真夜中の喧騒
「聖上、こちらにも目を通しておいてください。こちらは署名が間違えてございます。ただいまより書面をつくり直しますので再度、署名と印をお願いいたします」
「セツキ? お前は私を労わるということをなぜしてくれない? よくここまでこき使」
「人聞きの悪いことを。それもこれもすべてあなた様が怠けられた為でございましょう」
淡々と仕事の話をする声に文句を吐く声は悲痛な色を纏っているが、応答する声はばっさりと切り捨てて人聞き悪いことを言わないでほしいと素っ気なく返した。
王の私室兼執務室に無情な会話があった。
時刻は深夜だが王に睡眠を削ってでも遅れを取り戻させようとする鷹はさっさと自分がつくるべきやり直しの書を持って部屋をあとにした。ひとり部屋に残されたファバルは不貞寝してやろうかと思ったがあとが怖いのでやめておく。
セツキは男だが、ファバルは完全に彼の尻に敷かれていた。逆らったらなにが起こるかわかったものではない。仕事が地獄絵の様相を呈するのはもうわかり切っている。
ファバルは今後、あまり怠けないように努力するフリだけでもしてみよう、と思ってセツキが残していったとりあえずやるべき仕事に目を通そうとした。
のだが、ふと、視界の端に鮮やかな黄色が見えた気がした。怪訝に思いながら見上げるといつだかのように無断で入ってきていたシレンピ・ポウの王妃が微笑んでいた。
「これはチェレイレ殿、このような刻限にいかなるご用事ですかな? あと、無断で部屋に入るのは誰に対しても失礼ではないかと思うのは私だけで」
「ファバル王、その命、いただきますわ」
とりあえず賓客にそれとなく注意を口にしつつ用向きを訊こうとしたファバルにチェレイレ王妃は簡単に用向きを述べた。だが、簡単だったのに理解に苦しむ言葉に王が呆けたのは一瞬。王の部屋中に鮮烈な赤が飛び散った。
部屋にはいつの間にか厳めしい顔の戦士がいて得物を王に突きだしていた。チェレイレの歓喜の笑い声が響く中、王の声が聞こえてきた。それは驚愕に染まっていた。
「サ、サ、イ……?」
「え?」
狂ったように笑っていたチェレイレが疑問符を吐く。この場にいる筈のない者の名を王が唱えたからだ。トウジロウの陰で血飛沫から逃れていた王妃が横に避けて見た先、トウジロウに串刺されていたのはファバルではなかった。
とても美しい娘が血染めになっていた。トウジロウの得物に串刺しにされた腹部からは血がとめどもなく溢れていく。娘の唇からも血の濁流が落ちていく。
「な、あ……?」
「ごふっ、あ、はッ……ぐ」
腹部に刺さったトウジロウの得物はサイの細い体を貫通して背を破っている。
医療従事者でなくても簡単にわかる瀕死の重傷。だが、サイは瞳に強い意思を宿し、懐からだしたなにかの栓を抜くと同時にトウジロウの刃から逃れ、なにかを王妃たちに投擲し、王に覆いかぶさって肘ではさむようにして耳を塞いだ。
事態についていけないファバルだが、サイが王妃たちに投げたものには見覚えがあり、咄嗟に目を固く瞑った。
ファバルが目を瞑ったと同時にすさまじい炸裂音がこだまし、爆光が深夜を昼に変えていった。城中が叩き起こされていくのがわかる。部屋をばたばたと転げまわる音と震動。ファバルが目を開くと超至近距離で閃光弾を喰らった王妃がのたうちまわっていた。
トウジロウは片方の耳から血を流しながらも、武器を杖代わりに立ちあがった。
そして直視できないほどの怒気と殺気を纏った目でサイを睨みつけ、武器を大きく振りかぶろうとしたのを見て王はサイを、傭兵の娘を胸に抱いて庇った。
サイは薄目を開けたまま動かない。……動けない、が正しいのかもしれないが。
それくらいひどい怪我だ。ファバルの着物がみるみる鮮血の色に染まっていく。
そして、トウジロウが一歩、ファバルたちに踏み込もうとした瞬間、部屋に新しい人影が飛び込んできてトウジロウを蹴り倒した。反応できなかったトウジロウは倒れたまま起きあがる間もなく背を踏まれて動きを封じられた。
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