳なんかではないことはわかっていた。
あのとき俺がメッセージを返していれば、もしかしたら悠伽の居場所をつかめたかもしれないのに。それを俺は踏み外した。いや、踏み出すことさえしなかった。だから失敗したんだ。そしてその失敗を、いまのいままで、奈津たちに隠していた。
「なんか言ってよ、トキト」
彼女の声は震えていたかもしれない。それは怒りだった気もするし、哀しみだった気もするし、またべつの感情だった気もする。やっぱり俺にはわからないことが多すぎる。そして、それを紐解いて分析している余裕もない。悠伽の話をすると奈津が時おり見せる表情は、俺にはどうしてもわからないままだ。
「約束、思い出したの?」
芙雪が訊ねる。俺は目をつぶってゆっくりとかぶりを振った。
「どうして思い出せないの」
奈津が重ねる。俺はなにも言い返せなくなって、生唾を飲み込んだ。
――ねえ、刻都。わたしをちゃんと――。
もしかしたら俺は、悠伽との約束を思い出したくないのかもしれない。彼女と交わした約束を思い出してしまったら、それを果たしてしまったら、あの夜は俺のなかで完全なものになってしまう。なくしたはずのパズルのピースが埋め合わされるように、ひとつの絵が完成してしまうように、記憶のなかで途切れていたあの夜が、俺のなかで完結してしまう。
奈津の言うように、俺はいつでも「あのころ」の自分に戻れるように、あの夜をあいまいなままに、約束を無意識に思い出さないようにしているのかもしれない。
やっぱり俺は、あの日の夜からなにも変われていないんだ。心はこの街をさまよったまま、都合のいい拠り所を捜しているだけなんだ。
「おい若名、さすがに言いすぎだ。刻都は紗原が、その……刺されたのを目の前で見せられて、ショックで記憶を無くしてるんだろ。
「……」
璃生が奈津をなだめる。芙雪も心配そうに奈津を見つめている。奈津は口許を引き結んだまま、俺をにらみつけている。
永遠にも思える時間が過ぎ去った。
そして、
「……ごめん。あたし、帰るね」
奈津がつぶやいて立ち上がり、荷物をまとめて店を出て行ってしまった。残された璃生と芙雪は、困惑したようにたがいに目を合わせる。
いたたまれなくなった俺は、ため息をついて席を立つ。
「刻都」
璃生に呼び止められても、もう振り向くことさえできなかった。
こんな俺を見て、君はなんて言うんだろうか。
奈津のように責めてくれるんだろうか。
そして、そんなところも変わってないねと、哀しい目をして笑うんだろうか。
ぴろろろろろろ。
店の外を歩いているとスマホが鳴った。取り出してみると、ライブハウスの店長からだった。紗原駿捜索に手を貸してくれるということだったので、有益な情報が入ったら連絡をくれるようお願いしておいたのだ。
彼から連絡が入ると言うことは、紗原駿の足取りについてなにかわかったのだろうか。そんな心持ちで電話に出た俺の頭を、店長の言葉は鈍器のように殴りつけてくるかのようだった。
「駿を見つけた」
彼は言った。「クスリで頭やられていまにも死にそうだ。くたばる前にはやく行け」
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