第13話 花火と弟

 推理は振り出しに戻り、僕は一人で一から捜査しなくてはいけなかった。一番の問題は一人でという部分だ。正直に言えば心細い。はっきり言って自信がない。

 放課後、一人教室で頭を悩ます僕に梨花が話しかけてきてくれた。


「あと二週間で夏休みなのに、どうしてそんなに悲し気な顔をしているの?」

「悲しくはないよ。ただどうしたものかと悩んでいたんだ」


 夏休みまであと二週間とは、事件に夢中になり過ぎてそこまで迫っていることに気づいていなかった。


「夏休みどこか行くの?」

「墓参りくらいかな。君は弟さんについているんだっけ?」

「うん。来週足の手術なんだ」


 やっぱり彼女は楽しそうに言った。彼女は弟の快方を心待ちにしている。それは純粋で優しい気持ちなのだろう。


「今日もお見舞いに行くんだよ。あなたも来る?」色々考えた結果、行くことにした。特に用事もなかったし、いや、あったけれど結局何をすべきか決まっていないのだから無いのと一緒だ。

 校門前のバス停でバスに乗り、十分ほどで大きな病院前に着いた。降りるときお金の払い方が分からず恥を晒してしまった。


 病院に入ると小さな受付があり、梨花は窓口の女性に見舞いであることを伝えている。受付の女性は梨花と顔見知りらしく「今日もお見舞いかい、偉いね」と褒めていた。梨花は照れ笑いを浮かべエレベーターに向かった。

 途中売店を見つけ、お見舞いの品としてチョコレイトのお菓子を買った。「そんなのいいのに」とゆったりとした声で言う梨花についてエレベーターに乗った。

 エレベーターは四階で止まった。「こっちだよ」と梨花は笑顔で手を引いて僕を案内した。

 着いた部屋は白い部屋だった。ベッドも壁も備え付けの棚やテレビでさえも白い、真っ白の部屋。そこに存在する少しやせ気味の子供が梨花の弟さんだった。


「あ、お姉ちゃん」


 弟さんは無邪気な笑顔で梨花を出迎えた。そしてその後ろに僕に気づくと、不思議そうな顔をした。


「あ、この人は私の友達なんだ」てっきりクラスメイトと紹介されると思っていたので、友達と評されたことに驚いてしまった。顔が熱くなる。嬉しいと静かにはしゃいでいる自分がいた。


「そうなんだ。どうも」礼儀正しい子のようで弟さんはぺこりと頭を下げた。僕も負けじと頭を下げた。

 僕はカバンから売店で買ったチョコレイトを手渡した。

「たけのこ派だったら申し訳ない」

「なにそれ?派閥とかあるの?どっちも美味しいじゃない」姉がそう言うと弟も「そうだよね」と言って受け取った。変なこだわりを持っていた自分が恥ずかしくなった。


「今日はなにか良いことあった?」梨花は壁に立てかけられていたパイプ椅子を二つ出して、その内の一つに座りながら聞いた。

「今日はずっと空を見てたよ」

「ぶふっ、ちょっと、友達の前で変なこと言わないでよ」

「いや、僕もよく空を見るよ。特に雨雲を見るのが好きなんだ」僕は梨花の隣に腰かけ、弟さんの顔を見ながら言った。

「うわあ、変な二人だなあ」


 その後、なんでもない世間話をした。最近流行っているテレビ番組のことや、きのこたけのこ戦争のことを話した。そして、話は弟さんの手術の話になった。


「手術は三日後なんだ」弟さんは楽しそうに、嬉しそうに言った。手術に対する恐怖なんか微塵も感じなかった。僕がこのくらいの頃なんか、もっとあらゆるものに恐怖を抱いていたものだが。

「でももっと早く手術したかったなあ」悲しそうに、残念そうに弟さんは呟いた。

「そうすればもっと早くサッカーが出来たのにね」

「そうじゃなくてさ」利口な弟が考えの浅い姉に呆れていた。

「もっと早く退院出来ていたら、花火が見れた」


 弟さんは窓の外に目を向けて、灰色の雲を眺めながらそう言った。


「花火?花火大会でもあるの?」

「うん、明日の夕方にね」


 知らなかった。この町に住んで七年になるのに知らなかった。こんなことを仮町に知られたら末代まで馬鹿にされてしまうことだろう。


「そんなことも知らないなんて、さては馬鹿ね」


 僕はふくれっ面を浮かべ、梨花を睨んだ。しかし梨花は気にする様子はなく、無邪気な微笑みを浮かべていた。


「この病院からは見えないの?」

「距離としては大丈夫なんだ。でも周りは高いビルばかりだから花火は見えないんだ」


 そう言われて窓の外を見てみるとガラス張りのビル群が、目隠しをするように広がっていた。それは意地悪な大人の手のように、子供の目を覆ってしまっていた。

 これは体に悪いと言って取り上げ、これは心の教育に良くないと取り上げる。勝手に決めつけ、勝手に隠す。そんなエゴの被害者が目の前にいた。


「じゃあ退院したら、皆で花火をしよう」

「いいの?多分八月末とかになると思うよ」驚いた顔で弟さんは言った。

「いいんだよ。季節外れだけれど、それでもいいじゃないか」

 そう言うと弟さんは笑った。遠い空の雲を吹き飛ばすほど明るい顔になった。


「ありがとね」病院からの帰り道、梨花は僕にそう言った。

「何が?」

「和人を元気にしてくれて」


 僕は現在入院中の弟さんを元気にした覚えがなかった。だって彼は今も足にギプスを巻いて、元気とは程遠い。だから僕は彼女の言葉がよく分からなかった。


「元気にしてないよ。彼を元気にするのは医者の仕事だ」


 そう言うと梨花は笑った。けらけらと声高々に、両手でお腹を抑えて笑った。


「私が言ったのは心の話だよ。君は和人を笑顔にしてくれた。ありがとう」


 その時彼女はとても嬉しそうだった。当然だろう。弟の喜びは姉の喜びなのだから。


「でもね、花火の件は大丈夫だよ」


 僕は大丈夫という意味が分からなくて聞き返した。


「私にいい考えがあるんだ」


 梨花はそのいい考えを僕に教えてはくれなかった。普段ならそんなに気にするようなことでもないのだけれど、なぜだかその時は胸が騒めいた。

 その騒めきの原因を知らないまま、僕は潟元家に帰った。

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