第4話 どうが
同窓会はつつがなくお開きとなって、俺はようやく帰途につくことができた。頭にこびりつく同級生たちの騒ぎ声を振り払うように頭を揺らす。パリピという人種が集まるとあんな恐ろしいことになるのか、と俺は身震いした。グラスを倒して酒をぶちまけたり、料理を運ぶ店員に脈絡なくからんだり……店側も心なしか迷惑そうだった。ああいうバイトも大変そうだ。
なんて、ものごとを否定的に考えてしまう原因が自分のなかにあることも、なんとなくわかっていた。パリピという人種が悪いわけではない。彼らのように自分の人生を謳歌できない自分を棚に上げて、ただひがんでいるだけ。
駅はひとでごった返していた。来た電車に乗る。電車に乗れば、かってに俺を最寄り駅まで運んでくれる。スマホを取り出して時計を見て、けっこう遅くなってしまったな、と思った。帰ってもとくにやることはないんだけど、せわしない街のなかに紛れると、なんとなく気が
遅い時間にもかかわらず電車はやたら混み合っていた。隣どうし気を遣いあう窮屈なシートに座らず、不安定に揺られる吊革に掴まることもなく、停車駅で乗降客に道を譲る必要もない、ドアの横という絶好のポジションに立ちながら、俺はスマホの画面を眺めた。
アドレス帳には『若名奈津』という見知った名前が浮かんでいる。
けっきょくまた、強引に押し切られる形で連絡先を交換させられてしまった。いまさら奈津に連絡を取ることなんてないだろうに。そう言うと彼女に、「うわ……そんなこと言うから友だちなくすんだよ……」と引かれた。やかましいわ。
俺の連絡先が奈津のスマホに入ったときの、彼女の勝ち誇ったような笑顔が浮かぶ。昔から彼女は笑顔の種類が多かった。からかうときのいたずらな笑顔、気分的にマウントを取ったときの得意げな笑顔、そして夏の陽だまりのような笑顔。いそがしいやつだな、と憐れむ反面、うらやましいとも思ってしまう。あんなふうに笑えたら、俺の人生も変わったんだろうか。
……いや、こんなふうに変わらずにすんだんだろうか。
ヴヴヴ。
「……っ」
スマホが震えて、俺の意識は電車のなかに引き戻される。見ると、見知った名前からメッセージが届いていた。奈津からだ。
『やっほー、トキト。こちら奈津です』
知ってるよ。
『既読スルーしたら死刑だから』
メッセージの通知が届く。しかし、俺は心のなかでほくそ笑んだ。いまのスマホは、新着メッセージの通知を受け取るときに、メッセージを開封することなくその内容を読むことができるのだ。つまり内容を把握しながらも相手に既読にならずに、未読のままでスルーすることができる。この六年間のコミュ障思考が編み出した高等技術、未読スルーだ! ヴヴヴ。『未読スルーは
『わかったよ。マックで思う存分喰え』
『安い男だこと』言い方……。『これだからコミュ障フリーターは』コミュ障関係ないだろ!
電車が途中の停車駅に着き、乗客がどっと流れ込んできた。最寄り駅まではもうしばらくある。俺はスマホが目の前の女性の身体に触れないように注意しながら、ふたたび画面に視線を落とす。
『あのさ』
奈津からのメッセージは続いていた。目的地までの気慰みに付き合ってやることにする。
『なに』
『さっきは機会が、というか切り出すタイミングがなくて言わなかったんだけどさ』
『?』
奈津にはめずらしく歯切れの悪い物言いに、俺は首をかしげる。なんだ、どうしたんだ?
『これ、観てくれない?』
そのメッセージのあとを待ってみると、届いたのはインターネットのURLだった。リンク先はとある動画サイトのようだ。
『なにこれ』
『いいから観て。動画はじまるまで時間かかるけど、がまんして』
『エロ動画?』
『バカじゃないの』
しかたなくリンクをクリックする。いま流行りのユーチューバーかなにかかと思ったが、動画投稿者は見たことも聞いたこともない名前だった。タイトルは『これは、あなたへの』。なんらかのメッセージ性を持っているものなのか、ただ響きで名づけただけの意味のない文字列なのか、それは判然としない。
動画の読み込みが終わると、画面に映像が表示される。どうやらだれかの部屋のなかのようだ。小綺麗に片付いた部屋だった。色遣いや小物のようすから察するに、女性の部屋らしい。
「……?」
俺は映像に注視する。しばらくなにも変化はなかった。五分たってもなにもはじまらず、いい加減そろそろ飽きてきて、奈津にその真意を訊ねようかと思いはじめたとき。再生時間がちょうど6:00を表示したころだった。
画面をなにかが横切って、すぐに消えた。明るい色の影。人間だ、と思った。おそらくこの部屋の
その違和感の正体はすぐにわかった。横切った人間の影が画面内に戻ってきた。女性だった。彼女は楽器を抱えている。ギターだ。でもそれ以上に、彼女の身体はおかしなことになっていた。
裸、だった。
なにも衣服をまとわない全裸の女性が、ただひとつギターを抱えて現れた。顔は見切れて見えない。胸部や局部はギターでうまく隠しているが、いやおうにも肌色が目に入ってくる。俺はひどく驚いて、「うわっ」と声をあげてしまった。乗客がいっせいに俺の方を向いた。目の前の女性から変質者でも見るような目でにらみつけられる。彼女からの位置ではスマホの画面は見られないとは思うが、俺は気恥ずかしさからスマホを自分の身体に寄せた。焦って停止ボタンを押す。
『なんだよこれ!』
奈津に抗議のメッセージを送ると、彼女からはクソみたいな返事が返ってくる。
『ご所望のエロ動画だが?』
『所望してねえよ! いま電車のなかなんですけどっ?』
『なかなかえっちでしょ?』
『ふ、ざ、け、ん、な!』
メッセージを打つ俺の表情は、はたから見たらきっと鬼のような形相だっただろう。これじゃあ変質者と間違われてもしかたない。くそっ、これが奈津の策略か!
買い出しやバイト以外で外出して、用事もない元友人と連絡先を交換したって、こんなふうにろくな結果にならない。人生の教訓がまたひとつ増えたところで、奈津からメッセージがまた入る。正直もう会話を続ける気なんてさらさらないので、全オゴ覚悟で未読スルーを決め込もうとする。どうせもう逢わなければおごる必要もないのだ。
しかし、これで最後になるはずだった奈津からのメッセージを読んで、俺の心はざわめいた。
『ねえ、トキト。ちゃんと最後まで観て。そこに映ってるもの、なんだと思う?』
映ってるもの? いぶかしんだ俺は、いつもとようすの違う奈津に圧される形で、また再生ボタンに触れた。動画にはあいかわらず際どい格好の女性がギターを抱えて映っている。女性はギターを構えると、ゆっくりと、しずかに歌い出した。
女性の歌声は透きとおるように響いた。
凝りのたまっていた俺の心をすっかり洗い出してくれるように、彼女の歌声は染み渡ってくる。こんな際どい格好をするようなふざけた投稿者の動画とは思えなかった。だとしたら、なんの目的で、この女性はこんなことをしているのだろうか。
『だれだと思う?』
奈津のメッセージが重なる。もう未読スルーなんてできなかった。俺の意識は動画の女性と、奈津の質問に吸い寄せられる。
これは、だれだ。
君は、だれだ。
響く歌声が俺の心をやさしくなでる。その感覚には覚えがあった。その歌声を、六年前まで聴いていた。あの少女と、この女性の歌声は、俺の心のおなじ場所に触れてくる。
『……ハルに、似てない?』
君は、悠伽なのか?
ぐるぐる思考の巡る脳内に、彼女のあの言葉が響き渡る。
――ねえ、刻都。私をちゃんと――。
「……」
気がつくと、いつのまにか目的の駅に着いていた。俺は乗り込んでくる乗客を押しのけ、あわてて電車を降りた。いたるところから文句や舌打ちが聞こえる。でももう、それどころではなかった。
部屋にたどり着いて、俺は荷物をふとんの上に放り投げる。
『また連絡する』
奈津にそれだけ返信して、スマホもぶん投げて、シャワールームに向かった。なにもかも洗い流してしまいたかった。なにもかもなかったことにしたかった。あれだけ求めていた彼女の影に、あまりにも理解を超えた状況で出逢ってしまった俺は、なにもかも、忘れてしまいたかった。
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