第18話 しるし

 楽器店からの帰りの電車、俺たちはしばらく無言だった。

 あの動画のなかで裸の女性が弾いていたギター、『Martin&Co.』は、彼女の兄・紗原駿が愛用していた自慢のギターだった。彼が傷害罪で収監されているはずのいま、そのギターを悠伽が持っているのだろう。

 他人の空似でも勘違いでもなんでもない、あの裸でギターを弾く動画の女性は、悠伽だったのだ。

 つまり、なんらかの目的で、彼女はいまどこかで、自分の服を脱いで、兄のギターを弾きながら動画を撮影していることになる。

 じゃあ。

 その「なんらかの理由」って、いったいなんなんだ?

 あの日から六年間さまよっていた、彼女を捜し続けていた心が、とつぜん確かな温度を持ちはじめたのを感じた。その理由を紐解ければ、悠伽の足取りをたどることができるかもしれない。彼女の居場所がわかるかもしれない。

 奈津や芙雪には、メッセージで伝えておいた。思いもよらない行動をしている人物が悠伽本人だと知って、ふたりはどんなことを胸に抱いたんだろう。

「刻都」

 となりからふいに声をかけられたので、俺は璃生をほうへ顔だけ向ける。すると彼は、俺をほうを見返すことなくこんなことを言う。

「どうするつもりだ」

 どうするつもり。

「……悠伽を、見つけたら?」

「そうだ」彼はちいさくうなずく。「紗原を見つけたら、刻都はどうするつもりなんだ」

 黙って考える。悠伽の手がかりを見つけて、彼女をついに見つけたとして、俺はどうするつもりなんだろう。

「……決まってんだろ。へんなことはもうやめさせる」

 そうだ。あんな妙な動画を投稿して、全世界に自分の身体を見せびらかしているんだ。見過ごせるわけはない。

 しかし、璃生はまたちいさく首を振った。こんどは横だ。彼は左右に首を振って、俺の言った言葉が彼の求めている答えじゃないことを示した。

「そのあとの話だよ」

 そのあと。

 悠伽を見つけて、妙な動画をやめさせて、それから……そのあとの話。

 俺は、どうするんだろう。六年間のあいだに積もり積もった思い出話にでも花を咲かせるんだろうか。彼女の近況でも訊くんだろうか。あのころの話でもするんだろうか。悠伽があの日を境に、俺たちの前から姿を消した理由でも問うんだろうか。そして、果たせなかったあの日の約束を、もういちど確かめて、叶えようとしてあげるんだろうか。

「おれは」璃生が言った。「悔しかったんだ。あの日あのとき、紗原があんなことになってるってはじめて知って、それまであいつのことをわかってやれてなかった自分が、悔しかったんだ。もっとはやく気づいてやれてればこんなふうにはならなかったかもしれないのに、そうできなかった自分に腹が立ってたんだ」

 酸みたいな味のする乾いたつばを飲み込んだ。璃生の口からとつぜん放たれた言葉に、俺は戸惑っていた。

「だから、もうこれ以上、俺はあいつにこんなことさせたりしない。いやな思いをさせたりしない。紗原のこと、なんにも知らないって、そう知ることができたんだ。だから、あいつのこと、これからもっともっと知ってやりたい。なあ、刻都。おまえはそうじゃないのか?」

「俺は……」

 璃生を見つめる。眼鏡の奥の理知的な瞳に、するどい熱が宿っているように見えた。こんな璃生、いままで見たことなかった。めずらしく熱のこもった物言いに、俺はすくなからず動揺していた。

 電車はトンネルのなかに突っ込む。車窓の風景が一気に暗転して、黒く塗りつぶされた景色のなかに俺たちふたりの姿が浮かび上がった。いたたまれなさに、手許のペットボトルの水をあおった。

「刻都。おまえさ」

「……?」

「紗原と付き合ってたのか?」

「ぶふっ!」

 思わず吹き出してしまう。璃生からとつぜんそんな話を振られるなんて思ってもいなくて、あわててその場を取り繕おうとする。

「なにを言うんだ璃生、急にへんなこと言うな――」

「まじめに訊いてる」

 トンネルから出た。俺たちの見つめる車窓には、真っ赤な夕陽が映し出された。街は夕焼けに染まり、ところどころのビルが発熱するフィラメントみたいなオレンジ色に輝いている。

 そして、帰りの電車に乗ってからはじめて、彼は俺を見据えた。

「……」

 璃生の質問に、俺は答えられないでいた。俺と悠伽は、付き合っていたのか? はたから見ればそう映るようなこともあったかもしれない。よくいっしょにいたし、ふたりで出かけることもあったけれど、それを「付き合っている」と表現するには、あのころの俺はあまりにも覚悟がなかった。

 じゃあ。

 悠伽はどうだったんだろう。

 彼女は俺のことを、どう思っていたんだろう。

「……ない、と思う」

 璃生の質問に答えなければならなくて、俺は苦し紛れにそう言った。「付き合ってない」

 すると彼は、ただ一言「そうか」と言った。そのあとまたしばらくの沈黙が降りる。車窓の街は淡墨うすずみを流し込んだかのようにほのかに暗くなりはじめていた。車内アナウンスが流れて、次の停車駅が告げられる。璃生の降りる駅だった。彼は身支度を整えながら、椅子から立ち上がり、そして去り際にこう言った。

「ならよかった。もし付き合ってたんだとしたら、おれは心の底から、刻都を軽蔑していたところだ」

 駅についてドアが開き、いっぺんに乗客が流れ出た。その人ごみのなかへ、璃生の姿はすぐに見えなくなってしまった。



 駅で人ごみを吐きだして、それとおなじくらいの人数の乗客をまた吸い込んで、ふたたび電車は動きだした。俺はスマホを取り出して、メッセージアプリを起動する。いまから一年前に受け取ったメッセージ。俺が返すことのできなかったメッセージ。

『約束、覚えてる?』

 いろんなことを間違えて、いろんなことができなくて、俺はここまで来てしまった。璃生の言うように、もっとはやく気づいていれば、もっとはやく知ろうとしていれば、彼女は俺の目の前から姿を消すことはなかったのかもしれない。それはきっと、俺の傲慢だったんだ。

 でももう、それを取り戻すことはできない。

 じゃあ、ついに悠伽を見つけられたとして、そのあとどうするんだ?

 ぴろん。

 スマホの通知音が鳴って、画面に送り主の名前が表示される。もうすっかり馴染んだ名前だ。

このあいだは『やっほー』なんてのん気なメッセージを送ってきやがったが、今回はすぐに本題に入るらしく、回りくどいあいさつなどなかった。

 奈津から送られてきたのは、また動画のURLだった。

『動画観てみて』

 奈津から追加のメッセージ。言われるまでもなく、俺は送られてきたURLをタップする。やはり例の動画サイトだった。動画の読み込みをしているあいだに、動画の概要欄に目をとおす。動画のタイトルは無題だった。しかしそのほかに、俺はひとつの違和感に思い当たった。

 アカウントが違う?

 以前アップされた動画『これは、あなたへの』とは、使われているアカウントが違うようだった。どうしてわざわざ違うアカウントをつくったのかはわからないが、しばらくの読み込みのあと、画面に流れたのはやはり見覚えのあるあの部屋だった。部屋にはだれもいない。

 ぴろん。

 またメッセージが表示される。それは、ふだんの奈津の雰囲気から想像できない、焦りのにじんだ文章だった。

『なんか変。いやな予感がする』

 動画の女性が悠伽で間違いないだろうということは、すでに奈津に伝えてある。彼女も気持ちが逸るのだ。六年前まではずっといっしょにいた友だちがどうしてこんなことをしているのか、理解が追いつかないのだ。

 俺はシークバーを6:00の直前まで移動させた。するとやはり、それまでだれも映っていなかった部屋にすぐに人影が現れた。肌色の人物。ギターを抱えている。深海で朽ちた沈没船みたいな色をした、夢破れた男のギター。坂道を転がり落ちるように、彼女の弾くギターがぽろぽろと音を奏ではじめた。そして俺はまた、見過ごすことのできない大きな「しるし」を見つけてしまうことになる。

「……あざ」

 動画の彼女の身体には、ところどころ青あざができていた。以前見た動画のときにはなかったものだ。腕、脚、脇腹、おしり……まるで見るものの意識を吸い込む闇のような、俺たちにかけられた呪いの「しるし」のようなその青黒い斑点は、俺の目をとらえて離さない。

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