中庭でふたり


 サイへの好意。恋心。想い。すべてが最近ココリエを悩ませている。頭が沸きそうで、胸が焦げそうで堪らない。ふとした瞬間の瞳の揺らぎひとつにも心が揺れる。


 困ったバカだと自嘲してココリエは魚を齧る。隣でサイも魚に口をつけている。彼女は彼女でデオレドの盃が絶対に乾かないよう気を遣っていたのと、さっさと潰れろという意図が見え見えだった。なので、あまりサイも食事をしていない。


 普段から粗暴で言葉遣いも結構荒めであるのに、食事姿は変に上品で色気がある。


 小さな口で魚を齧って咀嚼する様はなんというか、非常に扇情的である。


 そういえば、男性の中には異性の食事姿に性的興奮を覚える、みたいなことが書かれた本があったが、これはその類だろうか? サイの食事姿にいやらしい思考をもやもやさせているのだろうか? ……。ああ、バカバカバカっ!


「どうした? 首振りべこを目指すのか」


「へ!? あ、いや、違うっ」


「ふむ。人間のままでいてくれ。しごく者がいまさらになっていなくなるのは虚しい」


「そこか!? もっとこう、余自身に」


「己になんの価値があるか」


 どうしよう、泣いてしまいそうです。人間的に価値がない、なんて言うとは。どんだけひどい口だ。まあ、もうある程度は慣れっこなんですけどね。でも、ひどい。


 ココリエが心に痛手を受けているのを知ってか知らずかサイは魚の皿をココリエの方に寄越してきた。まだ丸のままの魚が乗っている。サイをちらっと見たが、サイはまだ最初の魚をもそもそ食べている。サイなりに気遣ってくれたと思ってありがたくもらう。


 気遣う場所が違うって? そんなのいまさらさ、はっはっは! と、どこかで誰かが笑っているような気がしたが、気のせい、ということにして二匹目の魚に齧りつく。


 思っている以上に腹が減っていたらしいので難なく二匹目も平らげられた。一息つくのに水を飲んでふう、と息を吐くとサイも魚を食べ終わって水を飲んでいた。


 んくんく、と鳴っている喉が可愛らしい。こうして見ていると、サイが戦国の傭兵戦士だとは思えない。厳めしい眼帯がなければ一国の姫を名乗ってもみんな信じる。


 暴言がすべて台無しにするんだけどね。そんなちょっとした失礼を考えながらふたりで並んで水を飲んでいると不意にサイが己の愛する静寂を壊した。


「あの蜘蛛の狙いが今ひとつ掴めぬので気を抜くな、王女共の行動にも注意しろ」


「サイ、そなたも王子に気をつけろ。そなたはたしかに力自慢だが女だ」


「その時はその時だ。私はお前が心配でならぬ。あの小娘にも力負けしそうだ」


「失敬な。そこまで弱くないし、サイにしごかれて最近、結構いい感じだぞ?」


「はて? 打ち込みや蹴りの威力にそこほど変化はない、というのが私の判断だが?」


 お互いに気をつけろ、非力だなんだと言いあっていたが、やがて同時に噴きだした。


 サイの笑顔は一瞬。貴重な眼福だ。ココリエは己の非力っぷりをいつもサイに突きつけられているのでもうこれは笑うしかない、と思って笑い転げる。


 笑っているココリエを見るサイは無表情だったが、瞳は優しい笑みの色。表情はいつも通りで能面なのに瞳に感情が揺れる。無表情なのにとても感情豊かなサイの瞳は笑っているココリエを困ったように見ている。


 しょうもないことで笑うこどもを見る母の目に似ている。慈愛に満ち、優しく、どこかで経験したことがあるような気分にさせられるサイの目に見つめられるのがココリエは好き。ついでに言うとルィルシエも好きだ。サイによくこっち見て、とねだっている。


 サイは不可解そうだが、うるさいので時々視線をやり、その度ルィルシエは嬉しそうにはしゃいでいる。ルィルシエがサイにこども扱いされる原因がわかった気がする。


「互いに気をつけようぞ」


「ああ、そうしよう」


「その上で私はあの蜘蛛の思考を手繰ってみることにする。どうも、におうからな」


「サイ? なぜチェレイレ殿を蜘蛛と?」


 ココリエの質問にサイはなにを言っているのだろうというような目を向けたが、すぐにすっげえ失礼な言葉を寄越してきた。暴言教の教祖ってか元祖になりそうな感じに。


「服飾品の色。あと、雰囲気」


「んー、それはひどくないか?」


「どうでもいい。あっちの王族にどう思われようと私に損は一切ないのでな」


「はは、あはは、それでこそサイだ」


 言いつつココリエは水を飲み干す。隣のサイも水筒を空にしたようで立ちあがった。ココリエも倣って立つ。そして、ひとつ思いつきに申しでてみた。


「夜遅い。部屋まで送ろう」


「逆ではないか?」


「いや、サイ、自覚してくれ、淑女さん」


「お前、私をバカにしているな? 明日の鍛練で仕返ししてやるので覚悟せよ」


「そう言うな。こんな時でもなければサイが女扱いされることなどないだろう?」


 ココリエの言葉に思い当たる節があったのかむすっとして渋々ココリエに送ってもらうように隣へついた。城の人間を起こさないようにふたり無言でサイの部屋までいく。


「おやすみ、サイ。よい夢を」


「おやすみ、ココリエ。……。先のは嘘だ」


 突然嘘言われ、訝しく思ったココリエの額に優しい温度が触れる。サイの瞳が微笑む。


「あなたは私にとってなくてはならぬひとだ、ココリエ。私を人間にできる特別なひと」


 それだけ言ってサイは部屋に入った。残されたココリエは呆けるばかりだった。


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