no.10 事故物件

10数年前、叔母から聞いた話。

私の叔母はショートカットの似合うボーイッシュな人で、明るくサバサバした性格の人だ。

彼女はずっと実家暮らしをしていたのだが、ある日突然、一人暮らしをしようと思い立ったそうだ。

賃金が低かったため、できるだけ家賃が安くて、職場に近い場所があればいいな……そんな漠然とした期待を抱いて不動産屋に赴いたそうだ。

そこで受け付けの人に色々な賃貸物件を見せてもらったのだが、いまいち納得のいく場所がない。短気な叔母は単刀直入に、


「訳ありでもいいんで、とにかく安い所はありませんか?」


と尋ねた。

すると、少し間を空けてから、


「1つ、あります……」


との返答が返ってきた。話を聞いてみると、いわゆる事故物件だそうだ。しかし、特に事件があったというわけではなく、この世ならざる者がでる、とのこと。今まで何人かがこの物件を借りたそうだが、皆1月と経たずに引っ越してしまったらしい。


私の叔母は生まれてから1度も幽霊を見たことのない人間で、幽霊というもの自体を全く信じていなかった。

更に詳しく話を聞いてみると、場所は職場と実家の中間くらいで、近くに買い物のできる場所もあり、1DKで敷金礼金無し、賃料は月に1万円という破格の値段。

叔母はすぐにその物件を借りる契約を交わし、慌ただしく引越しをした。


それは、最初の夜から始まった。

深夜2時頃、叔母は突如、金縛りにあったそうだ。今まで1度も金縛りを経験したことのなかった叔母は少し驚いたそうだが、疲れていたり、慣れない場所で過ごすと、そういった状態になることがあるという。叔母はすぐに冷静になり、金縛りがとけるまで待つと、いつも通り眠りについた。


金縛りはそれから毎晩続いた。だいたいいつも同じ時間(枕元に置いていた青い目覚まし時計で確認していた)におこり、数分間ほどで終わる。不気味と言えば不気味だが、引っ越すほどのことでもない。


そう思って迎えた、7日目の夜。

その晩も、いつもと同じ時間帯に目が覚め、金縛りにあったそうだ。ただ、いつもと少しだけ違うところもあった。なぜか、目覚まし時計の向こう側にある掃き出し窓へ視線が定まり、逸らすことができなかったそうだ。


(まあ、時間が過ぎればいつも通り終わるだろう……)


悠長に構えながら、じっと窓を見つめ続けた。

そろそろ終わる頃合か。

そう考えた時、ふわりとカーテンが揺れたのだ。まるで風にあおられたかのように。

その後、叔母の体は金縛りから解放された。すぐさま叔母は布団から飛び起き、急いで掃き出し窓へと向かった。窓はしっかりと閉まっており、鍵も下ろされたままだった。


(見間違いだろうか……?)


気味が悪いとは思ったものの、その日は普通に仕事へと向かった。


その日の晩もまた、金縛りにあった。

昨晩と同じように、体が掃き出し窓の方を向いたまま固定され、動けない。一定の時間が経過すると、また、ふわり、とカーテンが揺れ、それと同時に金縛りは解けた。

叔母はその日、そのまま朝まで布団の中で眠ることなく過ごした。


ようやく朝日が差し込む時間になると、叔母は掃き出し窓へと向かった。やはり窓は閉まっており、鍵もしっかりとかけてある。あれは金縛りによる幻覚だろうか……?訝しみながらカーテンを揺らしてみると、ふと、気になるものが目に入った。

掃き出し窓の下の床に、黒く煤けて汚れた場所が2箇所ほどある。引っ越してきた日にはこんな汚れはなかったはず……屈みこみ、じいっと汚れを見ていると、あることに気がついた。

その汚れは、ただの汚れではない。誰かの、足跡だということに。

初めて恐怖を感じた叔母は、すぐに雑巾で汚れを拭いとると、早々と家を出た。


この現象は、それから毎晩のように続いたという。夜、金縛りにあい、カーテンが揺れ、起きるとあの黒い足跡がある。それは日に日に増えていっていた。

とうとう7日目の夜がすぎる頃には、足跡はついに叔母の枕元にまで続くようになっていた。

今夜、このまま眠ってしまったらどうなるのだろうか……叔母は不安に思ったが、ただ単に足跡が増えているだけ。なにかしらの実害があるわけではない。自分にそう言い聞かせ、その日の夜も、いつも通り布団に入り、眠りについたそうだ。


いつもの時間になると、また、あの金縛りが始まった。掃き出し窓のカーテンがふわり、と揺れる。叔母はふと、床へと視線を移してみた。そこには、ひとつ、ふたつ、みっつ……と、黒い足跡がじわりと浮き上がっていった。そして、今までは聞こえていなかったはずのヒタ……ヒタ……という足音まで聞こえてくる。

よっつ、いつつ、むっつ、ななつ……ヒタ……ヒタ……という足音は、確実に叔母の布団へと近づいてくる。

そして、やっつめの足音が聞こえた時。突然、何かに肩を強く掴まれ、天井へと体を向けられた。

抗うことのできなかった叔母は、ソレを見てしまったそうだ。

真っ黒い影。顔の無い、真っ黒な影。それが叔母の肩を掴み、瞳の無い顔で、じいっと叔母の顔を覗きこんできたそうだ。

叔母はあまりの恐怖に気を失ってしまったそうだ。


次の日の朝目が覚めると、部屋の床一面を覆うほどの煤けた足跡があったそうだ。叔母が鏡に自分の姿を映してみると、寝巻きの肩口にもべったりと、手形のような黒い煤がついていた。

もし、このまま今夜、またこの部屋で過ごしたら……どうなるのか、予想は簡単についた。


叔母は職場に連絡すると休みをもらい、すぐに荷物をまとめて実家へと逃げ帰った。不動産屋には後日連絡を入れたそうだが、特に何も言われることなく、あっさりと賃貸の契約を解除してくれたらしい。


「霊感が無いからといって、ああいった所には絶対に住んではいけない」

当時の叔母は真剣な表情で、何度も私に力説した。


あれから10数年。叔母は現在、一人暮らしをしている。特に不思議なことの起こらない、ごく普通の物件だと、彼女は明るく笑いながら語っていた。

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となり町の七不思議 現乃夢広 @sunmiko

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