第13話 ねがい

 年が明けた。

 俺たち「メルロウ」のメンバー五人は、ちかくの神社に初詣に行くことにした。時間のちょうどくらいに集合場所に着くと、そこには璃生ひとりがいた。

「おう、アキオ」

 声をかけると、彼は右手をあげて応える。

「今年もよろしく」

「ああ。女子陣は?」

「まだ来てない」

 あたりを見渡すと、境内はたくさんのひとで溢れかえっていた。しかし悠伽たちの姿は見えない。「さみぃ。まったく、こんな寒いなか人を待たせんなよな」とぼやく璃生の息が白い。俺はすり合わせた両手に息を吐きかけながら、じっと三人を待った。そのあいだ、俺は迷っていた。

 璃生に駿さんの件を話そうか。

 しばらく姿を見ていなかった彼が、先日俺の目の前に現れた。そのようすはなんだかいつもと違かった。俺の思い違いかもしれないし、杞憂かもしれない。だけれども、しずかにギターの音に耳を傾ける彼の表情は、なんだか俺の胸をざわめかせたのだ。

 少なくとも、悠伽のまえではまだ話さない方がいい気がした。

「どうした、トキト」

 璃生が横目で見てくる。「むっつり黙って、なんかあったのか」

「え? あ、その、実は――」

「お待たせっ!」

 とつぜん大声がした。奈津の声だ。いよいよ女子陣三名のご着到だが、ちょっとタイミングが微妙だ……そう思いながら振り返り、俺は思わず息を飲んだ。

「おお……」

 璃生もとなりであほみたいな声を上げる。その反応に気を良くした奈津が、得意げに笑う。

「どう、似合うでしょ?」

 遅れて来た女子たち三人は、艶やかな和装姿だった。悠伽は華やかな桜色の花柄、奈津は爽やかな青いツバメ柄、芙雪のもはグレー地に蝶が舞っている。悠伽と芙雪は長い髪を後ろでまとめていて、がらりと雰囲気が違う。

「やっぱ振袖はいいなあ」

「え、ちがうだろアキオ。浴衣じゃねえの」

 口々に言う俺たちに、奈津が「どっちもちがうよ、これは小紋こもんっていうの。もう、わかってないなあ男子は」と文句を垂れる。芙雪は蔑むような目でにらみつけてくる。それらの違いなんて正直まったくわからないが、三人がそれぞれとても似合ってるのは事実だった。

「……」

 ふと、悠伽が一点を見つめてぼおっとしているのに気づいた。こういうとき彼女なら、「ねえトキト、かわいいかな?」と訊いて俺の反応を楽しみそうなものなのに。すこしして俺の視線に気づいた彼女は、取り繕うように笑顔を浮かべた。どうしたんだろう。ようすのおかしい兄と、いつもとちがう妹。悪い違和感が心のなかにとげのように引っかかりながらも、俺はその話に触れられないでいた。

 五人そろって本殿へ向かう。参拝客であふれている境内はたいへんにぎやかだった。賽銭箱のまえには長い列ができていて、俺たちは順番が回ってくるまで無駄話をして待った。年のはじめに叶えたい願いがみなさんたくさんあるようで、順番が回ってくるのにまたけっこうな時間がかかった。本殿のまえで五人横一列にならんで、おなじタイミングでお金を投げ入れ、おなじタイミングで手を合わせた。願いごとまでおなじだったかどうかはわからない。

「トキトはなにお願いしたの〜?」

 奈津に訊かれて、俺はほおを掻いた。なんだか気恥ずかしくて「それは……」と言葉をにごす。苦しまぎれに悠伽のほうを見ると、「私も聞きたい」とでも言いたげないたずらな笑みを向けている。くそ、逃げ場がない。

「べつになんでもねえよ」

「あ、ごまかした」

 いさめるようにほおを膨らませる悠伽。

「お金持ちになれますように、だよ」

「働け」

「あとイケメンになれますように」

「諦めなさい」

「おまえらうるせえ!」

 奈津と芙雪が身も蓋もない神の声を代弁するので、俺は年明け早々人生の不条理に嘆くことになる。

 屋台を見て回るのにもひと苦労だった。芙雪が平然とした顔で大量に食べものを買い込み平然とした顔で唐揚げやら綿あめやらにかぶりついているかたわら、芙雪が持ちきれない焼きそばやらお好み焼きやらを璃生が持たされて困っている。一方の奈津は金魚すくいとか射的とかに興味がおありのようで、悠伽の手を引いて境内を駆け回っている。「走るとあぶないぞー」と声をかけると、「トキトもおいでよ!」と奈津が叫んだ。ひとの言うことなんも聞いてねえじゃねえか、と思いつつも、奈津のとなりで悠伽が微笑むので、しかたなくついていくことにする。

「おい、トキト!」

「なに、アキオ」

「おまえも持つの手伝えよっ」

「アキオ、焼きそば」

「くそっ、わかったフユキ、わかったから足蹴るのやめろっ」

 俺は苦笑いしながら、奈津と悠伽のもとへ行く。さっきは走るなと言っておきながら自分が小走りになっているのに気づいて、俺はすこし笑ってしまう。

「どうしたの?」

「ん、なんでもない」

 悠伽の問いかけに俺は首を振った。ちょっとしたことを気にかけてくれる悠伽が、どこかこそばゆかった。

「ていッ」

「いでっ!」

 とつぜん奈津にみぞおちを殴られて、俺は思わず声をあげた。

「なんだよっ?」

「にやけてんじゃんトキト、気持ち悪!」

「なんだとーっ?」

 いがみ合う俺と奈津を見て、悠伽がまた「ふふふ」と笑った、そのときだった。

「きゃっ」

 みじかい悲鳴が聞こえた。振り向くと、悠伽が地面に倒れこんでいるのが見えた。

「悠伽っ!」

 いそいで駆け寄る。奈津や璃生たちも驚いた表情で走り寄った。悠伽は両脚を投げ出すようにして、地面に左手をついて膝をさすっている。

「だいじょぶっ?」

 驚きを滲ませる奈津の問いに、悠伽は首を振って答えた。

「ごめん、だいじょうぶだよ。石畳に脚を取られたの」

 奈津は悠伽の小紋をまくり、彼女の脚を見た。

「すりむいてるね」

 彼女がさすっていた右ひざには、赤く血が滲んでいる。転んだときにすったのだろう。あまり大きな外傷ではないが、はやめに洗って消毒しておいたほうがよさそうだ。

「歩けそう?」

「うん」

「青あざもできてるし」

「……っ」

 奈津の言葉に、悠伽は予想外の反応を見せた。彼女はまくっていた小紋を戻してさっとあざを隠したように思えた。奈津もびっくりして言う。

「着物、汚れちゃうよ」

「だいじょうぶ」

 悠伽はみじかく言って立ち上がった。足取りはしっかりしていて、すり傷以外は問題なさそうだった。それでも念を押してか、奈津が彼女の身体を支えている。両手いっぱいに食べものを抱えていた芙雪も、それを璃生に押し付けて奈津の反対側から悠伽に肩を貸す。悠伽は「だいじょうぶだよ。もう、ふたりとも大げさなんだから」と苦笑いしている。璃生も心配そうに「無理すんなよ」と声をかけている。そんななか、俺は悠伽の脚から目を離せない。

 ……青あざ。

 俺もそれを見た。

 すり傷ができたのとおなじ右脚のふくらはぎだ。

 悠伽が転んでから一分とたっていない。

 こんな短時間のあいだに、青あざなんてできるのか?

 いや、詳しいことはよくわからない。もしかしたら一、二分でできるものなのかもしれないし、仮に時間のたったあざだとしても、どこかでまた転んだだけなのかもしれない。それなのに、俺の胸はざわめいてしかたがない。どうしてだろう。どうして悠伽のあの青あざが、なにか不吉なしるしのように思えてしまうんだろう。

「……」

 俺は悪い違和感を振り払うように、いそいで悠伽たちの許へ駆け寄った。

 ――この五人がずっといっしょにいられますように。

 ――あと、駿さんの音楽をみんなが聴いてくれますように。

 俺の願いは悪い違和感とまざり合い、藍色の冬空に融けて消えた。

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