第4章 やくそく

第23話 へんしん

 新しい動画の再生数はあっという間に増えて、翌日見たときには一万回にせまる勢いだった。悠伽の居場所の手がかりを掴もうにも、動画ではあいかわらず彼女がギターを弾いているだけ。深海で朽ち果てた船の色のギターを抱えて、彼女はただその六弦を爪弾いている。

 たくさんのあざやすり傷、切り傷が浮き出た、動画に映る彼女の身体を見て、ネットユーザーたちはさらに色めき立っていた。これほど注目を浴びてしまうと、この動画が削除されるのも時間の問題かもしれない。ただ焦りがつのる。

 いくつかのコメントがついていて、俺はその文言をいたずらにながめた。それらはやっぱり、悠伽をくだらない好奇心で見つめるもの、きなくさい問題を想起して気味悪がるもの、汚らしい欲望の対象にするものばかりだった。名前をつけることのできない真っ黒な感情に充ち満ちて、俺にはそれでもやっぱり、動画とコメントとを交互にながめるくらいしかできることはなかった。

 しかしそのとき、そのいくつかのコメントのなかのひとつが、ふと俺の心のどこかに引っかかる。

『すずらんが咲いてる』

 何気ないような一言だった。コメントの主は、その一文だけで書き込みを終わらせていた。とくべつな意味はないように思える。コメント主はきっと雑談のつもりでここに書いたんだろう。でもどうしてか、そのありふれた花の名前が、俺の意識の深いところに突き刺さったような気がした。

 画面をスクロールさせて、もういちど動画を表示させる。映った部屋の風景には、たしかに花があった。悠伽の座っているソファの後方、棚の天板のうえに、ちいさな白い花が活けられている。ころころと軽快にころがる音を鳴らしそうな、鈴みたいな形をした白い花。

 見憶えのある花ではない。少なくとも、いままで生きてきた二十年間で馴染みのある花ではなかった。俺がただ知らないだけで、女性の部屋にはあってあたりまえの花なんだろうか。あのちいさな白い花が、可視化できない「女子力」の証明、一種のステータスなんだろうか。こんど奈津に訊いてみようか。

 いずれにせよ、どうして俺の意識がこの花の名前に引っかかったのか、自分でも理解できなかった。

 そのコメントにはひとつだけ返信がついていた。なんだか気持ちが落ち着かなくなって、そのスレッドを表示させる。

『ほんとだ。時季じゃないね』

「時季……?」

 花には咲く季節がある、というのはもちろん知っている。桜が咲くのは卒業式の季節だし、向日葵が追いかけるのは真夏の太陽だ。もし秋桜コスモスが冬に咲いたら、花の名前に「秋」という字はつかない。

 でもすずらんの咲く時季は知らない。このコメント主たちの何気ない会話がどうしても気になって、俺はネットで調べてみる。すると、俺の心のざわめきがはっきりと形を現してくる。

 すずらんの咲く時季。

 四月から五月ごろだ。

 いまはまだ三月。肌寒さの残るこの季節に、すずらんが咲いていることはない。コメント主たちが言いたいのはそういうことだ。じゃあ、どうして。どうして悠伽の部屋で、すずらんが咲いているんだ?

 動画が公開されたのは、すずらんが咲くはずのない三月。動画のなかでは、四月から五月に咲くすずらんが、ちいさな白い花をつけている。それはつまり……。

「時季が、ちがう……?」

 動画が撮影された時期と、動画サイトに公開された今現在とでは、時間のズレがあるということ。悠伽が映っている動画のなかと、俺がそれを観ているいまとでは、季節がすくなくともしているということ。

 なんだかとてつもなく不安になって、ほかのコメントも手当たりしだい読んでみる。しかしこのすずらんの話よりほかに、有用なコメントは見つけられなかった。

 スマホを机に置き、天井を見つめながら考える。

 不自然だ。

 悠伽本人、もしくは釈放された紗原駿がこの動画を撮影し、投稿しているとして、どうしてわざわざ一年前の動画をいまになって投稿する必要があるのだろう。

 それに、そもそも「紗原駿が関わっている」という仮説も成り立たなくなる。彼が受けた懲役の刑期は、ライブハウスの店長いわく六年間だ。そして服役したのはいまからちょうど六年前。動画が撮影されたのが一年前の四月だとすると、彼はまだ服役中だ。つじつまが合わない。

 一年前の……四月?

「……っ」

 ふと気にかかったことがあって、俺はまたスマホを取り上げた。メッセージアプリを読み込み、それを表示させる。

 それは、俺が思い出すことのできない、取り戻すことのできない、あの夜にまつわるメッセージ。悠伽の存在を証明する、彼女とのつながりを示すメッセージ。

 そしてなにより、俺の「失敗」を証明するメッセージだ。これに返信することのできなかった俺の心は、いまも彼女の影を求めてこの街をさまよっていた。

『約束、憶えてる?』

 俺はその文章のそばに表示された数字を見た。

 受信日時だ。

「一年前の……四月」

 俺は思わず言葉をこぼした。これは偶然なんだろうか。悠伽は俺に、一年前の四月にメッセージを送信している。そして、この動画が撮影されたのも、おそらく四月ごろだ。これはただの偶然の一致なんだろうか。

 俺はスマホを握りなおした。

 このメッセージの向こうで、彼女はいったいどんな表情をしているんだろうか。笑っているんだろうか。泣いているんだろうか。なにを思っているんだろうか。一年間このメッセージを既読スルーしてしまった俺を、どう思っているんだろうか。

 このメッセージに返信できなかったことを、俺はずっと気にかかっていた。これは俺の失敗の証だ。俺の犯した罪の証だ。

 まるで贖罪をするかのように、入力欄にメッセージを打ち込んでいく。

 もう手遅れかもしれない。けれど、意を決して送信ボタンをタップする。

『憶えてないんだ。もういちど、教えてくれないか』

 わかってはいた。わかってはいたけれど、すぐに既読がつくことはなかった。それでも、俺はスマホの画面を見つめ続けた。この画面の向こうに、このメッセージの届く先に、きっと彼女がいると信じて疑わなかった。

 でも、時間は無情に過ぎていく。しばらく待ってみても、俺のメッセージが読まれることはなかった。

「ダメか……」

 しびれを切らしてスマホをテーブルのうえに投げ出し、ベッドに乱暴に倒れ込む。煌々と光る部屋の明かりを見つめながら、俺は深い思考に沈む。

 なんど考えてもわからなかった。どうして今現在の時間と動画のなかの時間がずれているんだろう。悠伽がこんな動画をネットにあげているのはどうしてなんだろう。そしていま、彼女はどこにいるんだろう。どれだけ考えても、俺にはわからない。

 そのときだった。

 ぴろろろろろ。

「――っ!」

 スマホが鳴った。俺の心臓は一気に跳ね上がった。

 電話だ。

 ベッドから飛び起きて、あわてて手に取る。名前も見ずに、通話ボタンを押して耳に寄せる。

「もしもし?」

 スマホの筐体から声が聞こえる。それを聞いて、口から思わず声がまろび出る。

「……なんだ、芙雪か」

「なんだ、とはずいぶんなごあいさつね。私じゃないほうがよかった?」

 通話口の向こうから、芙雪の不機嫌そうな声が聞こえた。望んでいた相手ではなかったとはいえ、さすがに失礼だったなと反省。

「ごめんごめん。そういう意味じゃないんだ」

「せっかく耳寄りな情報を仕入れてきてあげたのに」

 芙雪にしてはめずらしい遠回しな物言いに、俺は首をかしげる。

「情報?」

 そんな俺の訝しげな口調を感じ取ったのか、芙雪は得意げに言った。

「紗原駿に関する、ね。あの男の足取りをつかんだの」

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