当たり前を知らない娘


 ただまあ、る時は多分のおそらくで絶対にカザオニが手をくだすだろう。


 鬼の心酔ぶりからして主、主君の手を汚させるような真似はさせないに違いない。


 と、なればちょっとというかかなり怖いことになった。カザオニがサイに忠義を以て忠誠を誓い、至誠の限りを尽くすとなるともう、迂闊に彼女に近づけない。特に、男。ルィルシエなどはサイが普通にどうも思っていないようだし緩和されそうだが……。


 サイに邪、と言うとアレだが、ちょっとでも害がありそうな思考の持ち主やいやらしい考えを持っている者には天誅と見せかけて暗殺というよりもっと深く闇の只中にぶち込まれそうだ。闇も闇。深淵の奥底に叩き込まれて人々の記憶からも消える。


 ……ああ、なんだろう想像しただけなのに本当にやりそう、やらかしそうな気がして怖いデスヨ。と、ココリエが思っていると、カザオニがサイを連れて消え、ココリエのそばに来た。ジグスエントからできるだけ距離を取って差しあげようという気遣い?


「ありがとう、カザオニ」


「もったいない、おことば」


「いや、遠慮するな」


「……は」


 新しく主従となった臭いふたりの有音と無音の会話。カザオニは唇をかすかに動かしているだけだが、サイは充分な意思疎通手段として扱い、応えている。


 カザオニは嬉しそうだ。それがいまいちカザオニの感情表現の乏しさというか、淡白さというか、薄さが故にわかりにくいと思っていたココリエにも通じる。


 サイは自分に似ているカザオニが背に在ってくれることを歓迎している。カザオニはサイという自らを超える存在を神聖視し、絶対の主として認め、彼女に仕えていられる自分を誇っている。それが痛いほど伝わってくる。


 ふたりはお互いを尊重しあい、カザオニの方が若干強く尊敬しているが、互いを認め、互いに頼り頼られたいと思っている。それをココリエは羨ましく思った。


 サイの隣にいられるだけの実力を備え、背を任されるカザオニを羨ましい、そしてほんの少々嫉ましく思った。


 好き。サイのことが好きで恋い慕う愛の感情を覚えているココリエの心中は乱れ気味。


 カザオニのお陰でサイを取り戻すことができた。そして、サイがココリエのそばを帰る場所として見ている。見てもらえていることも嬉しい。嬉しいのだが、素直に喜べない。喜べないのが悲しい。どうしても劣っている自身を突きつけられた気になるから。


「ココリエ」


「え?」


「暗い顔でどうした? もしや、私に戻ってほしくなかった、とかか?」


「まさか、そうじゃない!」


 つい、興奮して大きな声がでてしまい、サイがびっくりしたように目を開いたのでココリエは、あ、と思って詫びるように顔を伏せた。サイの視線が刺さって痛い。


 サイはココリエがなぜ急にいつもの調子を忘れて大きな声をあげたのかわからないようだが、そこには敢えて触れずにいてくれる気でいるのか、なにも訊かなかった。


 しかし、代わりを質問してきた。


「探してくれていたのか?」


「え?」


「どこに探しにいったかは知れぬし、今となっては興味もないが探してくれたのか?」


「あ、たり前だ……っ」


 声が震える。サイが謎の忍集団からルィルシエを逃がすのにしんがりを務め、そのまま行方不明となった。そのことにココリエの心臓がどれほど痛み、軋んだか。


 それはルィルシエも同じことだ。でも、ココリエほどの痛みではない。


 大好きな、大切なひとがいなくなった。このことに心痛めない者はいない。そう在る者は、自らの肉親の行方にすら無関心でいる。そんな者はひとの心を失している。


 獣だ。それこそは獣の心だ。目の前にあるおのが敵の喉笛を喰い千切って殺す野獣。自身の飢えを満たす為だけにこのハクニエで在る者。最初はサイもその類かと思ったが、考えはとうの昔に改まっている。人間らしからず人間らしい。


 だから、誰よりも美しく気高い。至高の細工物のように美しいのに豪快で磊落的な言動に時折というかかなり高頻度でひやりとさせられるが、今では誰もがわかっている。とても素直で幼子のように無垢なひとなのだということを。


 言動についても暗黒の最果てで生きていく上で荒くならざるをえなかったのだ、ということも。一部のひと、というか約一名、礼節にうるさ……厳しい誰かさんを除いてウッペ城に仕えている戦士や兵たちはサイというひとのことをよく知り、理解している。


「そうか、ありがとう。面倒を」


「そんなことないっ、ルィルを守ってくれたこと、御守りはサイの大切な仕事道具でもあったのだろう? それを貸してまでして逃がしてくれて、万全の備えをしていてくれて本当にありがとう。……そう、礼を言うのは、余の方なのだ、サイ」


「ぬ。では、これもまた私の無知か?」


「あはは。どちらかと言うと、勘違いだ」


「なるほど。難しいな」


「当然だ。ひととひとの関わりだぞ? 余ですら半人前なのにサイはまだ世間を知らぬ赤子も同然。難しくて当然だ。だから、これから知っていけばいい。な?」


「……ああ、そうだな」


 ココリエの言葉に素直にサイは頷き、微笑みを瞳に揺らし、唇を少しだけあげた。


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