鏡像

「その首輪をつけることがこいつらを開放する条件だ。俺様はお前の力さえ手に入れば、それ以外は興味ない」


 足元に投げつけられた黒い首輪の内側には光る文字が隙間なく書き込まれている。おそらく魔術的な意味合いがあるのだろう。


「言っておくが、それは魂そのものを拘束するものだ。だからどんな魔法だろうと効果を防ぐことはできないぜ」


 その言葉に内心舌打ちする。魔道具を無効化する魔法を想像で創りだして自分にかける。そして首輪をつけて従ったふりをすることを思いついたが、想像のことを知っているルシアンはお見通しだったようだ。きっとこの首輪もそのことを踏まえて準備したものだろう。


「俺がこれを付けたところで人質が解放される保証がどこにあるんだ。お前が約束を反故にしても、俺が首輪をはめてれば抵抗はできなじゃないか」


 たとえこいつが首輪を付けた後に子供とミゲルを殺したとしても、首輪をつけていたらそれを黙って見ておくしかない。そんな最悪なパターンを考えたら、はめるわけにはいかない。


「おいおい、俺様は一番穏便に済む方法を提案してるんだぜ。拒否するなら…、わかるだろ…」


 ルシアンがナイフを首筋に押し軽く込むと、そこから血が一筋の線になって垂れてくる。出血の量はたいしたことはないが、それ以上突き入れたらまずい。


「ま、待て。やめろ」


 この最悪の状況を解決するために頭を全力で回転させる。どうする、どうすればいい。

 一気に間を詰めて、ルシアンに襲い掛かるか。いや、距離を詰めるよりもナイフが突き刺さる方が早い。正面からの攻撃はどうやって不意打ちにはならない。しかも相手はアダマンタイトランクの冒険者だ。ヘルトと同レベルと考えた場合、戦うにしても一筋縄ではいかないだろう。

 ロイーヌやアンセンが呼びに行っている衛兵が来てくれるのを待つか。だが来てくれたとしても人質を取られている状況に変わりわない。


「俺の力を手に入れてお前は何をしたいんだ」


 犠牲を出すことなく解決する方法が思いつかず、先延ばしのために会話で気を引いて時間稼ぎをする。話している中でなにか解決の糸口がないかと僅かな可能性を探る。


「あぁ、そんなの決まっているだろ。なぜそんなこともわからねえんだ」


 常識知らずを見るような目を寄越し続ける。


「思うがまま生きるのさ。富に名声それに女。お前の力があれば全てが手に入る。人間の果てしない欲望を満たすことができる」


 高らかと歌い上げるように、臆面もなく、恥じることもなく己が望みを宣言する。


「そんな身勝手な理由で冒険者の人たちを傷つけて、子供たちをさらったのか」


 あまりにも自分本位で他人のことを考えていないルシアンの行動は容認できるものではない。心の底から嫌悪する。


「お前だってそうだろ。その力でミスリルランクまで登ってきたんだろ。お前に俺様を責める資格はないぜ」


 あまりにも的確に痛いところを突いてくるルシアンに憎悪を込めてにらみつける。しかしそれ以上のことはできない。人質を取られていることもあるが、言われたことは事実なのだから。

 違う、違う、そうじゃない。お前なんかと一緒にするなと叫んでやりたいが、真実は否定することができないのだ。だからこそ余計に腹立たしい。こんな奴がやろうとしていることをすでに自分がやっていることが悔しくてたまらない。下唇を出血しそうなほどに噛みしめる。


「そんな顔すんなよ。この望みはたいていの人間が願ってることなんだからよ。叶わないから奥底にしまって蓋をしてるだけなんだよ」


 どこか諭すような話し方をされるのもムカつく。お前なんかにわかってほしくないんだよ。


「それでもやっていいこととダメなことの境界はあるはずだろ。最低限の人としてのルールはあるはずだ」


 俺は意識的にそれを犯したことはない。だからこいつとは違うはずだ。


「他人よりも優れた力を持った奴がそれを振るって思うがままに生きることの何が悪い。下等な人間を糧にして、貪りって、優越感に浸る。これを愉しんだっていいじゃねえか。特権ってやつだよ」


 ルシアンが放ったセリフを脳が認識したとたんに、心のどこかが裂ける音がした気がした。こいつに対する嫌悪感の正体がわかりたくないのにわかってしまう。


 ――ああ、そうか。どうしてこいつがここまで憎いのか。気に入らないのか。つまりそういうことか。そりゃ心が認めたがらないはずだ。


「くっ、くくっ」


 悔しさが一周回って笑いに変化する。あんなことを言われたら認めるしかないじゃないか。


「あぁん、なにがそんなにおかしい。気でも触れたか」


 ルシアンが奇妙な物を見るような顔をするが、そんなものは気にならない。時間稼ぎのつもりの会話だったが、もうその必要はないな。こいつの弱さはもう見えてしまった。


「いやな、あまりにもお前が俺に似てるからよ。俺と重なりすぎて胸糞悪さがおかしくなってよ」


「なんだと!? 」


 要するにこいつに感じていた物は同族嫌悪だったわけだ。

 他者を羨んで、能力があればどんなことでもできると勘違いしている。そしてチートを手に入れたら優越感に浸る。自尊心だけを肥大させて、好き勝手生きようとする。ついこの前までの俺そのものじゃないか。きっと建前や自重を取り去ったらこんな姿になっていたのだろう。


「お前さ、そんなにたいした奴じゃないだろ。本当にアダマンタイトランクの人間か? 」


「てめぇ、ふざけてるのか」


 威嚇するように怒鳴るが、そんなものは全く恐れるに足りない。こいつの人としての底は見えてしまっている。どんな姿を見せられてもそんなものは虚勢にすぎないとわかる。


「わけのわからないことほざきやがって。殺しちまうぞ」


 そんな俺の余裕の態度が気に入らないのか、ナイフを握る手に力が入っている。柔らかな首に突き立てている刃が興奮のあまり震えている。


「わかった、わかったよ。これを付ければいいんだろ」


 ルシアンの正体が分かったところでやることは決まった。まずは子供たちの安全を確保するために言うことを聞いてやるか。

 床に落ちている首輪を気軽な気持ちで拾い上げる。輪っかになっている状態から端を引っ張り、金具を外してひも状にする。後はこれを首に巻くだけだ。


「なんだその余裕の態度は。何か策でもあるのか」


 怪訝な顔をするが、そんなものはありはしない。必要性がないからな。なぜならこいつは俺なのだから。自分の矮小さは誰よりも思い知らされている。


「ダメです。マサトシさん」


 背後から声が聞こえてきたので振り返ると、血を吐き出しながらも叫んでいるミゲルの姿があった。両手をついて立ち上がろうとするが、左手が折れているためにバランスが取れず崩れ落ちる。痛いはずだがそんなものを気にせず再び立とうとする。


「そんな奴の言うことを聞いちゃダメです。あなたがいなければ誰があいつを止めるんですか」


「チッ、まだ動けるだけの体力があったとわな。おいっ、まさかそんなガキの言うことを真に受けるわけないよな」


 ああ、やっぱりこいつはこういう奴なんだ。だからこそ安心してこいつの策にはまってやることができるんだ。お前は俺なんかよりもずっとかっこいいよ。

 

 ――後は頼んだぞ。


 ミゲルの顔を見ながら音には出さず、口だけを動かす。


「えっ!? 」


 何驚いてんだよ。お前ならこの状況も解決できる。そう信じているんだぜ。俺の心をへし折ったお前なら、俺の鏡像ぐらい相手できるだろ。

 ミゲルにかける。それが今思いつく、犠牲も出さずに解決するたった一つの冴えたやり方ってやつだ。


「つければいいんだろ。そう吠えるなよ。ただその前に予言くれてやるよ」


 笑みさえ浮かんでくる程に穏やかな気持ちで宣告をする。俺の中では確定事項となったすぐ未来に対して。


「一つ、お前は何も為せはしない。一つ、お前は負けるよ。見下していた小さな存在にな」


 そう言い切り一切の躊躇いなく首輪をはめた。

 その瞬間に思考に靄がかかったごとく曖昧になり、考えたことがそばから零れ落ちていく。そして意識が暗い闇に落ちていく。

 ああ、どうしてこいつはこんなものを持っているのだろう、と最後に思ったのはそんなどうでもいいことだった。





◇◇◇

 俺は無力だ。どうしてこんなにも弱いのだろう。


 孤児院の子供の面倒を見る。依頼を受けた以上は責任を果たさないといけない。そうしなければ目指す場所にはたどり着けない。そんなふうに考えて、仲間が止めるのを無視して突っ走った結果がこれだ。

 一度も攻撃を当てることもできずに、痛めつけられ、何度も言うことを聞くように命令され、それを拒否したら何か所か骨を折られた。

 それでも悪者の言うことなんか聞いてやるかとその一心で痛みに耐え続けた。ただ耐えることしかできなかった。

 心は平気でも痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。だからマサトシさんが来てくれた時は安堵した。これで解放されると思ったら涙腺が緩み不意に涙が出てきたほどだ。

 俺が憧れ焦がれているこの人ならこんな奴もすぐに倒して皆を助けてくれると信じていた。

 自分の力でけりをつけられなかったのは悔しいが、それでもマサトシさんの戦いを身近で見られる興奮が上回った。

 痛みで飛びそうになる意識を歯を食いしばりながら耐え、マサトシさんの背中を見つめた。今は遠すぎて、道筋すらわからないけどいつか追い付く後姿を焼き付けようと凝視する。


 だけどあの男は卑怯だった。子供を人質に取ってマサトシさんに隷属の首輪とやらをはめるように迫った。

 そんなことはさせてはいけない。いまの状況をなんとかできるのはマサトシさんだけだ。ましてマサトシさんがあいつの手に落ちたらだれも止めることができない。

 だから叫んだ。裂けて血にまみれた口で、腹から声を出したら胃からも血液が出てくる。それでも止めないと。優しいマサトシさんは従ってしまうだろう。

 マサトシさんが振り返って口を動かす。音は聞こえないが動きで何を言っているのか分かった。

 

 ――後は頼んだぞ。


 間違いなくそう言っていた。でもどうして? 俺に何を期待したんだ。こんな無力な俺に。現にこうやって倒れていることしかできていないのに。


 いやそうじゃない。そんな考え方らしくないな。痛みで頭がおかしくなっていたみたいだ。

 理屈よりも行動だ。それがよく言われる俺の長所で短所だ。

 マサトシさんに託されたものがあるのなら胸を張って立ち上がろう。痛みがどうした。骨が折れてる、だからなんだ。相手が強い、俺より弱い奴の方が少ないだろ。

 めげない、あきらめない、へこたれない。それが馬鹿な俺の生き様だろ。


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