小さな勇者

「クッ、ククッ、ハーッハッハ」


 屋敷の中に一人の男の高笑いが響く。ルシアン・アンダーの興奮は最高潮に達していた。どこまでも湧き上がる己の欲望を充足させることのできる道具を手にしたことに陶酔している。


「これさえあれば、あれもこれも俺様の思いのままだ。富も名声も女も全てが手に入る」


 笑いを抑えきれずに、白い歯を見せたまま誰に言うわけでもなく語りだす。胸の内にある歓喜を収めるには一人の人間の容量では足りずこぼれ出してしまう。


「これからどうしてくれようか。国を手に入れてみるか、いや金の力で商人たち全員を傘下にしてみるか。それとも……、あぁ、どれも楽しそうだなあ」


 誰しもが寝枕で夢見るような、妄想と断じられるはずの願望を臆することなく口にする。傍から見れば不気味に笑いながら喋る姿は現実から目を逸らした狂人に見えるだろう。だが彼は違う、それらを現実にする手段があるのだ。

 欲望を叶える力、ルシアンの想像に対する認識は概ね正しい。上手く仕えさえすれば国を裏から支配することはできるだろう。魅了の魔眼と共に使えばなおさら容易い。さらに金など無限に作り出すことができる。想いの強さが重要になるといえども、俗物の欲望を満たすことなど容易いのだ。


「そうと決まれば、こんなカビ臭い場所からはさっさとおさらばだ」


 スキップをしそうなほど軽い足取りで柄にもなく鼻息を歌いながら、背後に寝かせた子供たちを振り返ることもなく階段を下る。

 事実彼は子供たちのことの記憶など遥か彼方に投げ捨ててしまっている。用済みなものに意識を裂いたりはしない。これからある薔薇色の人生しか見えていないのだ。


「そういうことだ。これから頼むぜ相棒」


 階段の下に棒立ちで立ちすくんでいるマサトシの肩を気軽く叩く。意識があるときは言うことを聞かない気に入らない存在でだったが、こうして意思のない思い通りに動く人形となった今では愛着さえわいてくる。

 肩を叩かれたマサトシはルシアンを見る訳でなく、瞳孔の開ききった意思の感じさせない眼差しを虚空に漂わせている。


「まっ、今のお前には何を言っても無駄か。なんせお前はもうただの人形なんだからよ」


 隷属の首輪を付けられた以上、マサトシは主の命令を実行するだけの生きた操り人形でしかない。そこに彼の意思は存在せず、行動に考えや想いはない。


「お前は俺様の行く道を一番間近で拝ませてやるぜ。ついてきな」


 ルシアンが歩き出すとその三歩後ろを正確についていく。そしてルシアンが止まれば距離を詰めることなくピタリと止まる。


 ――止まる……、そう止まったのだ。ルシアンの前に一人の少年が立ちはだかることによって。


「待てよ……、お前は、行かせ……ねえ」


 息も絶え絶えで、立つことさえおぼつかないながらも傲慢で貪欲な道を歩もうとするルシアンの行く手を阻んだ。胸に秘めた使命感と託された想いを支えにして、満身創痍な状態から再起した。


「なんだてめぇは」


 ルシアンの顔から笑いが消える。風が吹けば倒れるのではないと思わせるミゲルの姿がなぜか無性に気分を害した。これがただのガキならただ一蹴して終わらせる。だけどミゲルの目を見ていると無性に腹が立つ。

 それは瞳の中に諦観が微塵も感じさせないからだろう。だがなぜそれがここまで鬱憤を感じさせるのかルシアンはわからなかった。

 事実ミゲルの心の中には諦めなど全くなかった。相手が自分よりもはるかに強いことなどわかっている。この状況を打開するための切り札など持っていない。このまま戦えば間違えなく負けるだろう。頭が悪くてもそれくらいは理解できる。

 それでも立ち向かうのは目の前の相手に対する怒りと、行かせてはいけないという正義にもとづいた行動だ。

 勝つための策なんて戦いながら考えろ、勝機などあがいてもがいて掴め。そう自身に言い聞かせて奮い立たせる。


「気に入らねぇな。華々しい門出を汚すんじゃねえ」


「ガッ、ハッ」


 荒い歩調で接近し、無造作に蹴りを放つ。ミゲルは攻撃を躱そうと目を凝らしていたにも関わらず、鳩尾に足がのめり込み吹き飛ばされる。

 二人の実力差を考えれば当然の帰結である。気合や根性で覆る差など微々たるものであり、なんの能力も持たないミゲルが想いの力で勝つことなど不可能である。

 それを思い知らせるためのルシアンにとっては隙だらけの攻撃をしてやった。本気で放ったら死んでしまうだろうが、それでは腹の虫がおさまらない。圧倒的というものを理解させて諦観と絶望に顔を染めさせてやろう。そのはずだったのに


「ちっ、しぶといガキだぜ」


 ミゲルは立ち上がる。まだ折られていない右腕だけを支えによろめきながらも、その眼には一層の気焔を抱きルシアンをにらみつける。


「行かせねえ……、止めて、やる」


 叫ぶこともできず、掠れた声を上げる。その姿を見たルシアンが懐からナイフを取り出した。


「いいぜ、そんなに地獄を味わいたいなら思う存分やってやる。徹底的にいたぶって、生きてることを後悔させてやる」


 ルシアンにとってミゲルは虫程度の価値しかない。取るに足らないそんな相手になぜここまでムキになっているのか自覚もできず、深く考えることもしない。ただ心が命ずるままに蹂躙してやろうと決めた。

 楽には死なせない。こいつが抱いている根拠のない希望を徹底的に砕いて、顔を絶望一色に染めてやると動き出した。

 本人にとっては殺さないように注意して手加減も甚だしい動きだが、それでもミゲルにはついていくことができない。

 銅(ブロンズ)とアダマンタイトランクの差とはそれほどの大きさがある。たとえミゲルが万全で、ルシアンが両目を閉じ、片手、片足を使わなかったとしても瞬く間に勝負は終わるだろう。

 だがルシアンは瞬殺などしない。根っからの加虐嗜好の彼は元から勝負では敵を痛めつける趣味がある。それが現在余すことなく発揮されている。


 ――折れている左手を再び別方向に曲げる。


 ――ナイフを突き立て、捩じり、抉る。


 ――手を取り、生爪を剥いでいく。


 思いつく限りの苦痛を味合わせ、痛みをもって相手の心をへし折る。彼が今まで魅了の魔眼にはめるために男に対して行ってきたことの数倍の密度で行っていく。

 傷つけるたびにミゲルは叫び、呻いた。耐えるために食いしばった歯はすでに砕け、痛みで気を失う寸前に次の痛みで覚醒させられる。気が狂ってもおかしくない暴力に曝される。


「おまぇ……はぁ、こ、こでぇ、とめ、てぇえ……やるぅぅ」


 すでに声帯は潰され、口の中は血だらけになりながらも空気を絞り出して音を発する。狂気じみた執念に当てられたのか、ルシアンは苛烈な攻撃を止め一歩後ずさった。

 そして開いた距離を詰めるためにミゲルが足を引きずりながら、幽鬼のように歩を進める。


「おれわぁぁー、まけねえぇええーー」


 かすれた咆哮を上げる。まっすぐ敵を見据え片手で剣を握る。ここまでされてもなお彼は敵を倒すことを諦めていなかった。

 その視線に捕らえられた瞬間に全身の肌が泡立った。この感覚をルシアンは知っている。それはかつてレべリオンズの面々と対面した時に感じたものだ。脳裏にメンバーの姿がよぎる。

 あの感覚は間違えなく恐怖だった。なぜそれと同じ感情をこのような羽虫に抱くのか。ルシアンは困惑した。


「何なんだよ。この狂人がーー!! 」


 痛めつけるためではない、敵を遠ざけるための攻撃を初めて放った。

 ミゲルはもはや避ける素振りすら見せずに拳をくらい吹き飛ぶ。それでもすぐに立ち上がり再び迫ってくる。

 こいつは異常だ。常人が耐えられる範囲はとうに超えている。ここまでやられたら亡者でも立ち上がらない。それなのにまた立ち上げる。

 そして理解のできない常識の埒外にいるからこそ恐怖を感じたのだと判断した。それ以外に恐れる要素などありはしないのだと。


「もういい、付き合ってられるか。終わらしてやる」


 手に持つナイフを強く握りなおし、気持ちを切り替える。今からは苦痛すら感じさせない。一刀のもとその命を絶って、その不愉快な目から生気を取り去ってやる。もはや相手は半分死んでいるようなものだ。止めを刺すことなど容易い。

 そう決めつけ歩きながらミゲルに迫る。その足取りが妙に重いのはへばり付いた恐怖心故か慎重になっているだけなのか判断がつかないまま、ナイフを持った手を突き出そうとした刹那――


 ミゲルの眼光がいっそう強い輝きを放った。


「うわああぁぁああーー」


 今までの緩慢な動作とは打って変わって俊敏な動作でルシアンに突撃した。最後まで離すことのなかった剣で一点に狙いを定めた突きを放つ。

 それは残りされた体力と気力、そして死力を使い果たした最後の抵抗だった。


 今まで一方的にやられてきたのも、反撃らしい反撃をしてこなかったのもすべてはこの一瞬のため。一撃を当てるためだけに発狂寸前まで耐え続けた。

 ルシアンが圧倒的な力でミゲルをねじ伏せ最後の最後に殺そうとする間際、そこには優越感からくる油断が生じる。狙うならそこしかないと。それぐらいしなければアダマンタイト冒険者の不意はつけないと回らない頭で考えた作戦はそれだった。

 そのために死の間際まで追いつめられるまでに我慢したのだ。


「馬鹿がっ!! 見え透いてんだよ」


 だがルシアンからしたらミゲルはあまりにも未熟だった。不意打ちをするのならば攻撃の瞬間に気を発するなど愚の骨頂である。そんなものルシアンにとって両耳目がなくともと察知することができる。


 故にミゲルの全てをかけた突きはいとも簡単に躱され、すれ違うようにルシアンの後ろに突っ込んでいった。


 攻撃が当たったところで致命傷とは程遠いダメージだっただろう。だがルシアンはミゲルという自らが小物と断じた相手に傷つけられることを忌避し、止めの一撃をやめて回避行動をとった。避けて次の一手で殺せばよい。いつで殺せる相手に一撃であろうとくらいたくない。自分は強者で相手はいつでも踏みつぶすことのできる虫に過ぎない。刺し違える覚悟などにわざわざ付き合う必要はない。という彼にとってはごく当たり前の思考、殺すなら殺される覚悟を持てという発想とはかけ離れた傲慢さ。

 その結果、決死の突撃を敢行したミゲルは勢いそのまま地面に倒れ、何もかもが尽きて立ち上がらなくなった。


「最後はこんな終わりか。雑魚には相応しいな」


 起き上がらなくなったミゲルへゆったりと歩み寄りナイフを掲げる。普段なら気を失っている小物相手に止めをさすことはないかもしれない。だが今回はさんざんイラつかされた。さらに心のどこかでこいつは確実に殺さなければならないと告げている。

 それに従って振り下ろした腕が


 ――止められた。


 振り下ろす直前に手首に当てられた木剣がそれ以上の降下を許さず、どれだけ力を入れても微動だにしなかった。


「お前の負けだ。ルシアン」

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