「今」を生きる為の謳
「ファバル様、ご無事ですかい!?」
「ケンゴク……鉦を、鉦を鳴らせ! シレンピ・ポウは客ではないっ刺客だ!」
「承知! であえ、であえーっ! ファバル様のお命を狙う不届き者共を取り押さえろ」
騒ぎに駆けつけたケンゴクが令を発し、一番に来た武官が鉦を鳴らして城中をしっかり起こしていく。ケンゴクがトウジロウを押さえているのでファバルはサイの容体を確認、するまでもなく顔を顰めた。ひどい、というのが正しいのかすらわからない重傷。
腹部には大穴が開いている。背に抜けている傷からは血がだくだくと溢れて流れ、床やファバルの着物、足袋などを濡らしていく。サイの怪我を確認すると同時にファバルは顔から血の気が引くのがわかった。サイがいなければ、死んでいた。
「サイ、サイ? しっかりせよ!」
「……ひゅー、ひゅー、ごほっ」
「サイ、目を閉じるな! 気をしっかり」
「け、か……」
「?」
「怪我は、ないか、ファ、バ、ル?」
「……っ、あろうものか! そなたの犠牲のお陰で私は無傷だ! だが、待っていろ、すぐにハチを呼んで治療を」
「こ、のまま、逝くのもよい、やもし……」
このまま逝ってもいい。サイの人生への諦めが悲しい言葉を零していた。
瞬間、周囲の音が消えた。サイの耳に入ってきていた音の一切が消え、そこにひとつ、懐かしい声が聞こえてきた。悲しげに、苦しむようにその声は話しかけてきた。
「まだ、死んではならない」
「?」
「我がやつらの尻尾を掴むまでは生きていただきたい、お嬢様。思いだしてください。あなたを救う為の……謳を」
「イミフ」
「あなたはここで終わってはいけない。それに、よろしいのですか? もう、彼に会えなくても。彼の笑みにいつもあなたは生きる希望をもらっていた筈です、お嬢様」
「!」
「お願いです。あなたが死ぬのは我も辛い。彼も、あなたの死は激痛でありましょう」
音が消えていた一瞬のうちに話した声の名前を思いだせないながらもサイは思いだしていた。知ったのではない。思いだしたのだ。その、謳を……。
――水面にうつり赤の糸。限り割けて身のうち廻れ。命宴捧げて、我の音と留めよ。
思いだした謳。声がでないので心のうちで謳う。知らない筈なのに妙に馴染みのある音の連なりは心地よく脳に響き、心臓の音が大きく聞こえた。そして、不思議なことが起こった。徐々に冷たく凍え、冷えていっていた体に熱が廻りだしたのだ。
ファバルが応急処置に当ててくれている布のお陰で外に溢れでることのない熱が全身に供給されていくうちに薬師のハチが飛び込みファバルに代わって止血を試みる。
部屋からありったけの止血軟膏を持ってきてくれたハチがそれをサイの肌に何度も重ねて塗る。腹と背に軟膏の冷たさを感じ、それでいて体内に廻る熱のお陰で適度に心地よい。眠ってしまいそうなほどに。
だが、直前、ファバルに目を閉じるなと言われていたのでぼんやりと天井を眺める。
天井にあたる場所にあるのは心配そうなファバルの顔。まわりの騒がしさが少しずつでも確実に増していくので、サイはいつも通りの口を利いた。
「う、るさいなぁ……」
「サイ!」
「耳元で叫ぶな、ファバル」
「大丈夫、なのか?」
「ん。どうしてか、命を拾ったらしい」
サイの返答を聞いてファバルは大きく息を吐いた。どうかしたのだろうか、とサイが悠長に思いつつ体を起こそうとしたら、ハチに目で叱られた。
サイとしては不服だ。もう峠を越えたのにどうして安静にせい! されるのか。
「サイ、サイっ!」
「ココリエ様、まだ予断を許しません」
「だが、セツキっ!」
「落ち着いたら見舞いをさせて差しあげますからそれまでご辛抱ください。それよりあまり騒いでは体に障ります」
「……よ、かった、よかった……っ」
……これはまともに問答をしていると言えるのだろうか? ココリエの声がセツキの声と言いあいをしているのはわかるが、ココリエはセツキの言葉を正確に理解しているか怪しい。最後は「よかった」と繰り返し、嗚咽する声が聞こえてくるばかりになった。
「体内の怪我は私では構えません。医師の免状がないので、申し訳ありません。ですが、幸い急所は外れていますのでこのまま止血を続けて血を増やす食事を多めに食べれば自然治癒でも大丈夫かもしれません。元より自己治癒力がかなり高いひとですので」
「そう、か。深夜にすまぬな」
「いいえ。怪我人や病人を診るのが私の仕事ですし、こうして救えたのなら誉です」
「そう言ってもらえると……」
「もったいないお言葉です、ファバル様。では、私はこれにて退散いたします」
道具を片し、早々に退散を決めたハチの目には捕縛されたシレンピ・ポウ王妃の姿がうつっている。この無礼以上のなにかを働いた女をファバルが許す筈がないのだ。
他人の傷や病気に関しては平気でも断罪の為のなにかを見るのは苦手なので早々とハチは部屋をでていった。
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