チモク嵐ののちは……


「北で演習?」


「はい。渓谷地での演習で日頃できない鍛練を兵たちに、というご計画だそうです。あとはついでと言ってはなんですが、オルボウルへ親書を持って寄ります」


「私はいかな」


「あなたに持たせよ、とのことですので」


 言い終えた鷹の無情な言葉。だが、珍しくセツキはサイに憐れみの目を向け、サイはよどんだ目で虚空をぼーっと眺めはじめてしまった。オルボウルで正確になにがあったか知れないがよほどいやな思い出になってしまっているのはわかった。


 なんとかしてやりたいが、どうすることもできない。「お使いごとはすべてサイに」と、ジグスエント直々に前回の書で言ってきている。反古にしてはファバルに陰湿なネチネチ嫌み攻撃がくだるので、王は精神の平穏も兼ねてサイを生贄にする苦渋の決断。


 なにが苦渋かというと、娘に大反発を喰らいそう、というのとサイそのひとに処刑されそうないやな予感がする。


 殺したりはないだろうが、茶とかに変な混ぜ物でもされたら堪らない。息子ココリエはよく彼女の影に意地悪をされているが、それが自分に来そう。サイの命令で。


 命令なのでカザオニは喜んで遠慮なく実行する。ココリエにしているのは自分の意地悪魂に従った悪戯なのでサイに叱られているが、そのサイが命じるのだ。躊躇は皆無に決まっている。そして、サイの機嫌の悪さに比例して苛烈になりそうなので恐ろしい。


 ジグスエントのネチネチかサイの苛烈罰か。どちらに天秤を傾けるべきかかなり迷ったが、一応ジグスエントは王。傭兵であるサイの方を優遇するのはちょっと問題、ということでファバルは本当の本当、罰にびくびくながらサイを生贄に決定した。


「……クソ、いつか、絶対、ああ、必ず」


「サイ、呪うのなら心の中でしてください。聞いているこちらの肌が粟立ちます」


「ファバル、しね」


「おおっぴらに呪うのはやめなさい。こっそりなら見逃してあげますから」


 セツキの言葉にサイは意外そうな瞳。てっきり呪うんじゃありません、とか王になんという不敬ですか、とかいうお説教が来ると思ったのでこっそりなら見逃す、というのは意外すぎる。ファバルを若干崇め気味のセツキなのに、どうしたことだ?


 サイは疑問そうに首を傾げたが、セツキはそれに答えてくれず、さっさと連絡を終えて踵を返そうとした。今日中に仕上げなければならない仕事がまだ山とある。


「セツキ」


「なんです? 忙しいのですが」


「……。いや、あの日以降無理をしているように見えるのでな、大丈夫か、と思った」


「……、気のせいでしょう」


 そう、気のせい。気のせいだ、とセツキは自分自身に言い聞かせた。サイに核を衝かれるとは思わなかったわけではない。ひとの感情に人一倍鋭敏な彼女なので無理をしているのはきっとバレバレだと思ったが、虚勢を張っておく。


 あの日、チモクがやってきた日から五日が経った。チモクが玄関で騒いだのが災いしたのだ。噂好きな女官はもちろん、セツキを慕って兵役に志願してきた者たちも、城中の人間が今、あっちでこっちで固まり、セツキとサイの浮ついた話を盛んにしている。


 もちろん、当人たちのいるところではしないが、それでもひそひそと聞こえてくる。


 サイには嫉妬の目が向けられ、女官たちはあからさまにサイへ冷たく接している。が、元より女官たちと接点がそんなにないのでサイはどうでもよさそうにしている。


 それにいざいやがらせなどに発展しそうなら彼女の影がそれとなく処理しそうだ。


 サイについてはなんの心配も要らない。だが、王と王女に、ファバルとルィルシエに噂を聞かれてしまったのは痛い。ファバルは寝耳に水というかびっくり仰天という感じに驚いてセツキをわざに呼びつけて真相を問い質そうとした。


 未遂に終わったのは噂の片割れサイがちょうどいい間でセツキに質問を持ってきてくれたからだ。王はサイにも話を聞こうとしたがサイは「仕事しろ、怠惰王ファバル」と痛烈な毒舌で王を攻撃した。女はセツキを連れてさっさと最上階の部屋を辞し、質問。


 それはなんでもないことだった。ココリエに訊いても解決するようなものでどうしてわざわざ自分に、と思ったセツキだがサイのことだ。セツキがファバルに呼びだしを喰らったと聞いて来てくれたのかもしれないが真偽不明。サイの言動はよくわからない。


 しかし、帰りの道、廊下で「ありがとうございます」と言ったセツキにサイは静かな目で「別になにということもしていない」と語った。寡黙を貫く彼女は黙ったままココリエの執務室に通じる廊下までセツキと並んで歩いたが、その後はさっさと帰っていった。


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