第22話 つながり
線路沿いの路地をしばらく歩いた。
なんとなく話題を切り出しづらくなって、奈津のほうも新しい話題を持ち出すのは控えているようで、そのふわふわした沈黙に甘えてしまって、俺は黙ったまま脚を動かした。
赤信号を前にして、奈津は俺のとなりにならんで待った。彼女はスマホを取り出し、画面を見つめはじめる。悪気なく思わずのぞきこんでしまい、画面にならんだ画像やらが目に入ってしまった。あわてて身を引くが、奈津はそれに気づく。
「ごめん」
謝ると、奈津はなんでもないように首を振る。
「べつにいいよ。見られて恥ずかしいもんじゃないし」
画面には写真がならんでいたように見えた。あれがいわゆるSNSというものか。
「ミクシーってやつ?」
そう言うと、奈津はお腹を抱えてげらげら笑った。
「懐かしっ! トキトいつの時代生きてるのさ。これはインスタ」
「……ラーメンの話?」
「インスタントじゃないよ。インスタグラム」ようわからん。
女子はいそがしいんだよ、とこれまたわけのわからん結論を残して、奈津はふたたびスマホに没頭しはじめた。まあ奈津がこういう情報収集をしてくれるから、俺たちもすぐに悠伽の動画を見つけられるんだろうけど。俺も手持ち無沙汰になり、用事もないのにスマホを開く。当然スマホで即席めんをつくったりはしないし、そもそもほとんど使う機会がないので、画面にはネットブラウザが立ち上がったままだった。例の動画サイトだ。悠伽の動画を見て、それを開いたままだったのだ。
しかしそこで、俺はとある異変に気づく。
「あっ……」
思わず声がまろび出た。その奇妙な声を不審に思った奈津も、俺のスマホを見て「うそ」と言った。
手許のスマホの動画は、真っ黒にブラックアウトしている。
そこに浮かび上がる、無機質な文字列。
『この動画は再生できません』
削除されたのだ。
考えてみれば当然の話だ。きわどい女性の姿が映っていれば目をつけられるし、その身体にあざや傷があればなにかしらのきなくさい問題を疑われてもしかたがない。それに、ここ最近ではネットでも話題になっていた。運営側で削除という判断になったのだろう。
「それ、いつの?」
「みっつめ。一番新しいやつ」
奈津がすばやくスマホを操作して、すぐに肩を落とす。
「……だめ、ふたつめも削除されてる」
「まじか……」
俺はそのブラックアウトした画面を見つめながら、また焦りのようなものを感じていた。
悠伽の動画が削除された。
それはつまり、悠伽へとつながる手がかりがひとつずつ消えてしまった、ということを意味していた。悠伽自身の捜索も、紗原駿の捜索も進展を見せないまま、ただ手がかりだけが減っていく。
「いちばんさいしょのは残ってる」
奈津に言われて、俺も自分のスマホの画面にそれを呼び出した。悠伽の投稿したいちばんさいしょの動画『これは、あなたへの』。この動画だけは消されずに残っている。深海に沈んでいくなか、一縷の望みの命綱をつかんだみたいに思えた。どす黒い海水に満たされた肺に空気を求めるように、俺は動画の「ユーザー登録」ボタンをタップする。これがなにになるかはわからない。けれど、悠伽につながる多くの手がかりが消えてしまったいま、「ユーザー登録済み」という赤いアイコンだけが彼女とのつながりを証明してくれているかのようだった。
「あっ」
こんどは奈津がするどい声を出して、片手で口許を押さえた。持っているスマホを震える手で操作する。
「どうした?」
答える代わりに、彼女はスマホの画面を俺に向けた。そこにはもう見慣れた動画投稿サイトが表示されている。読み込みのあと、これも見慣れた部屋のようすが画面に映し出される。
「また……」
俺は歯噛みして、奈津のスマホをのぞき込んだ。このタイミングで、また新しい動画が投稿されたのだ。彼女も頭をならべて画面に視線を落とす。動画が再生時間のカウントをはじめた。しかし、いままでの動画とおなじように、部屋のなかのようすに変化はない。
「あたしね」
画面を見ながら奈津が言う。「さっきは『うれしい』なんて言ったけれど、ハル本人がこんなことしてるなんて、やっぱり、我慢できない。あの子がなんの目的で、なにを伝えたくてやってるのか、わからない。けれど、きっとそれは……きれいなものじゃない、と思う」
言葉を選ぶように、言いようのない感情を言葉でしぼり出すように、奈津は言った。途切れとぎれの言葉に引きずり出させられるみたいに、俺は璃生が言っていたことを思い出す。
――どうするつもりだ。
――だから、あいつのこと、これからもっともっと知ってやりたい。なあ、刻都。おまえはそうじゃないのか?
どうすればいいんだ。悠伽がどうしてこんなことをしているのか、知ってあげるべきなんだろう。悠伽が伝えたいことを、受け止めてあげるべきなんだろう。
けれど、もしそれが、奈津の言うような「きれいじゃないもの」だったら……俺ははたして、それでも受け止めてあげられるんだろうか。
となりで奈津が息を飲んだのがわかった。スマホを見ると、傷だらけの女性がギターを抱えて映っていた。
その傷やあざが――ひどくなっている。
直視するのがはばかられるほどの、赤。青。
「これ、やっぱりハルなんでしょ? どうすればいいのかな」
縋るような奈津の声。救いを求めるように、答えを手繰るように、彼女は俺の洋服の袖を掴む。かん、かん、かん、と近くの踏切が降りはじめる。その音は、俺の心臓を無情に打ち付けているみたいで、俺は胸が苦しくなって息ができなくなる。
どうすればいいのか、なんて、俺なんかにわかるわけがなかった。
「ねえ、刻都、どうしよう、あたしたち、ハルになにをしてあげるべき――」
「俺だってわかんねえんだよっ!」
気づいたときには大声を出していた。道ゆくひとたちから怪訝な顔を向けられる。俺の目の前では、決まり悪そうに奈津がうつむいた。
「……そうだよね、ごめん」
「……」
彼女だって俺とおなじ気持ちなのに、俺も彼女に謝らなきゃいけないはずなのに、それ以上なにも言うことができなかった。
どおっと大きな音を立てて列車が通過した。彼女のブラウンの髪が乱暴な風になぶられる。夕陽に縁取られた顔に、ふっとやわらかな笑顔を浮かべて、彼女はなにかを言った。けれど、俺なんかにその言葉は受け止められなかった。電車の音に掻き消えたその声は、俺の耳には届かないまま、街の夕闇に融け出して消えていく。
奈津は俺を追い越して、線路沿いの道を歩き去っていく。彼女の言葉を受け止めることのできなかった俺は、夕闇に紛れていく彼女の背中を、ただ見つめるしかできなかった。
なにやってんだろう。こんなんなら、璃生の言うようにみんな俺を軽蔑してくれればいい。心の底から罵ってくれればいい。自分がいやになって、思わず街を覆い尽くすほの暗い闇に吸い込まれそうになる。もういっそのこと吸い込まれてしまえばいいのに。それでも吸い込んではくれないから、俺は確かにここに立ち尽くしたままだから、俺にはただ、自分の足でふたたび歩き出すしかなかった。
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