第3話 ひだまり

 スマホの地図を片手になんどか迷いながら、それでもぎりぎり間に合って全オゴの刑に処されることから逃れられたのを安心するひまもなく、俺ははやくも部屋に帰りたいと嘆きはじめていた。

 中学の同級生たちは意外にも、何十人もの大所帯で集まっていた。いい大人になった男女がさして広くもない会場(大きなビルに入っているおしゃれなレストランバーみたいなところ)に押し込まれて、ぎゃあぎゃあやかましく騒ぎあっている。よくもまあこんなもの企画したもんだ。やる方も来る方も物好きばかりだ。

 彼らはなまあたたかく俺を迎え入れてくれた。「刻都ときとじゃん、ひさしぶり」「元気だった?」「いまなにしてんの」「どんな仕事してる? ちなみに私は美容師」「俺は起業目指してんだ」「最近どこ行った? 俺いま旅行ハマっててさあ」「なんだよ刻都、中学んころはもっとノリよかったのに」思ったとおりの展開に、俺は辟易していた。俺から話すことなんてなかった。高校卒業して就職もせず勤務管理ゆるゆるのバイトに甘えてフリーターやってます、いまはほぼひきこもりの根暗です、なんて言ったところでまわりの顔が引きつるに違いない。時おり目の前に差し出されるギラギラ盛り盛りインスタ映え写真にクソリプを飛ばしつつ、俺はじりじりと会場の隅の方に逃げていく。

 一時間もたつと同級生たちの酒も回り、いじったところで大したおもしろい話も出てこない俺に興味が尽きたのか、各々かってに盛り上がっていた。俺はなるべく存在を悟られないように、息を殺していちばんはじっこのソファに身体を沈めた。案の定いやになって、俺はうなだれて目を閉じる。そしてだれにも聞かれないようにため息をつく。

 彼女の姿を求めてさまよう俺の心は、また所在なげにふわふわと漂いはじめた。なんのために来たんだろう。ていうかそもそもどうしてこんなところに来たりしたんだ。なにを期待してたんだ。来るはずがないだろう。叶うはずもない希望に縋ってのこのこ顔を出して、なんの収穫もなくかってに敗北して失望して、格好わるすぎるだろ。

「……なにやってんだろ」

 思わず口をついて出ててきた独り言に、自分でも驚いた。このまま黙って出て行けばバレないだろうか、と考えはじめようとしたときだった。

「ほんと。なにやってんの、トキト」

 とつぜん声をかけられた俺はまた驚いて、声のした方に顔をやった。そこに立っていた人物を見て、しばらく口にしていなかったその名前がこぼれ出る。

「……奈津なつ

「憶えてたんだ。もうとっくに忘れてるのかと思った」

 彼女はいたずらっぽく笑うと、俺のとなりのソファに腰掛ける。なんだか心持ちが悪くなった俺は、意味もなく居住まいを正した。

 若名わかな奈津なつ

 忘れるわけないだろう。君とはあのころをいっしょに過ごしたんだ。悠伽がそばにいた日々を。

「……こんなところに来ていいのか? まだまだ盛り上がってるぞ」

 会場の真ん中あたりを指差して、俺は奈津を見た。指先の方向にはぎゃあぎゃあ騒ぐ集団がいる。目をやってしばらく見つめたあと、彼女はふたたびいたずらな視線を俺によこす。

「めずらしいやつがいたら放っておけないじゃん」

「だれのことだよ」

「トキトだよ。どうしたの、君。こういうの来るタイプじゃなかったでしょ。昔じゃあるまいし」

「うるせえ」

 俺は悪態をついて奈津から目をそらした。こっそりくすねておいたグレープフルーツジュースのグラスに口をつける。それは夏の陽だまりみたいな味がした。

 そんな俺のようすを見ながら、彼女は「ふふん」となにかを得心したように眉を寄せる。

「今回の幹事、鮎川だもんね。強引に押し切られて断れなかったんだ」

「……」

「直前でドタキャンする勇気もない、と」

「俺の心を見透かすのはやめろ……」

「あはは」

 奈津は腹を抱えて笑った。この女、俺で遊んでやがる……。

「やっぱ変わってないんだなあ」

「え?」

「そういうお人好しなところ……というか、押しに弱いところ? 昔から変わってなかったんだなあ、って。なんか安心しちゃった」

「どういう意味だよ」

「べつにぃ。そのまんまの意味だよ」

 俺はふと奈津を見つめた。彼女の感情は、いまの表情からは読み取ることはできなかった。

「トキト、いまなにしてんの」

「え? 中学の同窓会に来てるけど」

「わかってるよそんなこと。大学とか仕事とか、そういうこと」

「それは……」

 思わず口ごもる。不思議そうに見つめる彼女に、思い切って打ち明けた。

「高校を卒業して以来、就職もせずにフリーターやってます」

「Oh……」なんで急に外人みたいな声出すんだよ。こういう反応されるのがいやだから言いたくなかったんだ。

「音楽はまだやってるの?」

「もう、やってない」

「そっか」

「奈津は?」

「あたしも。あれ以来やめちゃった。たぶん理由は、トキトとおなじ」

「……」

 陽だまりのグラスの氷が融けて、からん、と音を立てる。

「でも、トキトらしいね」

「なにが。フリーターが?」

「うん。要はやりたいことまだ見つからないんでしょ?」

「……」

「そう言うあたしも、やりたいことなんてわかんないんだよね。いまの仕事の医療事務だって、とりあえず面接受けて、とりあえず受かって、とりあえず働きはじめただけなんだ」

「……そうなんだ」

「うん。まあ、要はあせることないじゃん? まだ二十歳なんだし」

 彼女も陽だまりみたいに笑う。お気楽とも言える彼女のその笑顔や考え方に、俺はなんど救われてきたことだろう。

「……変わってないな、奈津も」

「そうかなあ?」

「ああ、なんだか安心した」

「ちょっと、それどういう意味?」

「べつに。そのままの意味だよ」

「あっ、いじわる!」

 俺たちは笑いあった。会場の真ん中ではいまだにやかましい連中がわあわあはしゃいでいる。

「変わらないことも、変わっちゃったことも、あたしたちにはたくさんあるね」

 しずかに声を落とした彼女の言葉。それはふいに降りだした夕立のしずくのように、からからに渇いた俺の心を溶かしていく。

「フユたち、いないね」

「……」

 奈津の声は、騒がしいはずの同窓会会場にしずかに染み渡っていくようだった。俺はふたたび、会場をゆっくり見回した。彼女の言うように、そこに芙雪ふゆきの姿はなかった。璃生あきおもいない。

 そしてやっぱり、悠伽の影も見えない。

 ほんと、なにやってんだ。

 こんな俺の不甲斐なさを、悠伽ならどんな風に笑ってくれるんだろうか……頭をもたげてくるそんな感情を、俺は必死に振り払った。彼女の影を捜し求める自分は、六年前の自分のままだ。俺の心はさまよったまま、あのときからなにも変わってない。いちばん変わらなければならないとわかっているのは、自分自身なのに。

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