第11話 ゆめ
それから、駿さんの音楽講座がはじまった。彼は俺たちにいろいろなことを教えてくれた。演奏のテクニックはもちろん、ステージ上でのパフォーマンス、演りやすい
考えてきた曲のフレーズを、駿さんのギターを借りて弾くのが好きだった。そこそこ名前が知られてきたころ、そのころのバイト代を奮発して高価なギターを買ったらしい。それ以降はしばらく塩水が主食の生活となったというが、彼の腕に抱えられたギターは神々しい光を放っていた。ウン十万はするというその楽器を俺はびくびくしながら、それでも心を震わせながら弾かせてもらった。いつか自分でもこんなギターを買って、熱い音楽を響かせてみたい……そう思っていた。
俺がそう言うと、ははは、と駿さんは苦笑いをする。
「そんないいもんじゃねえぞ」
「どうしてですか?」
ふと駿さんの表情に差した陰の気配に、俺は吸い寄せられるように訊ねる。
「バンドなんてもんはな、チケット売って客集めて、ただ曲を演ってるだけじゃ続かねえんだ。ましてやこんなしょぼいハコじゃあなおさらだ」
作業中のライブハウスのスタッフが「しょぼくて悪かったな」と言って駿さんになにかを放り投げた。楽器をつなぐ
「デビューしてCD出して、それが売れなきゃだめなんだ。いつまでもこんなとこでくすぶってたら、遊びでやってんのと変わんねえ。オレはそんなまんまで終わりたくねえ」
「……」
あいかわらず熱い語りを繰り広げる駿さんを見つめながら、俺の心はなんだか落ち着かなかった。駿さんのようすが、いつもと違かったからだ。すこしおかしい。なにか思いつめている口調に、俺は思わず訊ねる。
「駿さん?」
彼は答えない。すると、遠くから俺たちのようすを見ていたらしい悠伽が、彼に声をかける。
「お兄ちゃん、またオーディション落ちたの?」
それを聞いた駿さんの肩が、ぴくりと震えたように見えた。ややあって、彼は落ち着いた口調で言う。
「……悠伽。『また』とか言うなよ。手厳しいなあ」
「……ごめんなさい」
悠伽の言葉に、駿さんは穏やかに首を振る。
「いや、謝らなくていい。オレも焦ってたんだ。親父とおふくろから『専門卒業しても結果が出なかったら音楽はあきらめる』なんて約束させられて、焦ってたんだよ、ごめん」
知らなかった。彼は音楽系の専門学校に通っていて、そこは二年制だったはずだ。そして駿さんは今年で二年生。つまり、今年中に結果が出なければ、彼は志してきた音楽をあきらめなければならない。
「今回は自信があった。手応えがあった。この曲ならいけると思ったんだけどな。だめだった。オレにはもう音楽しかねえのに」
俺は思わずみじろぎをする。右手がギターの弦に触れて、ぴいん、と張り詰めた高音が鳴り響いた。独り言みたいな口調の彼の嘆きに、彼の高価なギターが共鳴しているみたいだった。
「まあ、でもよ」
取り繕って絞り出すような駿さんの明るい声に、俺と悠伽は落としていた視線を上げる。
「オレはあきらめちゃいねえ。おまえらのレッスンだって続けるよ。オレには音楽しかねえんだ、最後までかっこ悪くあがいてみせるさ」
続きはまたこんどな、駿さんはそう言って、腰をあげて行ってしまう。俺は不安になって悠伽に視線を向ける。しかし彼女は、去っていく兄の背中をしばらく見つめたあと、俺の顔を見て力なく首を振った。
そして、しばらく駿さんの姿を見ない日が続いた。
俺たち五人はあいかわらず集まって音楽をやっていた。いろんな
「わかんないの。お兄ちゃんと連絡つかない。最近、自分の部屋にも帰ってないらしくて」
悠伽は不安を隠せない声でつぶやく。駿さんは都内のアパートで一人暮らしをしているらしい。
「電話も出てくれないし、メッセージも既読にならない」
「どうしたんだろ……」
「心配だな……」
そんな言葉を口々に、俺たちはため息をついた。俺はふと、このまえ見た彼の表情と、そこに差していた翳を思い出した。そして、彼の語った言葉を思い起こす。
――この曲ならいけると思ったんだけどな。だめだった。オレにはもう音楽しかねえのに。
自分には音楽しかない、そう言った人間がもうすぐその音楽を失おうとしている。音楽を失ったその先にはなにがあるのか、その人間はどうなってしまうんだろうか、まだ中学生だった俺にはあまりにも重すぎて、理解するには俺はあまりにも未熟だった。
「そういえば最近、スカラバティズ見なくね?」
「ああ、たしかに」
俺たちから少し離れたところにある、休憩スペースのソファに座って、バンドマンふたりの会話が聞こえてきた。駿さんの率いているバンドの話だ。リーダーの駿さんの不在と重なり、バンドの出演もここ半月ラインアップされていない。
「なんかあったのかな」
「解散したとか」
「まあまあ人気あったっしょ」
「あのレベル、アマしか通用しねえだろ」
「言えてる」
なんか飲むか、俺バドワイザー、そう言えば最近いいバンド見つけてさ、そのあたりで俺の意識は会話から飛んでいた。駿さんのウン十万するギターの弦が、ぴいぃん、と頭のなかで鳴り響いた。
「……」
俺たちのなかのだれも、言葉を発することができなかった。
しびれを切らしたように、悠伽が立ち上がる。
「ハルカ」
俺が声をかけると、悠伽はするどく答えた。
「ごめん、わたし、帰るね」
自分の荷物をひっつかんで、彼女は出口へ駆けて行った。俺は荷物も持たず彼女のあとを追おうとする。
「トキトっ」
「待って!」
奈津と芙雪に呼び止められて、璃生に腕をつかまれて、投げかけた脚をそれ以上動かすことができなくなった。追いかけてなにになったんだろう。どんな言葉をかけてあげればよかったんだろう。このときの俺にできることは、走り去っていく彼女の後ろ姿を見つめることしかなかったのに。
鈍色をした東京の冬空には、身を切り裂くような冷たい風が吹いていた。
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